沈む峠、迫る影群
空が唸る。
山が沈む。
風が逆流する。
何ひとつ“自然の法則”として正しくない。
残滓峠は、
まるで巨大な口を開けて
下へ沈み込もうとしていた。
「冗談じゃねぇぞ……!!
山が地面に沈むってなんだよ!!」
ガルムが叫ぶ。
「ソーマさん……!
魔力流が全部、
“下方向”に吸われてます……!」
リュミの声が震える。
「空気まで下がってる……
峠の“空の層”が裂けてるんだわ……!」
セシリアが魔導具を強く握る。
『……聞け……』
ソーマの耳奥に、
またあの“誰とも知れない声”が入り込んだ。
(聞いてるよ……!
でも具体的に何しろってんだよ!)
◆
裂け目の奥から――
“影の大群”が押し寄せる。
形を持ちかけた靄。
人のようで人でない痕。
断片的な身体パーツだけの残滓。
ウジのように蠢く暗黒の筋。
「なんだこれ……
全部“影主”とは違う系統だ……!」
セシリアが青ざめる。
「ソーマ!!
敵のパターンを教えろ!!
避難誘導の時みたいに!!」
ガルムが斧を構える。
「パターンっていっても……
こいつら“天気”とも“魔物”とも違う!!
世界の外側の揺れだ!!」
「外側!? つまり外来種だ!!」
「めっちゃ怖い言い方するな!!」
◆
影の“波”が一気に押し出される。
「来る!!」
ソーマが叫ぶ。
ガルムが大斧を両手で振り上げた。
――ゴッ!!
影の先陣を横殴りに吹き飛ばす。
「ガハハハ!!
影だろうがなんだろうが殴れば消える!!」
「物理でいけるのお前だけなんだよ!!」
「ソーマ!
そっちは任せる!!」
セシリアが術式を展開する。
「《雷糸封》!!」
細い青白い線が影群の前に張り巡らされ、
侵入する影を一瞬で焼き払う。
「すっげえ!!」
「褒めてる場合じゃないわよ!!
これ、次から次へと来るわ!!」
◆
リュミが両手を胸前で組み、
強く集中する。
「“空の揺らぎ”、つかみます……!」
彼女の背中の魔紋が淡く光り、
周囲の魔力流の乱れを可視化し始めた。
「ソーマさん!!
峠の“沈み込み”は、
影の群れの中心――
あの裂け目から来てます!!」
ソーマは裂け目の中心を見る。
先ほど“影”が立っていた場所。
そこから、黒い靄が絶え間なく流れ出し、
空と地面をねじ曲げながら吸い込み続けていた。
「じゃあ……
あれを塞げば……!!」
「塞げるわけないでしょ!?
空気の破れよ!?
世界規模の現象よ!?!?」
セシリアが絶叫する。
「理屈はあと!!」
「理屈が本業なのよ私!!」
そのとき――
影群の後方が、異様に揺れた。
そして“新たな影”が姿を現した。
「な……!?」
ソーマは目を見開く。
ほかの影よりも大きい。
輪郭もはっきりしている。
それは――
「……人の形……?」
リュミが息を呑む。
だが、普通の人ではない。
高さは二メートル近く、
細長い身体で、腕がしなるように伸びている。
顔は真っ黒で、
中心にだけ赤い線が走っていた。
「おい……
あいつ……ただ者じゃねぇぞ……」
ガルムが低く唸る。
セシリアの魔導具が警報を鳴らす。
「ヤバいヤバいヤバい……!!
これ……“外来残滓”最上位級よ!!」
「最上位!?」
ソーマが叫ぶ。
「本来なら“王家直属の討滅隊”が動くレベル!!
新人と半壊パーティが相手にする存在じゃないわ!!」
「半壊って誰が!!」
「昨日死にかけた奴全員よ!!」
「俺も含まれてるぅ!!」
◆
その“上位影”は、
裂け目の前に立つと、
ゆっくりと右手を上げた。
――ギ……ギギ……
指が不自然にふるえ、
空を押しつぶすような動作をした瞬間――
「……っ!!
空が……沈む速度が上がった……!!」
リュミの声が震える。
「おいおいおいおい!!
空を押すな!!
空は押すと沈むのかよ!!?」
ソーマが絶叫する。
「押すんじゃない!!
あれ、“呼吸”よ!!
あの影――“空と地表の境界”を吸ってる!!」
セシリアが青ざめて叫ぶ。
「呼吸ぅ!?」
「世界規模の呼吸しないで!!」
◆
影の奥で、裂け目が一気に広がった。
――バゴォォッ!!
黒い風が吹き荒れ、
影の群れがさらに加速する。
「ソーマ!!
どうする!!
なんか策!!
策ねぇのか!!」
ガルムが叫ぶ。
「策……!?
策ねぇよ!!
俺、こんな状況のマニュアル持ってない!!」
「じゃあ作れ!!
今すぐ!!」
「できるかぁぁぁ!!」
◆
ソーマの耳奥が、
再び激しく揺れた。
――ザザザァァ!!
(予報……!?
いや……違う……
これは……)
――『……聞け……
“空の底”は……
押し返せる……』
「押し返せる……?」
「ソーマさん!?
どうしました!?」
リュミが駆け寄る。
「“空の底”は……
押し返せるって……
今、声が……」
「押し返すって……
空を……押し返すの……?」
セシリアが目を丸くする。
「できるのかそんなこと!?」
ガルムが叫ぶ。
ソーマは裂け目の中心――
“上位影”を見据えた。
(あいつが……
空を押してるなら……
逆に……押し返せば……)
そのとき、
耳奥にもう一つの言葉が加わった。
――『……“二つの揺れ”を合わせろ……』
「二つの……揺れ……?」
ソーマは振り返る。
リュミの背から光が漏れていた。
(……そうか……!
予報と、同調……
“二つの揺れ”……
それを合わせれば……!!)
ソーマはリュミの手を掴んだ。
「リュミ!!
俺と同調してくれ!!」
「ソーマさんと……!?
できます!!」
「ガルム! セシリア!
俺たちが“空を押し返す”!!
その間、影を食い止めてくれ!!」
「任せろ!!」
「任されたわ!!」
◆
ソーマとリュミは
正面の裂け目を見据え、
同時に息を吸った。
未来の揺れ――
現在の揺れ――
二つの波がゆっくりと重なる。
「いける……!」
「ソーマさん……!!」
空の底が、
その瞬間――
ほんのわずかに“上へ戻った”。




