空の底で呼ぶ影
目の前の“影”は、
人の形をしていながら――中身が存在していなかった。
輪郭はふわりと揺れ、
中心は空洞のようにぼやけている。
それなのに――
声だけは、やけに“明確”だった。
『……来たな、予報持ち(よほうもち)……』
ソーマの喉が音を失う。
(なんで……
俺のスキル名を知ってる……?)
影は、足がないはずなのに、
滑るようにこちらへ近づいてくる。
リュミが震える声で言った。
「ソーマさん……
あれ、本当に……
“この世界の存在じゃない”……」
「なんで分かるんだ……?」
ソーマが小声で尋ねる。
「揺れが……違うんです。
アステリアの“空気の層”を通っていない……
外側の……もっと遠いところから……」
(……外側……?
俺の前世世界が、アステリアの“外側”……)
◆
セシリアも魔導具を構えて分析した。
「ソーマ。
あれの魔力波形……見たことないわ。
この世界のどんな魔物とも一致しない」
「……消えているようで……消えてない……?」
「そう。
“ある”と“ない”の境界みたいな存在よ」
「なんだよその不気味な定義……!」
ソーマが震える。
◆
影の“穴”のような顔が、
ソーマのほうへ向いた。
『……久しいな……』
「久しいって……
俺、あんたのこと知らない……!」
『……そうだろう。
だが――“わたしは、お前を知っている”』
ソーマの背中に冷水が流れた。
(……なんだよ……
なんで俺を……?)
影はゆっくりと、
峠の裂け目のほうを振り向いた。
『空の底が落ちる……
それは、偶然ではない……』
「空の底……って何なんだよ!!」
影は答えず、
一歩こちらへ踏み込む。
――ザ……ッ。
その瞬間、ソーマの耳奥が強烈に揺れた。
――『……落下……沈降……
空の“破断”……
境界層が崩壊……』
「破断……!?
境界層って……空と地面の境目!?」
ソーマが青ざめる。
「それが崩れたら……
空気全体が“落ちてくる”わよ!!」
セシリアが叫ぶ。
「え!?世界終わるじゃん!?」
「だから必死で言ってるのよ馬鹿!!」
◆
影は、静かに言った。
『予報持ちよ……
“お前の世界”が消えかけている』
「……っ!?」
『その揺れがここへ届き……
空の底を引きずり込んでいる……』
ソーマの心臓が跳ねた。
「……俺の……前の世界が……
こっちを……壊してる……?」
『壊す気はない。
ただ――
“助けて”いるのだ』
「助ける……?」
「誰を……?」
影は微かに揺れた。
『……“自分自身”を』
◆
その瞬間、峠全体が揺れた。
――ゴゴ……ッ!!
地面ではなく、
空が沈む音だった。
ガルムが叫ぶ。
「ソーマ!!
今の影の言葉、どういう意味だ!!」
「分かんないよ!!
こっちが聞きたいよ!!」
風が逆巻き、
裂け目から黒い靄が溢れてくる。
影はその中心へすべるように戻りながら――
最後にソーマへ向けて言う。
『残滓の峠が、
“次の門”になる……』
「門……?」
ソーマが息を呑む。
『お前は……
どちらの空を――選ぶ……?』
影の姿が完全に裂け目に飲まれた。
次の瞬間――
――バチィィッ!!
空から巨大な雷光が落ちた。
「伏せろッ!!」
ガルムがソーマを突き飛ばす。
地面が爆ぜ、
空がうねり、
峠全体が“落ちるように沈む”。
「これ……予報の“落下現象”……!」
ソーマが叫ぶ。
「全員、構えろッ!!」
セシリアが魔導具を展開する。
「リュミ、同調!!」
ガルムが叫ぶ。
「はいっ!!」
リュミは一気に両手を広げ、
峠全体の“揺れ”を読み取る。
「ソーマさん!!
この山……“中心部に向かって沈んでます”!!」
「沈むって何だよ!!
山は立ってろ!!」
「言ってる場合じゃないです!!」
その瞬間――
霧の奥から、黒い“影の波”が押し寄せる。
「魔物の群れ……!!
しかも……“世界外”の揺れ……!!」
セシリアが叫ぶ。
「ソーマ!!
作戦だ!!
なにか俺たちにできることは!!」
風が唸り、
空が沈み、
峠が落ちていく。
ソーマは歯を食いしばる。
(選べって……言った……
どちらの空を……って……)
耳奥で最後の揺れが響く。
――『……聞け……』
「聞いてるよ……!!
俺に……何をしろって言うんだよ……!!」
ソーマは叫びながら、
迫りくる影の大群へ向かって前に出た。
「みんな!!
構えて!!
ここからが本番だ!!」
空の底が沈む音が――
峠全体を包み込んだ。




