影主――谷に潜むもの
黒い亀裂が大地を舐めるように広がった。
――ピシ……ピシィ……
周囲の霧が吸い込まれるように揺れ、
空気の温度が急速に“下がっていく”。
「……まずい……」
セシリアが青ざめて言う。
「この温度の落ち方……
ただの魔物じゃない……」
「分かるぞ……」
ガルムが斧を肩に担ぎ、前へ踏み出す。
「これ、絶対ヤバいやつだ」
「語彙ぃ!!」
ソーマのツッコミが谷に響いたが、
本人も震えていた。
◆
黒い亀裂はついに“形”を持ちはじめる。
影の霧が凝縮され、
骨のような線が浮かび、
人のようでも、獣のようでもない縦長の輪郭をつくる。
一行は息を呑んだ。
「……なんだ、あれ……」
ソーマが声を失う。
亀裂の奥――
影が、ゆっくりと腕に似たものを伸ばし始めた。
「形が……定まってない……」
セシリアが眉を寄せる。
「影核が無数に混じって――
ひとつの“塊”に……」
「ってことは……合体した魔物って感じ?」
ソーマが震えながら言う。
「合体……?」
ガルムが考える。
「つまり……“でっけえ雑煮”だな!」
「例えを料理にするな!!!」
セシリアが即ツッコミを入れた。
「雑煮って影の気配じゃないですよ……」
リュミの控えめな補足が刺さる。
「二人して冷静に刺してくるのやめて!!
怖がる余裕なくなるから!!」
◆
そんな掛け合いをしている間に――
“影主”は完全に姿を整えた。
それは“白い膜”をまとい、
体の中心には黒い“穴”のような核が脈動している。
真っ黒でも真っ白でもなく、
世界の継ぎ目がそのまま化け物になったような存在。
「……っ」
ソーマの耳奥が震えた。
――ザザザァ……ッ。
明らかに、
今までの“影の子の声”とは違う揺れ。
深く、重く、刺すような気配。
『……返せ……』
低い声が、谷全体を震わせた。
「返せ……?」
リュミがぎゅっと影の子を抱きしめる。
その瞬間、影主の核がぐにゃりと歪む。
『……返せ……
おれの……“かけら”……』
「お前の……欠片……?」
ソーマは背筋が凍るのを感じた。
(まさか……
リュミが抱えてる“影の子”って……
この影主の一部――?)
「ソーマさん……」
リュミが不安げに見つめる。
「この子の揺れが……
急に荒れています……!」
『……戻れ……』
『……おれの……部分……』
影主の声と、影の子の震えが同時に重なり――
――空間が悲鳴を上げた。
◆
「くそ……まずい……!」
セシリアが歯を食いしばる。
「このままだと、
影主が暴走して《谷》そのものが崩壊する!」
「崩壊……!?」
ガルムが身構える。
「影主は自分の“欠片”を取り戻そうとしてる。
でも、欠片は半分“別の世界”の情報を持ってる……
混ざったらどうなるか分からない!」
「そんなの……渡せるわけないだろ!!」
ソーマが叫ぶ。
(この子……助けを求めていた……
渡したら絶対に壊される……!)
『……かえ……せ……』
影主の声が濁る。
谷が鳴動する。
――ゴゴゴゴ……!!
足元の大地がうねり、
霧が渦を巻く。
「ソーマ、決めろ!!
どうする!!」
ガルムが叫ぶ。
「どうするって……
どうやったら助かるかなんて分かんないよ!!!」
ソーマが泣きそうな声で返す。
だがそのとき――
リュミが静かに言った。
「……ソーマさん。
たぶん、選べます」
「選べる……?」
「ええ。
“この子を渡す未来”と“守る未来”……
あなたの《予報》が沈黙したのは……
どちらにも転ぶ“大きな分岐”だからです」
「どっちに転んでもおかしくないから……
予報が出なかった……?」
「はい……
だから今は――
ソーマさんの選択が“未来”を決めます」
影主が一歩、近づいた。
――ドロ……ッ……
白い膜が地面に垂れ、
触れた大地が音もなく消える。
影主の核が脈打つ。
『……かえせ……
おれの……かけら……』
影の子が震え、
リュミの腕にしがみつく。
『……たすけて……』
二つの声が重なり――
ソーマの胸の奥を刺す。
(……選べって……
こんな状況で……!?)
「ソーマ!」
「ソーマさん!」
「ソーマ!!」
仲間たちの声が重なる。
ソーマは歯を食いしばった。
「……選ぶよ……!!」
影主の核が揺れ、
谷全体が沈む。
(絶対……間違えられない……!!)
ソーマは影主を真っ直ぐ見据え――
自分の未来を、初めて自分で選んだ。




