名前をつけない痛み
王都では、出来事にすぐ名前がつく。
事故。
軽傷。
想定内。
対応済み。
名前がつけば、整理できる。
整理できれば、片付いた気になる。
だが、その日ソーマが感じていたのは、どうしても名前にならない違和感だった。
北端の倉庫街。
片付いた現場。
戻った日常。
それでも、あの若い男の視線だけが、頭から離れない。
「大丈夫です」
そう言いながら、彼は「怖かった」とも「後悔している」とも言わなかった。
言わなかったのではない。
言葉にできなかったのだ。
天象庁に戻ると、報告書が回ってきていた。
「被害:軽微」
「精神的影響:記録なし」
ソーマは、その一文で指を止めた。
(……記録されてないだけだ)
(……存在しなかったことには、ならない)
セシリアが、横から静かに言った。
「……名前をつけないと、管理できない。
でも、つけた瞬間に零れるものもある」
「……ああ」
ガルムが腕を組む。
「痛ぇもんは、数字にすると急に軽く見えるからな」
リュミは、少し考えてから口を開いた。
「……空は……名前をつけません……」
「……重いとか、軽いとか……
ただ……そこにあるだけです……」
その言葉に、ソーマは小さく息を吐いた。
(……それでいい……)
(……全部を……管理しなくていい……)
夕方、掲示板の前に立つ。
今日の掲示は、短い一文だけだった。
――今日、少しだけ不安だったことは何ですか。
説明も、誘導もない。
人々は立ち止まり、首をかしげ、それぞれの答えを胸の中で探す。
誰も発表しないし、共有もしない。
それでも、その問いは確かに残った。
夜。
屋上。
王都の灯りは変わらない。
だが、ソーマの視界は少しだけ違って見えていた。
帳面を開き、ゆっくりと書く。
――名前をつけない痛みは、消えない。
――だが、無視しなければ、人を鈍らせない。
――残しておけば、それでいい。
ペンを置く。
世界は、相変わらず不完全だ。
だが、不完全さに無理に名前をつけなければ、壊さずに済むものもある。
それだけで、世界はほんの少し優しくなる。




