28. 推しカプ成立
冬の末は、書類の季節やった。
破約の後始末の公表。両家の協議。養女の家格の照会。詫び状三通の写しまで揃えて、王家と男爵家と公爵家が、順番に紙を回していく。
……段取りいうんは、退屈で、地味で、そのぶん、誰も傷つかへん。派手な告白は一晩で人を吊るすけど、退屈な紙は、誰も吊るさへんのや。
「まず食べ。話はそれからや」と、うちがあの子に言うたんが、初夏の晩やった。詫び状の三稿目に赤を入れて、「詫びが先、気持ちは最後」と説教した、あの晩。
夏から冬まで、あの子はほんまに段取りを踏みよる。
途中、何べんも工房へ来た。来るたびに協議の日取りやら、判を貰う先やらを、律儀に報告していきよる。ある日は「男爵夫人に、蜂蜜の礼を言い忘れた」と言うて、わざわざ里まで馬を飛ばしよった。
「宿題は?」
「……まだ、途中です」
あの春、廊下で渡した一粒のことや。あの子は律儀に、まだ答えを出してへんつもりでおるらしい。
その日、王宮の小広間には、両家の親と、証人と、うちら家族が並んどる。窓から入る冬の光が、床の石に長う伸びとった。
王太子アーデルベルト殿下は、一度だけ息を吸うて、ポレットちゃんの前に立つ。
「ポレット・グランハルト嬢」
……グランハルト。呼ばれ慣れん名ぁに、うちの背中がむず痒うなる。ポレットちゃんの肩も、ぴくんと跳ねた。
「私は、君の里の味を、国の味にしたい」
広間が、しん、とする。
「専売はなくなる。これからは、安い甘味が国じゅうに回る。その先頭に、君の家の蜂蜜を置きたい。……その隣に、私を置いてほしい」
――上出来や。
この子はあの春、満座の前で好きな娘を「守る」と言うて、その娘を泣かせとる。今日は、その娘の里の商いの話から始めよった。人の誇りの、いちばん柔らかいとこを、ちゃんと見て言うたんや。
ポレットちゃんは、うちの顔を一度だけ見た。
うちは、何も言わへん。頷きもせん。ここで姉が頷いたら、この子の返事が、姉の返事になってまうさかいな。
ポレットちゃんは、前に向き直る。膝の上で、指を組んで、解いて。それから、自分の言葉で言う。
「私、蜂蜜の話が、長いのですけれど」
「うん」
「……ようございますか?」
「長いほうがいい」
殿下は、即答やった。
後ろの席で、里のお父君とお母君が、二人して顔を覆うとる。同意書に震える字ぃを書いたお母君は、今日は声も出んらしい。
――よっしゃ。
うちは末席で、そうっと胸の前で手ぇを合わせる。
みっちゃん。見てるか。あんたがレジ前で、飴の袋握りしめて、模試より熱う語っとったやつ。あれや。
推しカプ、成立や。……あんたの積んだ徳やで、これ。
声には出さんかったけど、目の縁だけ、勝手に熱うなった。
……不思議なもんやなあ。この子は、うちが泣かせた子ぉや。うちが意地悪して、教科書を隠されて、階段で躓いたのを突き落としたことにされて。その子が、いま、いちばんええ顔で笑うとる。
うちの帳面のいちばん最初の頁に載っとった相手が、いちばん最後に、この顔になった。……これ以上の決算は、たぶん、どこにもない。
その日のうちに、御用達の看板の話もまとまる。献上の品は、柑橘の皮を煮て蜂蜜に合わせた、新しい飴や。
皮の炊き方には、ギヨムはんが手ぇを貸してくれた。三日、厨房で煮ては味を見て、煮ては味を見て、四回目でようやく、あの職人の顔が崩れる。
「これは……うちの城の、飴でございますな」
城主が言うたら、それが正解や。
値は、市中と同じにした。
「同じで、よろしいのですか?」
「よろしおます。御用達の飴が高うなったら、下町の子ぉが『あれは偉い人のもんや』て思うようになりますやろ?……甘いもんに、偉いも偉うないもあらへん」
兄上が横で、両手を握りしめて震えとった。値切らんかったんが、よっぽど嬉しかったらしい。
帰り際、殿下がうちのとこへ来て、懐から紙包みを出しよった。あの春に渡した、あの一粒や。溶けもせんと、まだ形が残っとる。
「宿題の、答えです」
「初夏に聞いたやん。甘くて情けのうなった、て」
「あれは、感想でした」
殿下は、包みをうちの掌に戻す。
「答えは、今日わかりました。……甘いものは、配るほうが、うまい」
……合格や。満点とはよう言わんけど、合格。
宴の隅では、眼鏡が手帳に何か書いとる。書いては止まり、書いては止まり。……あんた、さっきから同じとこ、三回なぞってるで。
◇
王室調査記録 第二十七報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。本日、王太子殿下とグランハルト公爵家息女の婚約が内定した。対象は末席にて手を合わせ、独りごとを述べていた。内容は聞き取れていない。なお対象は、献上品の値を市中と同額に据えている。理由は「甘いもんに偉いも偉うないもない」との由。特記事項。対象が笑うと、記録の字が乱れる。原因は長く調査中であったが、本日をもって調査を終了する。原因は、判明した。以上。
通達が来たんは、その三日あとや。
王室調査室より、公爵家宛。「観察対象に係る疑義は、すべて解消した。よって、当該の調査任務を終了する」――紙は短い。役所の紙は、いっつも短い。
……終了。
ほな、あの子はもう、うちのとこへ来る用がないわけや。飴の毒見も、開業の書式も、樽運びも、みんな任務の外側にあったはずやのに、任務が終わったら、外側も一緒に畳まれてしまうんやろか。
工房の戸口の柱を見る。誰も、おらん。
当たり前や。めでたい話やないか。あの子は出世して、次の仕事へ行く。うちは飴を炊く。それぞれの持ち場に戻るだけの、ええ話や。
「……まあ、ええわ。うちは大丈夫や」
口が勝手に、いつものを言うた。
茶を下げに来たドルテさんが、盆を持ったまま止まっとる。何も言わずに、じいっと、うちの顔を見とる。
……なんやの、その顔は。




