27. 裁きは役所、飴は茶の間
朝いちばん、うちは官憲の窓口に帳面を積んだ。
受け取った役人が、束の厚みを見て「……全部ですか?」と聞くから、「全部ですわ」と答える。開業以来の仕入れも、日当も、卸も、包み紙の枚数も。見られて困るもんは、はじめから作らんかった。
窓口の外は、冬の晴れや。石畳が白う光っとる。うちは階段に腰かけて、帳面を出した手ぇを、しばらく見とる。
……これで、うちの仕事は仕舞いや。ここから先は、うちの領分とちゃう。
昼過ぎに、眼鏡が来る。四日ぶりの顔は、ひどい色や。
「未明、南港。沖待ちの便が入りました。荷と、受け取る手を、同じ場で押さえています」
「そうか」
「受け取りの控えにだけ、会頭の印が、ご本人の手で押されておりました」
……番頭さんの言うた通りや。会頭印は、平時なら番頭さんが預かる。夜荷の晩だけ、あの人は自分の手元に置いた。手放されへんかったんやろ。いちばん見られとうないもんほど、人は自分の手で触ってしまうんや。
「本店の奥から、帳面がもう一組。……中身の照合は、これからです」
「何日かかんの?」
「読める者を集めます。……十日は、頂きたい」
……役所の仕事いうんは、こういうもんや。派手なんは押さえる晩だけで、あとはひたすら、紙と算盤の日ぃが続く。
◇
王室調査記録 第二十六報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。本日未明、南港にて帳外の荷の受け渡しを押収し、本店より二重の帳面の原本を押さえた。夜荷の受け取りの控えには、会頭の印が本人の手で押されている。二組の帳面の照合には十日を要する見込みである。対象は本朝、自身の帳面の一切を官憲へ提出した。特記事項。対象は「見られて困るもんは、はじめから作らん」と述べている。本官は、この一行を上申書の末尾に引く。以上。
――三日して、眼鏡がまた来た。
「細かい払いの帳面に、『文書料』の記帳がございました」
「代書を頼んだ先は?」
「場末の代書屋です。……そちらは、行商のおかみさんの隣人づてに、先に見つかっておりました」
うちは、思わず笑うてしもた。役所の照会より井戸端のほうが早いんやから、しゃあない。
「紙も、薬草院の公用のもんやのうて、商会の私製の紙でした。透かしが入っております」
――十日目。二組の帳面の照合が、終わる。
「十二年ぶんの勘定が、つきました。扱い高は年ごとに増えております。増えとるのに、納付金だけが千二百枚に貼り付けてあった」
「……つながったんやな?」
「つながりました」
訴追の罪状は、二本や。
密輸――関税と、専売納付金の取りっぱぐれ。ほんで、公文書偽造。
「買い叩きは? 買い占めは? あの難癖は?」
「罪には、問えません」
……そやろな。あこぎと、犯罪は別もんや。あこぎのほうは、うちが商いで返した。犯罪は、お役所の領分やねん。
面会が許されたんは、それからさらに何日かあとや。官憲立ち会いで、ほんの少しだけ。
格子の向こうのギボルトはんは、一晩で十ほど老けて見えた。膝の上で組まれた手ぇは、あの春に印章の指輪を光らせとった手ぇと、同じもんには見えん。ほんで、口から出てきたんは、詫びとちゃう。
「国は、わしから取り過ぎたんや」
「へえ」
「戦のあとの入札で、免許の値は吊り上がった。あれからずっと、わしは払い過ぎとる。夜荷は、取り戻しとるだけや。……帳尻は、合うとる」
うちは、しばらく黙って聞いとった。
この人の言うてることは、この人の帳面の中では、たぶん一分の狂いもない。そういう人が、いちばん厄介で、いちばん哀しい。
「ギボルトはん。帳尻いうんはな」
格子越しに、指を二本立てる。
「自分の帳面だけで合わすもんとちゃいますねん。相手の帳面と突き合わせて、初めて帳尻や。あんたの払い過ぎの向かいには、樽二枚で蜂蜜を渡した男爵家の帳面と、三年利子だけ払い続けた家の帳面と、砂糖屑で腹壊した子ぉの帳面が並んどる。……そっちの合計も、いっぺん出してみなはれ」
長い、長い沈黙があった。
それから会頭は、誰に聞かれたわけでもないのに、夜荷の便の勘定を、自分から数え始めよる。何年の、何月の、何樽。順番も、値も、そらで出てくる。
――五十年、数字で生きてきた人の、いちばん正直なとこや。
番頭さんは、自分から名乗って出た。長年の勤めと、自分から申し出たことが、罪の軽さに効くらしい。あの人の五十年が、そこだけは味方をしてくれる。
「お務めが済んだら、うちの工房へ来なはれ。麦芽の切りを、いっぺんちゃんと教わりたいねん」
そう言うたら、あの人は格子の前で、深う頭を下げよった。
「……お嬢様。わしの五十年は、なんでございましたろう?」
「四百五十万個や。忘れたんか?」
あの人は口を押さえて、そのまま動かんようになる。
御前の裁定が下りたんは、押収から半月ほど経ってからや。淡々としたもんやった。専売の免許は、免許の条件を破ったことによる取り消し。専売そのものは、来年度から、順を追うて廃していく。
「私の数字を汚した者を、私の数字で始末する。それだけだ」
廃止の設計を自分から引き受けたドラウム侯爵は、そう言うて書類の束を抱え直す。数字の人は、最後まで数字の人やった。
ほんで、うちの隣の眼鏡は、その場で準男爵に叙されて、調査室の次席になる。
「おめでとさん」
「……階が、一つ増えただけです」
眼鏡を直す指が、ちょっと震えとるのは、見んかったことにしとく。
裁定の締めに、陛下がぽつりと言わはった。
「甘味が回る国は、よう働く。……知らんけど」
――しん。
髭と勲章が、いっせいに固まる。ほんで、次の瞬間、広間が笑いが爆発した。財務卿まで肩を揺らしとる。書記官は筆を落とした。
……陛下。あんた、あの御前の日からずっと、この機会を待ってはったな。
専売が廃れると聞いて、いちばん先に沸いたんは下町や。砂糖の値が下がる。菓子屋が開ける。うちの工房の門にも、「弟子にしてくれ」いう若いのが三人も並んだ。
「来年から、商売敵が増えますねえ」
寡婦のおかみさんが心配そうに言うから、うちは笑う。
「望むところや。甘いもんはな、多いほうがええねん」
その数日あと、公爵家に王室からの打診が届く。〈てるや〉に、王室御用達の看板を、という話や。
「受けるんだな?」
兄上が、経理の帳面を抱えたまま、真顔で念を押してくる。
「値切るなよ? 献上品を値切った家は、歴史にないぞ」




