26. 断罪より先に、飴ちゃんや
朔の前の晩の空には、爪の先みたいな月しか出てへん。
その下を、うちは豹紋で歩いた。二着目や。仕立屋のおっちゃんは仮縫いの日に洟をすすって、「一生に一度の柄と存じておりました」と言いよった。
王家の大広間は、夏に来たときより広う見える。天井から吊るされた蝋燭の海。楽の音。香水と、蜜蝋と、暖炉の煙の混ざった匂い。
入口の卓には、共催の名を借りたカンドール商会の献品が、ずらりと並んどった。金糸の菓子箱。銀の砂糖壺。値打ちが、顔に書いたある。
うちの献品は、その隣の、いちばん端の卓や。十粒袋を積んだだけの、飾りのない山。
「お嬢様。あの、私のような者が、こんな所へ……」
隣で借り物の礼服の襟を何遍も直しとるんが、王立薬草院の検査官のおっちゃんや。冬の初めに、七日かけてうちの工房をひっくり返した人やで。
「約束したやろ? うちが招く時は来てや、て」
「孫が、自慢しております。じいちゃんは王宮へ行くのだと」
――ほんで、楽が止まった。
止まり方が、悪い。曲の切れ目とちゃう。誰かが指揮者の袖を引いたみたいな、途中でぷつんと切れる止まり方や。
壇の上に、ギボルトはんが立っとる。手には、封の切られた書付。
「皆さま。まことに、申し上げにくいことでございますが」
広間が、しん、となる。
「王立薬草院の検査により、飴房〈てるや〉の飴から、毒性の草の混入が認められました」
――ざわ、と空気が鳴った。
書付が、手から手へ回されていく。扇の陰から、数百の顔が、いっせいにうちを向く。
……ああ。この構図や。
この春、うちは壇の上に引き据えられて、自分に向いた顔の数を数えとった。今度は、下におる。おるけど、向いとる矢の数はおんなじや。膝の裏が冷とうなって、胃の底が、すう、と落ちる。
……六十八年生きても、こういうんは慣れへんもんやなあ。
怖い。正直、怖いんや。積んだもんが、たった一枚の紙で消える音を、うちは前世で何遍も聞いてきた。潰れた店の主が、シャッターの前で煙草吸うとった背中も、まだ覚えとる。
せやからこそ、まず、いつものをやる。
うちは壇へ上がって、いちばん端の卓から十粒袋をひとつ取った。封を切って、一粒、自分の口に放り込む。
「うちが先に、舐めますわ」
ざわめきが、止まった。
「この卓の品は、冬にお役所の検めを七日かけて通った蔵の、同じ炊きの分です。適合の書付は、王立薬草院に控えがございます。……ほんで、これは証明とちゃいますで。証明は、紙とお役所の仕事や」
うちは、袋を軽う振ってみせる。
「これはただの、意地ですわ。――はい、あんたら。舐めたい人だけ、飴ちゃん舐め。長い話になるさかい」
オルテンシアの扇が、ぱちんと鳴る。合図ひとつで、ポレットちゃんと王太子殿下が卓へ走った。十粒袋が、貴族の手から手へ渡っていく。
侯爵夫人がおそるおそる包みを開けて、隣の伯爵が「これは……甘いな」と間の抜けた声を出す。誰かの喉が鳴る。誰かが笑う。
噂いうんはな、法で消すもんとちゃう。人の口の中で消えるもんや。
「夜会は、裁きの場とちゃいます」
うちは、壇の下の殿下をちらっと見た。真っ赤な顔で、それでも逃げんと立っとる。ほんで、ポレットちゃんの隣から、一歩も動かへん。……ええ男になったやんか。
「うち、この春に、よう似た壇の上で、それを習いましたんや。……ほんで、ギボルトはん。その紙、書いた人の名ぁが入ってますな。読み上げてくれはります?」
「……王立薬草院、検査官」
名を読み上げた声が、途中で止まる。
広間の後ろで、借り物の礼服が一歩前に出たからや。
おっちゃんの膝は、笑うとる。それでも、一歩、また一歩と、蝋燭の明かりの真ん中へ出てくる。
「――私は、その報告を書いておりません」
声は、震えとった。震えとったけど、天井までまっすぐ通る。
「先の再検査で、〈てるや〉の工房を七日かけて検めた者でございます。全項目適合の書付には、私が判を押しました。……私の名が、私の書いていない紙に、載っております」
「な、なぜ、貴様がここにおる!?」
「うちがお招きしましたんや。同伴の枠でな」
うちは、扇の代わりに飴の袋を振ってみせる。
「客の名簿は、王家の式部のもんですやろ? 共催が買えるんは、献品と会場の格だけ。……名簿は、売り物とちゃいますねん」
――ここで証せたんは、「この紙は嘘や」いうとこまでや。誰が書かせたかは、紙と印と、それを請けた人間を役所が押さえて、初めて言えることや。うちは、そこには手ぇを出さへん。壇の上で人を裁く味を覚えたら、うちがあの春のあの人らと同じもんになってまう。
「うちの帳面は、明日の朝、官憲に出します。……今晩は、ここまでですわ」
「な……っ」
「言うたやろ? 夜会は、裁きの場とちゃう」
――ここで、殿下が動いた。
人垣を割って、ポレットちゃんの隣まで歩いてくる。手ぇも握らへん。口上も言わへん。ただ、隠さんと、そこに立っただけや。
……あの春、この子は「守る」言うて壇の上で吠えよった。今日は、黙って隣に立っとる。えらい進歩やないか。
うちは壇を横切って、会頭の前に立った。
巾着から、一粒。この春、商会の応接で突き返された、あれとおんなじやつや。
「ギボルトはん。……あんた、疲れてるんやろ?」
会頭の目ぇが、初めて泳いだ。
節くれだった手が上がって、止まって――それから、飴を取る。取って、口に入れて、俯いてしまう。俯いたまま、動かへん。肩が一度だけ、大きう上下した。
……そうや。甘いもんは、疲れた人のもんやねん。
◇
王室調査記録 第二十五報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。本夜、商会会頭が偽の検査報告により対象を告発した。対象は反論に先立ち、満座に自らの飴を配布している。報告の署名者本人が列席しており、作成を否認した。対象は告発者の責任を追及せず、帳面を翌朝官憲へ提出すると述べるに留めている。特記事項。対象は告発者に飴を与えた。理由を問うべきであったが、本官には、問う必要がなかった。以上。
玄関では、官憲がもう待っとった。任意の同行を求める声は、静かなもんや。商会の使いは、どこへも走らへん。
馬車の窓から、東の空を見る。まだ、うっすらとも明るならへん。
……たぶん、いまごろ南港には、沖で待っとった船が入ってくる。桟橋に誰が立っとるかは、うちの知ったことやない。
うちは、うちの帳面を抱えて、朝いちばんに官憲へ行く。それだけや。




