25. 写しではなく、在り処を
冬が来た。
王都の朝は霜で白い。三十人のおかみ連が籠を担いで出ていく朝の門は、市より賑やかや。年の暮れの仕込みで、〈てるや〉はいちばん忙しい季になる。
薬草院の検査官から、文が来た。孫の咳が、半分になったそうな。……効いたんなら、それでええ。
番頭さんの警告は、あの晩のうちに正式な届出になった。写しがうちの手元、原本は関税院の金庫や。大夜会の晩の警護と、日取りの検討に回った、とだけ聞いとる。
ほんで、眼鏡が三日、来てへん。
「調査室に、お泊まりのままだそうでございます」
ドルテさんが、手拭いを畳みながら言う。
「……三日?」
「四日目に入るかと」
うちは、鍋の前で腕をまくる。
「よっしゃ。夜食や」
夜、荷車に大鍋を積んで王宮の裏門をくぐろうとしたら、案の定、槍で止められた。
「夜半の差し入れは、規定にありません」
「差し入れとちゃう」
うちは、鍋の蓋をちょっと開けてみせる。湯気が、槍の穂先まで立ち上る。
「検分や。あんたらの上役の、顔色の検分。陛下にも『また寄せてもらいます』言うてある筋や」
「……顔色の、検分」
「三日寝てへん役人の顔色は、国の損やで。冷めるさかい、はよ通し」
門衛が二人、顔を見合わせる。その隙に、鍋の匂いが門の内側へ回った。……匂いは、規定より強い。
調査室は、紙の山や。
卓という卓に書付が積んであって、床にまで紙が広がっとる。はんこ二号は、指も袖も墨だらけ。うちの眼鏡は、書き物の姿勢のまま、こっちを見て固まった。
「……対象が、門に、鍋を」
「もう入っとるわ」
粥と、漬物と、飴湯。役人らが紙の山の陰からわらわら出てくる。
「規定にありません」
「食べたら規定になるわ」
「……なりません。しかし、頂きます」
はんこ二号、あんたええ性格しとるな。
匙を動かしながら、ルドガーはんが話してくれた。
関税院の荷揚げの記録。南港の船主の帳面。ほんで、商会が専売で申告した扱い高。この三つを、はんこ二号と二人、連署の照会で取り寄せて、一枚ずつ突き合わせたんやそうな。
「申告に載らない入荷が、十一便分」
「……十一」
「照会の取れた一年ぶんで、十一便。ほぼ月に一度……いずれも、朔の晩です」
番頭さんの言うた通りや。爺さんの記憶と、役所の紙が、同じ数を指した。
「ほんで、納付金が十二年、一枚も動かんかった話や。……これで、つながるか?」
「一年分では、つながりません」
この子は、こういうとこで嘘をつかへん。
「帳面に載らん荷は、扱い高に入りません。十一便が証すのは、去年その形があった、というところまでです。十二年ぶんは、本店の奥の帳面を押さえてから勘定します」
「……ほな、今日のとこは疑いか」
「令状を頂くには、十分な疑いです」
「捜索と差し押さえの令状は、請求済みです。……日取りは、申し上げられません」
うちは、匙で粥をひと混ぜする。
「番頭さんの話やと、夜荷は月に一便、朔の晩やったな。荷ぃの着いた晩に踏み込んだら、現物と、受け取る手ぇが、同じ場に揃うわけや」
ルドガーはんの筆が、止まった。
「……本官は、何も申し上げておりません」
「うん。あんたは何も言うてへん。うちが勝手に、そろばん弾いただけや」
「――一般論として申し上げます。紙だけでも立ちますが、現物があれば、言い逃れの余地が消えます」
「押収も、しょっ引くのも」
「官憲と関税院の職分です。本官も、あなたも、触れません」
……ええ子や。ここまで来ても、線から足が出えへん。
役人らが粥をおかわりに立った隙に、うちは眼鏡の顔をようよう見た。
目ぇの下が黒い。頬がこけとる。指の腹には、墨とペンだこと、荒れた皮。
「あんた、三日寝てへんやろ」
「四日です」
「威張るな。……あんたな、倒れたら、うちが泣くで」
――かたん。
ペンが、卓から落ちた。
拾おうともせんと、この子は固まっとる。眼鏡の奥が真っ白になっとるんが、こっちにも分かる。
「……本官は、職務で倒れたことは、ありません」
それから、たっぷり十を数えるくらいの間があって。
「……今後は、倒れられない理由が、増えました」
うちは、なんと返したらええか分からへん。
しゃあないから、袖のほつれを見つけて、そこへ逃げた。巾着から針と糸を出して、腕をつかまえる。
「動かんとき。……王室調査室の調査官が、ほつれた袖で歩いとったら、お役所の恥や」
「本官の袖は、職務に支障ありません」
「支障は、うちに出とんねん。見ててはらはらするわ」
◇
王室調査記録 第二十四報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。関税院の荷揚げの記録と南港の船主の帳面の照合により、専売の申告に載らない入荷が一年で十一便分認められた。過年度分の確定は、押収後の帳面によるものとする。照会と記録は関税院吏員との連署による。特記事項。対象が深夜の調査室に粥を運び入れた。本官が倒れたら泣く、と述べている。本官は職務で倒れたことがない。今後は、倒れられない理由が増えた。以上。
帰りの廊下は、長かった。
石の廊下に、うちの靴の音だけが響く。窓の外は、霜の匂いの夜や。
……「倒れたら、うちが泣くで」。
あれはな、うちの決まり文句や。照子の時分から、しんどそうな常連には全部これを言うてきた。徹夜明けの兄ちゃんにも、模試の帰りの子ぉにも。定型や。挨拶みたいなもんやった。
せやのに――さっきのあれは。
うちは、廊下の真ん中で立ち止まる。
胸の奥に覚えのない熱があって、どこにも行き場がのうて、ぐるぐるしとる。窓の桟に触っても、この熱は引かへん。
「……あかん」
声に出したら、余計にあかんかった。
「この歳で、二度目てなんやねん」
六十八年生きて、店五十年。夫に先立たれて、十二年。……あの人が生きとったら、腹抱えて笑いよるわ。「照子、あんた昔からそういうとこあるわ」て、湯呑み片手に。
忘れたわけとちゃう。忘れてへんのに、別のとこが勝手に動きよるんが、始末に負えん。孫みたいな子ぉを何百人も見送ってきた婆さんが、いまさら、王宮の廊下でこんなん。
……誰にも言わん。言うたら、ほんまになる。
うちは巾着から飴を出して、自分で一粒、口に入れる。
「……甘いなあ。けったくそ悪い」
◇
工房に帰ったら、卓の真ん中に、分厚い封書が一通置いてあった。
封蝋は王家の式部のもの。中身は、季の大夜会の招待状や。
主催、王家。――共催の名を見て、うちの指が止まる。
カンドール商会。
ほんで、日付を見て、息が止まった。
次の朔の、前の晩や。




