24. 二人目の娘
冬が来る前に、片づけとかなあかん用事が一つあった。
オルテンシアが応接の卓に社交界の噂を三つ並べて、四つ目を出さんまま扇を畳む。
「……なんや。言い。四つ目が本題やろ」
「王太子殿下とポレット様のこと。あれは、家格で止まりますわ。男爵家では、婚約の内定は通りません」
……知ってた。ゲームの筋を思い出すまでもない。この国の紙の上では、そういうことになっとる。
「ほな、家の格を足したらええんやな」
「足す、とは」
「うちの家の娘にしたらええ」
オルテンシアが、扇を落とす。
その足で、書斎へ行った。
暖炉に火が入ったばかりの部屋は、紙と埃と、うっすら煙の匂いがする。父上は、机の書類から目を上げん人や。八年、そういう人やった。せやけどこの夏に一遍だけ、林檎の蜂蜜煮の湯気越しに、目ぇが合うたことがある。
「お父様。娘、もう一人増えますけど、ええな?」
父上の筆が、止まる。
三度まばたきをして、それから、ゆっくり顔を上げた。
「…………部屋は、余っている」
「おおきに!」
廊下に出たら、経理の帳面を抱えた兄上が壁に張り付いとった。話は全部聞こえとったらしい。
「待て。待ってくれ。養女の縁組は、届出と、持参金の枠と、家格の審査の手数と……いくらかかると思っている!?」
「なんぼかかんの?」
「……金貨で、十二枚と銀四十」
「安いやん」
兄上の喉から、ひゅっと音が出る。
「安い!?」
「娘が一人増えて、十二枚と銀四十て。そら安いわ。うち、飴で払たろか」
「やめろ! 王宮に飴で払うな! ……値切るなよ? 娘の値段を値切った家は、歴史にないぞ」
「値切らへん」
うちは、兄上の肩をぽんと叩く。
「むしろ足すわ」
「足すな!」
◇
翌朝――――。
調査官どのが書式の雛形を揃えとった。縁組の届、家格の照会、後見の一札。空欄のまま、全部、上等の字ぃで整えてある。
「……あんた、まさか」
「非番です」
「あんたの非番、月になんぼあるん」
「本官の月は、日数が多いのです」
あかん。この理屈、聞くたびに笑ってしまう。笑いながら、胸のどこかがちょっと痛い。この子の月の日数が多いんは、うちの用事で増えとるからや。
肝心なんは、ここからや。
夕方、工房に来たポレットちゃんを座らせて、うちは正面から言う。
「ポレットちゃん。うちの家の、娘にならへんか」
ポレットちゃんの目ぇが、まん丸になる。それから、みるみる曇っていった。
「……私は、買われるのですか」
――ええ子や。ほんまに、ええ子に育っとる。
「ちゃう。買うた売ったは、あの晩の約定書の話や。これは別勘定や」
うちは、指を二本立てる。
「一つ。借金は、あんたの家が約定の通りに返す。それは変わらへん。二つ。里のお父君お母君と、縁が切れるわけとちゃう。増えるだけや。……ほんで、三つ目がいちばん大事やで」
「……三つ目」
「あんたが、うちの家の娘になりたいかどうかだけを、聞いとる。なりとうなかったら、断り。断ったかて、飴は配るし、蜂蜜は八枚で買う。何ひとつ変わらへん」
ポレットちゃんは、長いこと黙っとった。
膝の上で、指を組んだり解いたり。目ぇが窓の外へ行って、帰ってくる。里の蜂蜜の樽と、教科書を隠された教室と、署名せんかった約定書と――たぶん、そういうもんを順に数えとるんやろ。
やがて、蚊の鳴くような声がする。
「……ずっと、お義姉様と、呼びたかったんです」
「ええやん! 呼んだってや!」
グッとサムアップでウインクを飛ばしたった。
ほんで、ここからが役所や。
里へ早馬を出した。養女の縁組は、貰う側の腹積もりだけでは一枚も進まへん。実のお父君とお母君の、同意の署名が要る。うちからも文を添えた。娘さんを取り上げるんとちゃいます、増やすだけです、里へ帰る道はいつでも開けときます――と、それだけ。
六日目に、同意書が返ってきた。男爵夫人の字ぃは震えとる。震えとるけど、名前の一字一字が、はっきり書いたある。
そこからが家格の照会と、後見の審査や。役所の紙は、急かしても急がへん。届が受理されたんは、それからさらに十日ほど経ってからのことやった。
その晩、うちはポレットちゃんの部屋を訪ねる。
櫛を持っていったんは、なんとなくや。栗色の髪を梳いてやりながら、荒れた指先に気ぃがついて、巾着から軟膏を出す。蜂蜜の樽を、この子も一緒に運んだからや。
「お義姉様は、どうして私に、こんなに」
鏡の中で、目ぇが合う。
「……昔な、店をやっとったんや」
「お店?」
「ずっと昔の話や。閉店の挨拶も言えんまま、店じまいしてもうた心残りがあってな」
櫛が、髪を滑る。ぱち、と暖炉の薪が鳴った。
言うつもりは、なかったんやけどな。
「……娘がおったら、こんなんかなあ、思うてな」
鏡の中で、ポレットちゃんの顔がくしゃっと歪む。
ええよ。泣き。今日はめでたい日ぃやさかい、なんぼでも泣き。……うちの目ぇの縁も、ちょっと熱いんは内緒や。
廊下で、床のきしむ音がした。
手帳を構えた気配が、しばらく止まって――それから、そうっと遠ざかっていく。
◇
王室調査記録 第二十三報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。本日、メリス男爵家息女のグランハルト公爵家への養女の縁組が成立した。届出は受理され、家格に関する障りは解消している。書式の不備はなく、手続きに違法はない。里方との縁組解消も伴わない。特記事項。本日の記録は、短い。対象は、良い母になる。本官の職分と無関係の所見である。記録から削るべきであるが、削らない。以上。
翌る朝、卓に着いたポレットちゃんが、粥を三杯おかわりする兄上を眺めながら、ふと言う。
「お義姉様。あの調査官さまは、お義姉様の……なんなのですか」
うちは、匙を落としかけた。
「な、なんて。……飴の毒見役や」
「毒見役は、廊下で立ち止まったりしません」
「…………朝ごはん食べ」
妹いうんは、恐ろしいもんやな。
その晩、工房の戸を叩いたんは、眼鏡やった。
手にしとるのは、関税院の窓口に上がった届出の写し。証言者からの申し出は、あの茶屋の日ぃに引いた線の通り、役所の窓口を通って回ってくる。
「証言者からです。原本は、当方で預かります」
癖のある、几帳面な字ぃ。飴の炊き方を教わった時に、卓の紙で見た、あの字ぃやった。
『季の大夜会にて、あなた様を吊るす支度がございます。どうか、お気をつけくださいませ』




