21. 番頭の帳面
晩秋の朝、工房の戸を開けたら、眼鏡が二つ並んどった。
片っぽはいつもの調査官どの。もう片っぽは、見たことのない若い男や。背丈も、眼鏡の縁の色も、立ち方の角度まで、なんや妙に似とる。
「おはようさん。……あんた、増えたん?」
「本官は増えておりません。増えたのは、人員です」
ルドガーはんが懐から、折り目のきっちりついた紙を一枚出す。
「王室調査室、ルドガー・キルシュ。本日付をもって、甘味専売の疑義の調査を命ずる。……以上が、辞令です」
「通ったんか。上申」
「通りました」
二十日前の一言が、王宮の紙になって戻ってきたわけや。
「陛下、なんて言うてはった?」
「……お受けする前に、一点、申告いたしました」
「なにを」
「『本官は、対象に――グランハルト公爵令嬢に、私情があります』と」
うちは茶ぁを吹いた。
「なんちゅうこと申告するんや!」
「事実ですので。……陛下は、書類から顔も上げません。『知っている。報告書で読んだ』と」
……読まれとる。この一年ぶん、まるっと。
「それから、こう仰いました。『私情まで書いて出す者だから任せるのだ。私情を隠す者は使えぬ』。……条件が、一つ付きました」
「条件?」
「『関税院の吏員を一人付ける。照会と記録は、連署とせよ』」
連署いうんは、同じ紙に二人で判子を押すことやそうな。裏を返せば、一人で調べるのは許されん、いうことや。
「見張り役かいな」
「相方でございます」
若いほうが、真顔でそう言うてくる。
「関税院の、荷揚げの記録係でございます。以後、照会は全て連署で行います。規定ですので」
……規定。判子が二枚に増えた。
「あんた、はんこ二号な」
「は、はんこ……二号?」
「ええ名ぁやろ。覚えやすいで」
「規定にありません」
ほんで、さっきの「私情」やけどな。あれはあれや。この一年で、うちの飴をなんぼ舐めた思うてんねん。食べすぎた自覚を役所の紙に申し立てる律儀さが、この子の芯なんやろ。
……ほんで、なんでうちの湯呑みは、今日はこんなに熱いんやろな。
昼前、工房の戸が三回鳴った。おかみ連が三人、駆け込んでくる。
「お嬢様! 商会の会頭が、会いたがってるよ!」
「ちがうよ、番頭さんだって!」
「あたしが聞いたのは、菓子屋の爺さんだよ!」
……突き合わせたら、全部おんなじ人やった。カンドール商会の番頭、五十年勤めの菓子職人上がりや。
「井戸端の網はな、目ぇが細かい代わりに、たまに魚が三匹に増えるんや」
場末の茶屋の奥座敷。番頭さんは、先に来て待っとった。
小柄で、腰が低うて、髪はほとんど白い。膝の上で揃えた手ぇを見て、うちは身ぃを乗り出す。
「あんた、その指ぇ」
「……は?」
「火傷の跡。親指の腹と、人差し指の第二関節。……飴の煮え端をなんべんもつまんで焼いた指ぇや。菓子屋の指ぇやんか」
番頭さんの肩が、跳ねた。
「まあ、飴ちゃん舐め。話はそれからや」
「……頂けません。わたくしは、あなた様の商いを潰す側の者でございます」
「知っとるよ。ほんで、うちは潰される側や。せやから茶ぁは、うちが持つ」
湯呑みを包んだ指が、白い。
「あんた、何年勤めてはるん?」
「……五十年になります。十の年から、丁稚で」
「ほな、勘定したろか」
うちの中で、そろばんの珠が鳴りだす。
「一日に三百も炊いたか? 三百として、年に三百日働いて、九万。五十年で、四百五十万や」
「……はい?」
「四百五十万個の菓子や。一個で一人笑うたとして、四百五十万人。この国の人ぃ、全部足しても足りひんで」
「あんたは五十年かけて、この国の人間を何遍も笑かしてきたんや。……ほんで、いま何が悔しいん?」
湯呑みを持つ手ぇが、震えだした。
「……夏に、下町の子が、腹を、壊しました」
「あれは、うちの店の名では出ておりません。下請けの、そのまた下請けの、名もない飴でございます。……ですが、砂糖の出所は、うちの蔵です」
見舞いに行きたかった、と番頭さんは言う。
「わたくしは……菓子で人を泣かせるために、五十年勤めたのではございません」
「本店の奥に、金庫がございます。中に、帳面がもう一組」
「夜荷は」
「南港。月に一便。朔の晩と、決まっております。月のない晩は、沖から灯が見えませんので」
……ようできとるわ。
「写しを、お持ちいたしましょうか」
「あかん」
「あんたが写しを盗ったら、あんたが罪人や。うちが受け取ったら、うちが盗品持ちや。……在り処だけでええ。触るのは、お役所の仕事や」
黙って茶ぁを飲んどった眼鏡が口を開く。
「聴取の記録を、取らせて頂きます。お名前と、お立場から」
それから、ルドガーはんが線を引き直す。以後この茶屋は使わんこと。次は関税院の窓口へ来ること。身の安全の手当ても付けること。
「証言者の保護には、規定がございます」
「規定にあんの?」
「「ございます」」
二人が同時に言うた。ええ役所や。
帰り際、番頭さんは卓に残った飴を、ちいさい手ぇで取った。
「……頂戴いたします」
「おう。舐めてから帰り」
口に入れて、番頭さんは目ぇを閉じる。しばらく動かへん。それから、ぽつりと。
「……麦芽の切りが、甘うございます」
「ほんまか!?」
「炊き上げの温度が、わずかに高うございます。差し出がましいことを――」
「ちゃうちゃう、教えて! 紙! 誰か紙持ってきて!」
敵の番頭に飴の炊き方を教わる令嬢も、なかなかおらんやろ。
◇
王室調査記録 第二十報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。本官は本日、甘味専売の疑義の調査を命ぜられた。対象は商会の番頭と面談し、二重の帳面の在り処と夜荷の便を聴取している。特記事項。対象は写しの提供を断り、在り処のみを受け取った。理由は、証言者を罪人にしないためである。本官は対象の断り方を三度書き直した。書き直しても、同じ文になる。以上。
工房に戻ったら、オルテンシアが仁王立ちしとった。
「テレージア様。ドラウム侯爵さまが、法案をお出しになりましたわ。甘味の小売、一袋につき銅貨二枚の課税。それに、製造の許可制」
「……売るほうに税ぅ乗せて、作るのに許しが要る、と」
「行商の取り分は、一袋につき二枚。……まるごと、税で消えますわ」
経理の帳面を抱えた兄上が、青い顔で寄ってくる。
「テレージア。言っておくが、法律は値切れんぞ。値切るなよ? 絶対に値切るなよ?」
「値切らへん」
うちは、前掛けを締め直す。
「役所と喧嘩する前に、役所の親玉と話つけてくるわ」
「親玉……とは」
「王前や」




