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19. 飴湯の夜

 駆け寄って抱え起こす――より先に、やることがある。うちは羽織っとった肩掛けを外して、黙って、細い背中に掛けた。


「……っ、だ、誰……」


「飴の人や。喋らんでええ。まず息ぃ、整え。……ゆっくりや。吸うて、吐いて」


 騒ぎを聞きつけた侍従はんが駆けつけて、離宮付きの医師も飛んでくる。診立てはすぐ出た。発作は峠を越えとる、あとは温めて休ませること。……夜の散歩の途中で咳が出て、離宮まであとちょっとの道が、歩けんようになっとったらしい。


「ほな、温めよか。……湯沸かし場、借りられます? 竈の火ぃと、小鍋も」


 うちは巾着から包みを二つ出した。水飴の壺の残りと、刻んで干した生姜や。今年は生姜が豊作で値ぇが下がっとる、て茶会の子ぉに聞いてから、巾着の定番に入れとる。生姜を湯に落とし、水飴をとろりと溶かす。ふわ、と甘辛い湯気が立つ。


 飴湯(あめゆ)や。てるやの冬の、裏の看板や。


 湯呑みを差し出したら、殿下は膝の上で手ぇを握ったまま、じっと湯気を見とる。


「……毒見が」


「ほな、半分こや」


 うちは先に、同じ湯呑みからひと口飲んで見せた。ほんで、押し付ける。


「はい。熱いさかい、ゆっくりな」


 細い手ぇが、おそるおそる湯呑みを包んだ。ひと口。ふた口。三口目で、強張っとった肩が、ゆるゆるほどけていくんが分かる。


「……あたたかい」


「せやろ。生姜が中から焚いて、飴が長持ちさせるんや」


 殿下は湯呑みの中を覗き込んで、それから、ぽつりと言う。


「……ぼくの国では、弱音は負けなんだ。……これ、負けじゃないの?」


「負けやあらへん。ええか、殿下。しんどい時はな、しんどい言うてええんやで。言うたら負け、いう国もあるらしいけどな――うちの国では、言わんほうが負けや」


「……どうして?」


「言わへんかったら、周りが手当を間違うからや。しんどいの種類が分からへんかったら、侍従はんかて、薬を持ってくるか湯ぅ持ってくるか、選ばれへんやろ。黙っとるんは強さと違う。手当の邪魔や」


 殿下は、長いこと黙り込んだままや。湯呑みが空になる頃、ようやっと、小さい小さい声が出た。


「……夜は、咳で、眠れない」


「……よう言うた」


 ほな、と、うちはおばちゃんの処方箋を出す。薬はお医者はんの領分やさかい、うちのは暮らしの手当だけや。枕をひとつ足して、頭を高うして寝ること。部屋に濡れ手拭いを二枚干して、空気の乾きを取ること。ほんで、寝る前に飴湯を一杯。


「侍従はん、作り方、覚えてや。生姜ひとかけ、水飴が匙に二杯、湯はこのくらい。……殿下に自分でやらせたらあきまへんよ。世話いうんはな、焼かれる側にも、練習が要るんや」


「……確と、承りました」


 辞去の間際、殿下が、肩掛けの下から言うた。


「……また、来る?」


「季節の挨拶にな。飽きたら言うてや」


「………………文を、書いてもいい? ノルトハイムの冬は、長いから」


「ええよ。往復書簡や。うちの字ぃ、ちょっと癖あるけど堪忍やで」


 白い顔に、初めて、ほんの小さい笑いの気配が乗った。……よっしゃ。今夜はこれで、満点や。


 離宮を出たら、夜風がひやりと首筋を撫でた。肩掛けは殿下に置いてきたさかい、肩がすうすうする。ぶるっと震えた――その時や。


 ふわり、と。


 肩に、重みが乗った。振り向いたら、眼鏡が自分の外套を脱いで、うちに掛け終わったとこや。


「……あんた」


「王子にばかり気を配る対象が、自分の冷えに気づいていないためです。職務です」


「職務て、あんたなあ……」


 外套は大きうて、あったこうて、インクの匂いがした。


 ……あかん。なんやの、これ。


 掛けられた側のうちが、どう襟を直しても、どう肩を動かしても、落ち着かへんのや。五十年――いや、六十八年。飴も、飯も、説教も、肩掛けも、ぜんぶうちが配る側やった。もらう側の椅子いうんは、こない尻の据わりが悪いもんやったんか。


「うちは大丈夫――」


 言いかけた言葉が、口の中で、半端に消えた。


 大丈夫や、の続きが、出てけえへん。……外套が、あったかすぎるせいや。せいや、うん。そういうことにしとき。


 並んで歩く帰り道、眼鏡はなんも言わへん。うちもなんも言わへん。足音だけが、勝手に揃うとる。


       ◇


 王室調査記録 第十八報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。対象は深夜、発作を起こした隣国の王子を介抱し、生姜と水飴の湯を供した。医師は処置を適切と認めている。王子は就寝の改善三点を受け入れ、対象と文通を約束した。特記事項。対象は自らの肩掛けを王子に残し、夜風の中を歩こうとした。本官は外套を貸与している。職務である。対象は外套の襟を、四度直した。なお本官は、寒くない。以上。


 屋敷に戻ったら、玄関でドルテさんが、走り書きの紙きれを持って待っとった。


 ポレットちゃんの字ぃや。急いで書いたんやろう、行が斜めに泳いどる。


 『商会に、呼ばれました。明日、まいります。自分の家の話ですから、まず自分で聞いてきます』


 ……あの子、育ったなあ。育った。育ったけど――相手が、悪いで。


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