17. 豹紋の夜会
仕立屋のあるじは、注文を三回聞き直した。
「……もう一度だけ、伺います。柄は?」
「豹紋で」
「豹紋。……あの、肉食獣の、豹の……ですか?」
「せや。気合の入った、ええ豹紋を頼むわ」
「ちょ、ちょっと待ってください。肉食獣の柄を、ドレスに、ですか?!」
あるじの後ろで、オルテンシアが扇で顔を隠しとる。笑いを噛み殺す音が、扇越しに漏れとる。
「あのなあ。夜会いうんは、いくさ場やろ。いくさ場に花の柄で出る武将がおるかいな。気合や。気合は、柄から入るんや」
「……なるほど。わかりません」
わからんでええから作っとくれやす、と押し切って――五日目、仮縫いを見たあるじの目ぇの色が、ころっと変わった。
「……不思議なものですな。お嬢様が着ると、柄が負けている。いえ、柄は騒がしいのです。騒がしいのに、着る方が勝っておられる。……ならば、と腕が鳴りますよ。腰の切り替えで柄を流しましょう。歩かれるたび、豹が歩いて見えます!」
「あんた、ええ職人やなあ」
職人はんいうんは、呆れの向こう側に、必ず面白がりの顔を隠し持っとるんや。
――ほんで、季の大夜会の晩である。
大広間の入り口で名ぁを呼ばれて、うちは豹紋で入場した。
「ほな、やったるでぇ!」
ざわめきが、二拍。
一拍目は「何やあの柄」の息を呑む音。二拍目が――感嘆に変わる音や。背筋を伸ばし、顎を引いて、歩くたび腰で柄を流す。着る側が柄に負けてへんかったら、柄は品になる。五十年、祭りの日ぃに派手な前掛けで店先へ立っとった人間を、なめたらあかんのやで。
「ごきげんよう、皆さま。本日は良き夜宴で、ございますわね。……あかん、もうしんどい」
「三秒ですわよ!?」
オルテンシアの小声の悲鳴を聞き流して、会場を回る。壁の花やった子ぉらが、今日は真ん中のほうで笑うとる。ええこっちゃ。
その男は、会場のいちばん静かな隅に、杯も持たんと立っとった。
白髪まじりの、背の高い痩身。勲章はひとつだけ。目ぇが人やのうて、会場ぜんたいを数えとる。……ああ、これは勘定の人や。同業の匂いがするわ。
「財務卿の、ドラウムと申す。……あなたが、麦の飴の」
「テレージアです。お噂はかねがね。専売法の、設計者はんやと」
「いかにも。先に申し上げておくが、私は甘味に興味がない。が、甘味が生む数字には、興味がある」
「奇遇ですなあ。うちも数字は大好物ですわ」
侯爵の目ぇが、初めてうちに焦点を合わせる。
「では単刀直入に。専売は、先の戦の借財を返した発明です。壊す趣味は、ご遠慮願いたい」
「発明は立派や思うてます。ほんまに。せやけど侯爵はん――発明いうんはな、直しながら使うもんですやろ」
「……直す、とは」
侯爵の眉が、ぴくりと動いた。値打ちのある問いにだけ動く眉や、あれは。
「こしらえた頃と今とでは、世間の懐が違います。十二年前に正しかった値ぇが、今日も正しいとは限らしまへん。数字のお人なら、この理屈、お分かりのはずや」
「数字の礼儀として言うておくが、飴屋の帳面と国の帳面では、桁が違う」
「桁は違うても、足し算の順番はおんなじですわ」
「……ならば一つ、数字を進呈しよう。専売の納付金は、年に金貨千二百枚。国庫の柱の一本だ。あなたの安い飴がその柱を細らせたとして――代わりの柱を、あなたは立てられるのか」
……ええ問いや。ほんまに、ええ問いや。せやから、見栄を張らんと正直に返す。
「今は、立てられまへん。うちの工房は、まだ苗木ですさかい。……せやけど、苗木の数字は育つ数字です。育ったら、帳面ごと持って参ります」
「……持って来られるものなら」
睨み合いとも世間話ともつかん間ぁが、しばらくあって――侯爵は、ふ、と息だけで笑うた。
「……面白い帳面をお持ちのようだ。いずれ、数字で伺おう」
「いつでもどうぞ。うちの帳面には、めくられて恥ずかしい頁が一枚もおへん」
別れ際、うちは癖で、飴を一粒差し出してみる。侯爵は三拍それを見て――断りもせんと、自分の懐紙を出し、包んで、胸元に仕舞うた。ほんで何も言わんと歩き去る。
……捨てへんのやな。ほな、脈ありや。
楽の調べが、変わった。
組む相手を探すざわめきの中、目の前に、見慣れた黒がすっと立つ。今日は文官服やのうて、礼装の黒や。
「警護上の必要から、一曲お願いします」
「……警護は、踊りますの?」
「本日の警護は、踊ります」
差し出された手ぇに、手ぇを重ねる。
――回された手の、確かなこと。
速うも遅うもならん歩幅。迷いのない軸。うちの豹紋がいちばんきれいに流れる回し方を、三歩で見つけてくる正確さ。ああ、この子の踊り、報告書の字ぃとおんなじや。丁寧で、正確で、それでいて、その奥に――。
とくん、と。
心拍が、一拍、飛んだ。
……なんや、いまの。
なんやねん、いまの。うちは中身六十八やぞ? 孫がおってもおかしない歳やぞ? 相手は二十四の、よりにもよって、みっちゃんの推しやぞ? 推しの子と踊って動悸したら、みっちゃんに刺されるやつやぞ?
――唱えれば唱えるほど、必死に唱えとる自分に、気づいてまうんや。
一曲が終わり、礼をして、離れる。手ぇのひらに、回された手の熱だけが残っとる。
……せや。豹紋のせいや。気合の柄は、心拍まで狂わすんや。そういうことにしとく。はい、この話、蓋。
◇
王室調査記録 第十六報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。対象は本日、季の大夜会に豹紋の衣装で出席し、社交界の話題を独占した。財務卿と専売について論戦したが、勝敗はついていない。再戦は不可避と思料する。対象は財務卿に飴を一粒贈り、財務卿は懐紙に包んで持ち帰った。特記事項。本官は警護上の必要から、対象と一曲踊った。警護上の必要の内訳は、追って整理のうえ報告する。整理は、難航している。以上。
夜会の帰り際、末席の噂話が耳に入った。
「――ノルトハイムの第三王子が、いらっしゃるんですって」
「まあ。あの、ご病弱の。療養を兼ねて、留学なさるとか」
……ノルトハイム。第三王子。病弱。
足が、止まった。
みっちゃんの声が、頭の奥で蘇る。『おばちゃん、聞いて。【きら学】の続編が出てん。体験版やってんけどな、隣の国の病弱な王子さまが闇落ちして、戦争になりかけるねん』。
――きら学の、続編や。




