残る理由は、店の外にある
「食堂があるから残るんでしょう」
音羽さんの聞き取りの席で、俺はそう言ってしまった。
東野さんは、倉庫に残る五十三人の一人だ。町の水の設備を長く見てきたと聞いていた。移動できる道が見つかったらどうしたいか、本人の希望を聞くために来ている。
「あんたの飯は助かるよ」と東野さん。「でも、残る理由をあんたの店にしないでくれ」
俺の前に、作業で擦れた手が置かれた。怒鳴らない分だけ、言葉がまっすぐ届く。
「すみません。勝手に決めました」
「この町の水が、どこから来てどこへ抜けるか、まだ俺しか説明できない所がある。安全だと言ってるんじゃない。だから書いて渡す」
「渡してから、ご自身は?」と音羽さん。
「しばらく残る。ここで直せる物があるか、見たい」
音羽さんは希望と条件を別の欄へ記した。いま設備へ入ってよい許可も、将来ずっと残れる保証も、本人の意思だけでは決まらない。
「確認できる範囲だけ同行してください。危険な所へ単独で入らないで」
「分かってる」
俺は「食事は任せてください」と言いかけた。言えば、東野さんが残る選択の後ろに、俺がずっと厨房にいる約束を貼ることになる。
「今日の昼は、確認した場所で出します」
「今日、ね」
「はい」
東野さんはそこで、少しだけ笑った。
◇
設備確認所までは、音羽さんが認めた通路を歩いた。俺は立入可能な外の位置で、東野さんと担当者が持つ紙を見た。古い図面に、使えなくなった区間を別色で記している。
「この線、昨日までの水の道です」
「今日のは?」と俺。
「確かめてない。だから図面に足さない」
東野さんの返事は、俺が料理の場所を決める時の答えと似ていた。似ていて、同じ仕事ではない。水の設備の判断を俺が引き受けることはできない。
現地の担当者が、確認できた区間だけ次の点検へ回した。東野さんは自分が知っている昔の配管と、今日見た事実を分けて記す。短い作業だったが、立ち会う人の名前が一つ減れば成り立たない。
戻り道で、彼が言った。
「昔の店、流されたんだ」
俺は返事を待つ。町の異常で失ったのか、その前なのかも分からない。
「あんたの店がここに来たから残るわけじゃない。店がなくても、俺が知ってる道はある」
「はい」
「水が使えなくなったら、俺も出る。その時は言う」
残ると言った人が、出る条件も自分で持っている。永久の決意として掲示するより、ずっと信じられた。
◇
倉庫では昼の椀が並んでいた。東野さんは一食を受け取り、ほかの住民と同じ席に座る。
「何を見てきたの?」と隣の人が聞く。
「水の線。今日見た所だけ」
「残るの?」
「今はな」
俺はそのやり取りへ入らず、藤森さんの班へ受領を返した。五十三人の食事と、東野さんが町に残る理由は別の帳面にある。
神代さんが遅れて来た。俺が外の設備を見たと聞き、顔を確かめる。
「入ってない?」
「立入できる所までです。俺は水の専門家でもありません」
「よかった」
彼女は俺の隣で椀を持った。俺は東野さんの希望を、彼女にも勝手に代弁しなかった。
夕方、音羽さんの紙には「当面は残りたい」と「条件が変われば再確認」が並んだ。どちらも本人の言葉だ。俺の食堂を理由に足さなくても、町に残る人の未来は書けた。




