食べない人にも、夕方は来る
昼の椀が一つ、いつまでも棚に残っていた。
受け取り忘れかと思い、配膳の人へ聞く。紙には受領の印がない。名前はある。倉庫の奥の部屋で暮らす女性だった。
「昨日も取りに来ませんでした」と配膳の人。「体調が悪いんでしょうか」
「医療の担当へ、確認した事実だけ伝えます」
俺が扉を開けて食事を勧めても、症状の判断はできない。本人が断っただけかもしれない。断ることと、誰にも見てもらえないことも違う。
音羽さんへ未受領を伝えると、彼女は医療担当への連絡と本人への声かけを分けた。
「食事を届ける許可は、本人に聞いてください。体調の確認は、医療の人が申し出ます」
「はい」
「真壁さんが決められるのは、出せる料理の範囲です」
よく分かっている。俺の顔にも、扉を開けに行くつもりが書いてあったのだろう。
藤森さんと一緒に部屋の前まで行き、離れて立った。藤森さんが扉を叩く。
「昼の分、まだ置いてある。どうする?」
しばらくして、内側から声がした。
「匂いがつらい。食べないって言ったら、ここを出されるの?」
「出さないよ」
藤森さんの返事は速かった。俺は続けて言う。
「温かい物以外もあります。必要なら、扉の外へ置けます」
「昨日も、今日は食べますって言わされた」
誰に、とは聞かなかった。仕事を急ぐ人間が、安心のために取った返事かもしれない。俺も同じことを言いかけていた。
「食べる約束は要りません。何が今なら口に入るかだけ、教えてもらえますか」
少しの間があって、「乾いた物なら」と返ってきた。
◇
倉庫の食材から、個包装の乾いたパンと水を選んだ。保管と表示を確かめ、藤森さんが別の受け取り人を一人立てる。俺が直接部屋へ運ぶ必要はない。
紙には「昼食辞退」とは書かなかった。今日の温食は未受領、代替の乾いた物を本人希望で用意。医療担当へは二日続いた未受領の事実と、本人の声が届いていることだけ伝える。食べたかどうかは、まだ分からない。
「五十三を五十二にするの?」と配膳担当。
「住んでいる人数は五十三です。鍋の五十三食と、食べられる物の数は別にします」
そこで藤森さんが、俺の表の「全員同じ温食」に線を引いた。
「余分に作った椀は、無理に渡さない。次は先に聞く」
彼女は味のことを気にしている様子ではなかった。受け取らない人に、自分の料理を押しつけないというだけだ。作った側には案外難しい。
夕方、医療担当が本人へ声をかけた。診察したとも、病気ではないとも、俺には報告されない。本人が水を持ち、体調について話すことには同意したとだけ音羽さんから聞いた。必要な確認は、必要な人へ渡った。
乾いたパンの包装が、扉の外の盆に置かれていた。受け取ったかどうかだけを確かめに来た俺は、そこから先を覗かなかった。
◇
夕食の準備中、朝の年配の男性が鍋の前に来た。奥さんの分を受け取る前に、掲示板を見る。
「明日は場所、決まった?」
「明日の朝の提供場所は決まりました。昼はまだ確認中です」
「前より、書いてあることが少ないな」
「確かめたことだけにしたら、こうなりました」
「うちのは、ここで食べるって」
奥さんは隣にいて、自分の椀を選んでいる。俺は男性へではなく、彼女へ熱さを伝えた。彼女は頷き、少し冷ましてから持って行った。
部屋の女性へは、夕食も同じ乾いた物か、別の物かを聞く。返事は「今日は水だけでいい」だった。医療担当への連絡は続いている。俺の椀を受け取らないことを、倉庫からいなくなったことにはしない。
外が暗くなり、食堂の片づけが始まった。食べる人と食べない人の両方に、次の朝が来る。そのことを、同じ名簿で忘れないようにした。




