おかえりなさい。ご飯、できています
開店前の朝飯を、俺は座って食べた。
卵焼きと、味噌汁。
少しだけ残っていた米を、茶碗へよそう。立ったまま口へ入れて済ませる量ではなかった。
新しい厨房では、まだ二度ほど棚を間違える。
それでも、食べ終わるまで席を立たずに済んだ。
日曜の朝。
帰路亭を開ける日だった。
◇
戸口の札を返すと、向こうの休憩所から奥村さんが顔を出した。
「開きました?」
「はい」
「では、あとで六人で来ます」
予約帳を開くまでもなかった。
六人分の席と、八人分の揚げ物。
それに神代さんの一席と、二人分。
前の店で取り消した予約を、日を決め直して受けていた。
今日は正午、七名だ。
「数は変わっていませんか」
「食べる人数は変わっていません」
料理の方には、少し余地を残した返事だった。
午前の営業は、ゆっくり始まった。
朝の荷下ろしを終えた人が、味噌汁を飲む。先を急ぐ人は包んだ物を持っていく。隣の休憩所で眠る人を、席が空いたからと起こしに行くことはしない。
閉鎖された迷宮の仕事だけで、できている町ではなかった。
目の前の客へ、今日の食事を出した。
◇
正午前、神代さんが来た。
朝の当番は、次の担当へ渡してきたという。店先で足を止め、看板を見上げてから入ってくる。
「ただいま」
俺は、盛りつけていた皿から顔を上げた。
「おかえりなさい。ご飯、できています」
彼女は笑った。
血のついた装備も、倒れそうな足取りもなかった。
奥村さんたち六人が、そのあとに来た。
今日は休みなのだと、それぞれの服装で分かる。席を合わせ、誰がどこに座るかで少し揉めた。
「端、いいですか」
「じゃあ俺が奥へ」
帰還順序を決める会話ではない。
それだけで、俺は少し嬉しかった。
揚げ物は、何回かに分けて出した。
最初の皿を置くと、奥村さんが箸を取る。
「ゆっくりで大丈夫です。今日は、食べ終わるまで座っています」
俺はうなずき、次を揚げた。
◇
白峰隊の四人も、昼に寄ってくれた。
黒瀬さん、水城さん、堂前さん、羽鳥さん。
空いている四席へ、相談しながら座る。
「カレー、四つで」
黒瀬さんが言ったところで、羽鳥さんが口を開いた。
「私、ご飯少なめ」
「俺、大盛り」
堂前さんが続け、水城さんが笑った。
失った一時間は、戻っていない。
今日の注文は、四人で決めていた。
宮前さんが最後の一席へ座ると、十二席が埋まった。
いつもの端末ではなく、財布を机へ出す。
「今日はお客さんです」
「承知しました」
相談の電話は、市の当番が受けている。
この席の全員が働き始めなければ回らない仕組みには、戻らなかった。
俺は皿を運び、空いた皿を下げた。
何もかもを話せる時間はない。だが、ここで飯を食べてもらうことはできた。
◇
昼の客が帰ると、店は一度静かになった。
厨房の音が、よく聞こえる。
神代さんは、食事代を払った。
恋人になっても、毎日の食事まで当然に無料にする話にはしていない。
「休憩する?」
彼女が聞く。
「二時の二名が来たあとに」
「その予定、忘れないでね」
俺は返事をし、休憩の時刻を確かめた。
気にしてもらうことと、全部を任せることは違う。
美津子さんと航さんは、二時に来た。
今日は運送の用事ではない。美津子さんが卵焼きを頼み、その皿へ勝手に箸を伸ばした航さんが叱られた。
俺は、厨房で笑わないようにした。
たぶん、あまり隠せていなかった。
そのあと、説明会で話した女性も来た。
入口で一度立ち止まり、焼き魚を注文した。
俺は何も尋ねず、食事を出した。
食べ終えて代金を置き、彼女は帰っていった。
それを、誰かが許してくれた証拠にはしなかった。
◇
夕方の分を終え、戸口の札を閉店へ返した。
初日は、何度も手順を間違えた。
棚へ伸ばした手が空をつかみ、釣り銭を置く場所で迷い、皿を一枚多く温めた。
それでも、出した食事の代金を受け取り、使った物と人の仕事へ払える一日になった。
明日の仕入れも決められた。
町の空いた建物が、全部埋まったわけではない。
灰岳迷宮も、再開していない。
六年前の十一人は帰らず、記録を訂正しても、その事実は変わらない。
俺は事務の棚を閉めた。
資料は捨てない。必要なときには、また開く。
けれど、毎晩そこへ戻らなければ飯を食べてはいけないわけではなかった。
厨房へ戻ると、神代さんが二つの湯呑みを出していた。
「俺がやります」
「お湯、まだ」
彼女は火をつけずに待っていた。
俺は笑って、湯を沸かした。
◇
夕食は、二人分を先に取り分けてあった。
神代さんが皿を運び、俺も自分の皿を持つ。
カウンターの向こうへ立ったままにせず、椅子を引いた。
「明日も、開ける?」
「はい。休む日は、先に知らせます」
「私も、次の当番が決まったら言う」
全部の予定を重ねる必要はない。
食べたい日を、一緒に決められればよかった。
窓の外で、遅い便の車が通った。
隣の休憩所には明かりがついている。そこでは、次の担当が働いていた。
俺は、皿の上の温かい料理を見た。
今日は、俺の分もちゃんとある。
「いただきます」
神代さんも、同じ言葉を返した。
俺は箸を取った。
(第1部完)




