表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦えない元補給係の廃ダンジョン食堂 ~血まみれのSランクを救ったら、最強探索者たちの帰還拠点になりました~  作者: sakumaaa
第二事件 帰還者名簿にいない四人目

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/13

迷宮は、置いてきた仲間の名前を消す

 人の名前を忘れる症状はある。


 その人のために席を空け、荷物を守り、水まで用意してから、名前だけを忘れる症状は聞いたことがなかった。


「器質的な異常は見つかりません」


 医療班の医師は、白峰隊三人の簡易検査結果を並べた。


「現時点では、です。脳出血、急性中毒、重度の魔素障害を示す値はない。意識は清明。長期記憶と、入域直後までの記憶も保たれています」


「午前五時九分から六時十四分だけがない」


 水城さんが言う。


「その時間に知った人間も」


 四つ目のコップは、まだ空席にある。


 医師は橙色の試験帰還札を見た。


「羽鳥さんと会ったこと自体を思い出せない。一方で、動作と情動には痕跡が残っている。医学的な診断名を、いま付けることはできません」


「治りますか」


 黒瀬さんの問いは短かった。


「分かりません」


 店内の空気が沈む。


 分からない、と言う人間は信用できる。


 信用できる答えが、役に立つとは限らない。


「ただし、三名とも同じ時間帯に同じ欠損がある。偶然や疲労だけでは説明しにくい。迷宮内で共通の要因へ曝露したと考えます」


「五時二分の濃度上昇」


 水城さんが測定端末を開く。


「五時九分に上限を超えて、その後は記録なし。六時十四分、通常値の一・四倍まで下がって再開しています」


「上限を超えたら、端末は停止するんですか」


 宮前さんが聞いた。


「いいえ。測定値を固定して警報を出します。記録そのものが消える仕様ではありません」


「人間と機械が、同じ時間を忘れた」


 八代さんがつぶやく。


 腕時計へ触れる手が、今度は止まらなかった。


「深層晶の高密度脈動」


「知っているんですか」


 神代さんの声が低くなる。


「言葉だけは」


 八代さんは革鞄から会社端末を出した。


「深層技術室が、測位誤差を生む現象として報告していました。人体影響については、正式な共有を受けていません」


「正式ではない共有は?」


「質問の仕方が会社員ですね、真壁さん」


「元です。悪い技能だけ残りました」


 八代さんは否定しなかった。


「試験計画の予算申請に、認知補助という費目がありました。担当室からは、脈動時の方向感覚低下を補う機器だと説明されています」


「それが、この札?」


 神代さんが橙色の札を指す。


「形式は同じです」


 八代さんは端末を操作した。


 社内認証。


 権限確認。


 画面に赤い警告が二度出る。


「アクセスできません」


「室長代理でも?」


「部署が違えば、会社は外国より遠いことがあります」


「便利な国境ですね」


「ええ。事故のときだけ消えます」


 八代さんは端末を伏せた。


 諦めたようには見えない。


 いま取れない情報を、取れたふりで埋めないだけだ。


「会社の回答を待つ時間はありません」


 俺は羽鳥の紙地図を広げる。


「この人の残したものから追います」


 紙は、電子端末ほど多くを記録できない。


 電池も検索機能もない。


 その代わり、魔素が濃くても、鉛筆で書いた線を勝手に消さない。


 地図の中央には、第4層西回廊。


 行政図では壁の先に、羽鳥が見つけた細い経路がある。換気井へ向かう線だ。


 線の途中へ、小さな丸が四つ。


 同じ印は、携行食の包装にもあった。


「四人の位置?」


 黒瀬さんが地図へ顔を近づける。


「おそらく」


「なぜ名前ではなく丸を」


「名前を忘れると知っていたから」


 水城さんが答えた。


 自分の言葉に、本人が息を止める。


 羽鳥は現象を知っていた。


 少なくとも、予想していた。


 地図の余白に、細かな走り書きがある。


 脈動後、固有名詞から落ちる。


 人数を声に出す。


 紙を見る。


 自分を信用しない。


「ずいぶん嫌な手順書ですね」


 宮前さんが言う。


「正しい手順書は、読む人間を少し不安にします」


「安心させるために書くものでは?」


「安心した人間は、省略します」


 六年前、俺の撤退基準は臆病すぎると言われた。


 事故のあとでは、不十分だったと言われた。


 安全手順の評価は、読む側が帰ってきたかどうかで変わる。


「この四つの丸は、移動しています」


 俺は紙を時刻順に並べる。


 一枚目、5:09。


 四つの丸は西回廊。


 二枚目、5:27。


 細い経路の入口。


 三枚目、5:51。


 換気井の手前。


 最後、6:14。


 三つの丸だけが北側階段へ続いている。


 一つは換気井に残っていた。


「羽鳥さんだ」


 堂前さんが言った。


「断定はまだです」


「でも、背嚢を渡した声がある」


「そうですね」


「命綱も切った」


「その可能性が高い」


「なら」


 堂前さんの大きな手が震えた。


「俺は、置いてきた」


「違う」


 神代さんが即座に言う。


 全員が見る。


「覚えていないことを、自分に都合が悪い方だけ決めるな」


 堂前さんは言葉を失った。


「真壁もさっき言った」


「引用料をいただきます」


「朝定食一回」


「安いですね」


「常連価格」


 神代さんは堂前さんへ視線を戻す。


「置いてきたか、先に帰されたか。まだ分からない」


 自分が二人を置いて帰った夜を知る声だった。


 短くても、届く。


「音声を、もう一度処理できます」


 水城さんが言った。


「欠けた部分は戻せません。でも、同じ受信機が複数帯域で重ねて記録していたなら、別の帯域に残っているかもしれない」


 医師が手を見る。


「震えています」


「操作はできます」


「あなた一人では、させません」


 宮前さんが市の技術職員を呼んだ。


「指示だけしてください。操作はこちらで記録します」


 水城さんは一度目を閉じ、うなずいた。


 受信機の記録素子から、三つの音声帯域を取り出す。


 一つは雑音。


 一つは石の破砕音。


 最後の一つへ、声が薄く残っていた。


 波形を重ねる。


 最初の音声が戻る。


『羽鳥。聞こえる?』


 女の声だった。


 水城さんの声だ。


 本人は、自分の声を知らない人のもののように聞いている。


『聞こえる。名前はどうでもいい。紙を見て』


 軽い調子の返答。


 石が崩れる。


『黒瀬さん、盾を横へ。水城さん、数値を読まないで。丸を数えて。堂前さん、私の背嚢を持って』


 白峰隊の三人が、同時に顔を上げた。


 名前を呼ばれても、思い出せない。


 それでも、身体はその指示に従って地上まで帰った。


『一緒に来い』


 黒瀬さんの声。


『換気井の留め具が戻る。誰かが押さえないと、三人とも通れない』


『なら俺が残る』


 堂前さん。


『あなたが残ったら、誰が三人分の荷物を持つの』


『四人分だ』


『そう。それを忘れないで』


 羽鳥の声に、笑いが混じっていた。


 切迫した場面で笑える人間は二種類いる。


 余裕があるか、余裕がないと悟らせたくないか。


 羽鳥は後者だった。


『札も持って。私が忘れても、あなたが忘れても』


 大きな破砕音。


 第7話で欠けていた部分が、別の帯域から戻る。


『四人いたことを、置いていかないで』


 命綱を切る音。


 黒瀬さんの怒鳴り声。


 三人分の呼吸が遠ざかる。


 最後に、羽鳥の独り言が残っていた。


『さて。私は、誰を逃がしたんだっけ』


 そこで音声は終わった。


 誰もすぐには話さなかった。


 水城さんが空席のコップへ水を足す。


「生きている」


 黒瀬さんが言う。


「そう信じたい、ではなく?」


「生きている前提で動きます。隊長として」


 初めて、不確かな言葉を避けなかった。


「救助隊を出してください」


 宮前さんへ向く。


「現場再入域は、国の監督官と消防の承認が必要です。三名には認知症状がある。すぐ許可は」


「俺たちが道を知っています」


「覚えていないでしょう」


「身体が覚えている」


「それを安全根拠にはできません」


 正しい。


 正しい言葉同士がぶつかると、時間だけが減る。


「紙を使います」


 俺は羽鳥の地図を指した。


「白峰隊の身体感覚だけにも、電子記録だけにも依存しない。羽鳥さんの紙地図、地上からの時刻管理、有線の帰還線を組み合わせます」


「真壁さんは入るつもりですか」


「入りません」


 神代さんがこちらを見る。


「意外」


「俺の魔素適応では、同じ脈動を受ければ指揮系統が一人増えるだけです」


「じゃあ、誰が」


「地上で帰路を維持します」


 前回は、自分が入らなければ誰も帰せないと思った。


 今回は違う。


 入る人間へ仕事を渡す。


 それも兵站だった。


 八代さんの端末が鳴った。


 画面には、先ほどまでなかった文書が開いている。


「どこから」


 宮前さんが聞く。


「試験札の保守領域です。会社のサーバーではなく、札本体に緊急手順が残っていました」


 八代さんは画面を公的端末へ向けた。


 試験番号、C4-MN。


 高密度脈動時、電子記録の欠損および曝露中に形成された記憶の定着阻害。


 症状発生時は、紙媒体の指示へ切り替える。


 単独行動者は、次回脈動前に退避する。


「人体影響を、知っていた」


 宮前さんの声が硬くなる。


「深層技術室は」


 八代さんは、自分の会社名を言わなかった。


 紙地図の最後には、脈動の間隔が計算されていた。


 5:09。


 前回観測値から十二時間五分。


 次回予測、17:14。誤差二十分。


 換気井の留め具は、脈動に合わせて閉じる。


 羽鳥へ通じる細い経路ごと。


 時計は午前九時四十二分。


 最も早ければ、午後四時五十四分。


「あと七時間十二分」


 水城さんが言う。


「準備を一時間で終えます」


 俺はホワイトボードを客席の中央へ戻した。


 一週間前に、四人分の名前を消した板だ。


 新しく五人分の欄を引く。


 入域、四。


 帰還予定、五。


 最後に、締切を書く。


 午後四時五十四分。


 羽鳥澪の名前を、今度は消すためではなく、迎えに行くために書いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ