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戦えない元補給係の廃ダンジョン食堂 ~血まみれのSランクを救ったら、最強探索者たちの帰還拠点になりました~  作者: sakumaaa
第十五事件 残る責任と続けられる仕事

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知らなかったとは、もう言わせない

 橙色の札は、袋に入っていた。

 羽鳥さんは触れようとせず、その正面に座った。


「これを渡されたとき、安全のためだと言われました」


 向かいに座る男が、札から顔を上げた。

 三枝泰成。東都開発の深層技術室長。六年前の当時も、その部署を率いていた責任者だった。


 木曜の午後、国と市の調査担当者が、追加照会で確認した内容を説明する席が設けられた。会社側と当事者が同席している。裁判でもなければ、この場で誰かの刑罰を決めるわけでもない。

 だが今日、ここには『本社』という抽象的な言葉の向こうに隠れていた人間が座っていた。


「測位と行動記録を補助するための試験でした」


 三枝が答えた。


「それが役に立つ目的だったことは、伺いました」


 俺が言うと、彼はこちらへ視線を向けた。


「危険を分かっていたのかどうかを、今日は聞きたいんです」


◇


 調査担当者が、試験札の発行記録と実施承認の書類を机に置いた。

 停止扱いとなっていた型式を、灰岳での限定検証に限って運用する。その承認者の欄に、三枝の名前が記されていた。


 羽鳥さんへの依頼は、その承認を受けた技術室の運用担当者から直接出ていた。

 行政への正規の名簿提出は省かれ、会社内の試験用名簿で済ませたことにされていた。


「この承認は、ご自身のものですか」

「はい」


 羽鳥さんが、膝の上で両手を固く組んだ。


「私は、忘れられるかもしれないと分かってから、必死で紙へ書き留めました。渡す前から分かっていた危険を、どうして全部教えてくれなかったんですか」


 三枝は、机の上の札を見つめた。


「高密度の脈動環境でなければ、位置の補正は十分に機能すると判断していました」

「もし、高密度になったら?」


 返答が遅れた。

 隣の八代さんは、彼に代わって口を開こうとはしなかった。


「電子記録にも、曝露中の人間の記憶にも、欠損が生じる可能性がありました」


 本人の口から、その言葉が出た。

 羽鳥さんは頷かなかった。ただ聞いた、という顔のまま、席に座り続けた。


◇


 六年前の通信記録も、追加の照会によって裏付けが取れていた。

 現場から送信された控えだけでなく、本社側で受信した記録と、当時の当番による確認が一致したのだ。


 午後一時二十六分。

 北線、人員確認未了。


「この報告を受けたのは」


 俺が尋ねる。


「私です」


 三枝が答えた。

 調査担当者は受信ログを示し、本人の証言と一致した事実を確認していく。


 十一人全員の位置や負傷の内訳まで、三枝が把握していた証拠ではない。

 だが、全員の帰還が確認できていないという事実は、確かに届いていた。


「そのあと、乾式試験区画の設備保全を優先するよう求めたわけですね」

「はい。ですが、北線の扉を閉鎖しろと指示したのは私ではありません」

「直接閉鎖を命じたのが榊原さんであることは、崩しません」


 俺は保全票の写しへ手を置いた。


「あなたが事前に知っていた事実も、変えないでください」


 三枝の視線が、俺の指先へと落ちた。


「人を受け入れるために区画を開放すれば、設備が使えなくなる構造だったことはご存じでしたね」

「承知していました」

「別の受け入れ先の手配は」

「現場統括が判断するものと」

「実際に確認したんですか」


 彼は口を閉ざした。

 浜田さんからも、まったく同じ形の答えを聞いていた。


「……確認は、していません」


 俺は机から手を引いた。

 拳で机を叩きたい衝動はあった。だが叩いたところで、そこに新しい受け入れ先が現れるわけではない。


「その設備を失ったら、何が止まる予定だったんですか」


 三枝は、初めて間を置かずに答えた。


「実用化の試験そのものです。今後の資源事業の計画にも、外部との契約にも直結していました。一度失った設備を再び揃えるだけの期間は、開発日程の予定に入っていませんでした」


 設備を失う側の焦りは、今の俺にも分かってしまう。

 分かってしまう自分が、少し悔しかった。


「日程の予定にないから、生身の人間を受け入れる退路を確認しなかったんですね」


 三枝は、重く息を吐き出した。


「……設備を残すことを、優先しました」


 短い告白だった。

 その言葉を、調査担当者が本人へ向けて淡々と読み返した。


◇


 複製された帰還札の管理鍵についても、同じ席で事実確認が行われた。

 下請けの古賀へ渡っていた鍵は、何者かに盗み出されたものではなかった。技術室が照合の代行用として貸与を承認し、現場の運用担当から正式に引き渡されていたのだ。

 その承認欄にも、三枝の名があった。


「人件費を浮かせるための不正な複製まで、承認した覚えはありません」


 三枝が言った。


「古賀さん自身の判断も、別に記録します」


 宮前さんが答える。


「しかし、発行事業者の正規の権限を誰へ渡し、その運用をどう管理していたか。その監督責任は、こちらに残ります」


 すべてを一人の人間が実行したわけではない。

 だからといって、誰の責任でもなくなるわけではなかった。


 説明が終わり、担当者が袋に入った札を保管へ戻した。

 羽鳥さんは、その手が離れる瞬間まで見つめていた。


「私たちの記憶は、戻るんでしょうか」


 三枝は何か言いかけ、言葉を止めた。

 同席していた医療側の担当者が、記憶の回復を保証する知見は得られていない、と静かに告げた。


 羽鳥さんは「分かりました」とだけ答えた。


 俺は、今ここで安易な慰めの言葉をかけてはいけないと感じていた。

 彼女が失った時間を、自分の怒りの結論へ使うことはできなかった。


◇


 会議室を出ると、廊下で黒瀬さんが待っていた。


「帰るか」

「うん」


 羽鳥さんはごく自然に、その隣へと歩み寄った。

 過去の記憶を取り戻したわけではない。いま、目の前で待ってくれている人の方へ歩き出したのだ。


 八代さんが俺へ声をかけてきた。


「今日確認された内容は、会社の公式回答にも反映させます。個人の責任論だけで終わらせるつもりはありません」

「八代さんが、全部背負い込むんですか」

「いいえ。私が署名できない責任まで、自分の名前で引き受けるつもりはありません」


 彼女は手元の資料を閉じた。

 本社のシステムへ戻るための鍵を取り出したわけではなかった。


「正式な回答を待っています」


 俺はそう伝え、三人と共に建物の出口へ向かった。

 あの日、事実を知っていた人間の名前は明らかになった。

 次は、その人間を雇用し、その判断を通した組織としての答えだった。

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