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戦えない元補給係の廃ダンジョン食堂 ~血まみれのSランクを救ったら、最強探索者たちの帰還拠点になりました~  作者: sakumaaa
第十四事件 町を出る人の弁当

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あなたの店のために、残るんじゃない

 美津子さんの名前を、俺は紙から消した。

 名前を消せば済む話ではなかった。


「すみません。明日の面接のことは、伺っていました」

「聞いてましたね」


 美津子さんは静かに返した。

 航さんが、俺と母親の顔を交互に見比べた。


「母さん、別に一日くらい」

「あなたの一日と、私の一日は同じ予定じゃない」


 航さんが口を閉ざした。

 俺自身も、航さんと同じ思い込みを抱いていたのだと気づかされた。


 明日の配達がうまくいけば、次の注文につながるかもしれない。

 二人が残ってくれれば、俺も仕事を続けやすい。

 その先に、新しい帰路亭の姿を描けるかもしれない。


 美津子さんが望んだ生活の順番は、そこにはなかった。


「お二人で運送を続けたいはずだと、俺が勝手に決めていました」


 俺が言うと、彼女はその紙を受け取った。

 消された自分の名前の箇所を、親指の腹で押さえる。


「私は、いったん外で働きたいんです。注文が戻るかもしれないって、毎日口座を見るのをやめたい」


 彼女の爪の端に、小さなひび割れがあった。

 納品のたび、いつもその指先で伝票の数量と代金を確かめていた。


「この店がもう一度できたら、嬉しいです。でも、あなたの店のために残るんじゃない」


 俺は深くうなずいた。

 胸の奥が痛んだが、耳を塞いでやり過ごしていい痛みではなかった。


「面接には、行ってください。明日の朝の弁当も、ご注文どおりにお作りします」


 美津子さんは息を吐いた。


「そのために来たんです」


 ◇


 車をどうするかは、別の問題として残った。

 美津子さんはすでに買い取りの査定を頼んでいた。車を維持して待つにも金がかかる。


「明日の一回で、車を売らないって約束はできないよ」


 息子へ向けた言葉だった。

 航さんは受け渡し口に置いていた鍵を握りしめた。


「一回やってみて、いくら手元に残るか確かめたいんだ」

「仕事代を全部、車に入れたら?」

「……それなら、続けられない」


 言い切ったあと、航さんは自分で少し驚いたような顔をした。

 その現実的な答えを自分の口から出したのは、これが初めてだったのかもしれない。


 俺は新しい紙を取り出した。


「明日の運転と荷扱いには、航さんへ日当三千円を出します。車の使用と燃料は、それとは別に美津子さんへ支払います。航さんの日当から、あとで引く形にはしません」


 美津子さんへ向けて、車の使用と燃料の条件を尋ねた。

 彼女は費用を挙げ、それなら明日の一便は使わせられると答えた。今週中に収支を見て、金曜に売却の判断をする。明日の一件だけで、金曜まで毎日仕事があることにはしない。


「俺が次を探します」


 航さんが言った。


「でも、勝手に入る回収はやりません。今日、断りました」


 美津子さんは、携帯を見せろとは言わなかった。


「じゃあ、明日の行き先を教えて」


 俺が紙へ配達先を書き留め、航さんが位置関係を確認した。

 母親をここに留めるための手順ではなく、息子が一便を確実に届けるための手順へと、ようやく書き改められた。


 ◇


 神代さんから、当番を終えたとの連絡が入った。

 こちらへ寄れるというので、厨房を弁当業者へ返す時刻までに来てもらった。営業用の料理を新しく作るのではなく、片づけを終えたあとに責任者が使わせてくれる休憩場所で話す。


「明日の分、決まった?」


 彼女は手荷物を下ろして尋ねた。


「十八食、一便です。美津子さんは面接へ行き、航さんが配送を担当します」

「そっか」


 神代さんは机の上の紙に目を落とした。

 消し跡の残る、最初の一枚が下から覗いていた。


「うまくいかなかった?」

「一緒に残ってもらう前提の計画を、勝手に作ってしまいました」


 彼女はまっすぐに俺を見た。


「頼んだの?」

「その前に、名前を書き入れてしまいました」


 口にすると、言い訳の余地などどこにもなかった。

 神代さんは椅子へ座り、しばらく何も言わなかった。


「人を無事に帰す段取りと、自分のそばにいてほしいという都合が、混ざってしまいました」


 俺は続けた。


「あの二人がいてくれると、俺自身も店を続けやすいですから」

「うん」

「よくないですね」

「頼めばいいと思う。勝手に決めないで」


 思わず顔を上げた。

 彼女は、消した美津子さんの名前の上に指を置いた。


「断る方も、ちゃんと選べるように」


 俺はその紙を裏返した。

 今度は、最初から本人へ言葉で伝える。


「明日、配達が終わったら一緒にご飯を食べませんか」


 神代さんは、すぐにはうなずかなかった。

 携帯を取り出し、自分の予定を確認する。


「夕方なら」

「では、夕方に」

「仕事を増やさないでね。そのために」


 それも、先に釘を刺してもらえてよかった。


 ◇


 引き上げる前に、明日の朝に使う保温容器を並べた。

 弁当業者から借りる備品のため、返却時刻も決めてある。航さんは箱の並びを見て、荷台へ収めやすい順に置き直した。


「調理が仕上がる順で並べていました」

「明日は、荷台に収める順に変えます」


 俺は箱を戻さなかった。

 運ぶ人の仕事には、運ぶ人にとっての正しい順番があった。


 美津子さんが、息子の置き直した箱を見つめた。


「紐も忘れないで」

「持ってる」

「予備は?」

「ある」


 返事がだんだんと短くなっていく。

 危険な回収依頼を断るときよりも、こちらの方がよほど難しそうな顔をしていた。


 俺は美津子さんの注文票を手に取り、明日の受け取り時刻を再確認した。

 朝の七時半、一つ。

 現場へ届ける十八食とは、完全に別口だった。


 十九個の弁当容器を数え終え、蓋の重なりをそろえた。

 母親と息子の進む先を、同じにする必要はもうなかった。

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