危ない仕事を断ったら、何が残りますか
電話を三本かけて、注文はゼロだった。
一件目は、自社の弁当がある。
二件目は、明日は作業をしない。
三件目は、欲しいが予算を決める人が不在だった。
最後の一件を、手元のメモへ十八食の注文として書き足したくなった。
俺は人数だけを書き留め、丸で囲むのを思いとどまった。
「決まりましたか?」
航さんが尋ねてきた。
借用厨房の受け渡し口で、車の鍵を指の間に挟んだままでいる。危険な回収依頼への返事は、まだしていなかった。
「まだです。決める方へつないでもらっています」
「俺が直接営業に回った方が早くないですか」
「回る時間にも、燃料代にも限りがあります。まずは電話で確認します」
そう答えてから、自分の言い方が仕事を頼む人のものになっていたと気づいた。
航さんを雇ったわけではない。
「今日は、ここで働いてもらう約束ではありません。別の用事があるなら行ってください」
「用事がないから、ここにいるんです」
返す言葉が詰まった。
神代さんは出発前に、少しだけその場に残っていた。
俺のメモを覗き込み、十八という数字を指で示す。
「これは、注文?」
「問い合わせです」
「じゃあ、まだお金にはならない」
その通りだった。
数字を書けば、段取りは作れる。だが、払うと決めた相手のいない数字では、航さんへ運賃を払えない。
「危険な仕事は、断ってもらいたいです」
俺が言うと、神代さんは小さくうなずいた。
「私もそう思う。でも、断ったあとの分は?」
彼女は、危険な仕事は断るべきだと言った俺を責めているのではなかった。
言い終わったあとに何が残るのかを、聞いていた。
「今日のうちに、一件でも条件を確定させます」
「無理な約束にはしないでね」
神代さんは自分の荷物を持ち上げた。
行かないで手伝ってくれと頼めば、予定を調整してくれるかもしれない。
だが、俺は言わなかった。
「当番、気をつけて」
「うん。夕方に連絡する」
受け渡し口から、その背中を見送った。
◇
厨房を貸してくれた弁当業者の責任者が、明日の使用予定を確認しに来た。
明日の午前も、引き続き厨房を使える。昼の片づけを終えたところで、相手の仕込みへ返す約束だ。
「数が増えるなら、冷蔵庫の場所も先に決めましょう」
「注文が確定したら、すぐにお伝えします」
「確定していない分の食材は、入れないでくださいね」
俺はメモの十八を見た。
先に仕入れに走れば、気持ちだけは楽になる。
仕事が始まったように思えるからだ。
だが、売れなかった食材を勝手に持ち込むのは、再出発ではなく他人の厨房へ損を預けることだった。
航さんが、携帯の画面を眺めていた。
回収依頼の相手から、返事を待っているという連絡が入っていた。
「許可を取ってからなら受けられる、って返信してもいいですか」
「許可の範囲と、安全な経路を確認してからです。今日、無許可で入る仕事を引き受ける返事はしないでください」
彼は画面に指を置いたまま、少し考え込んだ。
「……許可が出たら連絡をください、って返します。今の条件では受けないって」
俺が代わりに送らなかった。
航さんが文面を見直し、自分で送信した。
危険な仕事を一件、断った。
安全になったはずなのに、彼の手元には何の仕事も増えなかった。
「ありがとうございます」と言いかけて、俺は飲み込んだ。
誰への礼なのか、分からなかった。
◇
午後三時を過ぎて、折り返しの電話が来た。
閉鎖区域の外で道路の復旧準備をしている班だった。明日の昼に十八食ほしいという問い合わせで、注文を決める現場責任者と支払窓口につながった。
「配達先は、下の資材置場でよろしいですか」
『予定ではそこです。現場の状況で変わる可能性はあります』
「変わる場合は、出発前までに連絡をお願いします。連絡先も二つください」
担当者の名前と電話番号を控える。
受け取る人、食べる人、払う人が、同じとは限らなかった。
配送料を含めた金額を伝え、相手が確認するのを待つ。
電話の向こうで、短い相談が聞こえた。
『それでお願いします。明日一回、まず試したいです』
一回。
来月の契約ではなかった。
俺は十八を、ようやく丸で囲んだ。
机の上から、航さんへそのメモを見せる。
「十八食。明日の昼、一便です」
航さんの顔が上がった。
「俺が運べますか」
「車と運送の条件を、美津子さんも含めて確認してからです。お金は運送の仕事として払います。無償で手伝ってもらう話ではありません」
「はい」
返事が、朝よりはっきりした。
責任者へ確定した数を伝え、必要な食材を注文する。
その電話をかけるためだけに、数時間かかった。
前の店なら、冷蔵庫を開ければ始められた仕事だった。
◇
美津子さんが戻ってきたころ、俺は明日の手順を紙に書き出していた。
航さんが運転と荷扱い。俺が調理と注文の連絡。美津子さんには、配車の確認と請求の整理を頼めないかと思った。
「この形なら、二人で仕事を続けられませんか」
紙を差し出すと、美津子さんはすぐには受け取らなかった。
「明日だけの、十八食ですよね」
「はい。まず一回ですが、続けば」
「私、明日は面接なんです」
分かっていた。
朝、自分で弁当の注文を受けた。
美津子さんの視線が、手順の中に書いた自分の名前で止まった。
「私がここに残る前提で、組んだんですか」
俺は紙へ目を落とした。
承諾をもらっていない担当者の名前を、勝手にそこへ書き込んでいた。




