来週の予約を、まだ消したくない
六人分の予約なのに、揚げ物は八人分と書かれていた。
「数が合っていませんが」
「食べる数は合ってます」
電話の向こうで、奥村さんが即答した。
西口物流休憩所の交代組で、来週の日曜に昼飯を食べに来るらしい。六人とも大人だ。余分の二人分がどこへ入るかまで確認する仕事ではない。
「一度に揚げると、お出しする時間に差が出ます」
「休みの日くらい、順番を待てますよ」
予約帳に、正午、六名、と書いた。
帰還予定でも訓練でもない。仕事が休みの人が、飯を食いに来る約束だった。
電話を切ると、神代さんがカウンター越しに帳面を見た。
「私も、その日に来ようかな」
「揚げ物の追加なら、今のうちにお願いします」
「まだ何も言ってない」
「目が言いました」
彼女は少し考えてから、二本指を立てた。
俺は鉛筆を持ち直した。
昨日聞いた調査結果は、事務の棚にある。今朝は一度も開いていない。忘れたわけではなかった。ただ、来週の鶏肉を注文する仕事もあった。
入口で台車の車輪が鳴った。
「すみません。今日は手前から運びます」
早瀬航さんが、米袋を載せて入ってきた。いつものトラックが窓から見えない。
「どこへ止めたんですか」
「下の広場です。道路の点検で、切り返しの場所が使えなくて」
続いて入ってきた美津子さんは、納品書より先に腕時計を見た。
「次の便には間に合います。ただ、これが毎日だと配達順を変えないとね」
俺は荷物を受け取り、二人へ水を出した。航さんの作業着の背中が湿っている。米の重さは変わらなくても、運ぶ距離が延びれば仕事は増える。
「裏の道は使えませんでしたか」
「空車なら試せるかもしれませんけど、今日は荷物があります。曲がるところで落としたら、運賃より弁償代が高いです」
美津子さんが笑わずに言った。
近道の話を、俺は引っ込めた。
◇
朝の客が引けたところで、宮前さんが作業着の男を連れてきた。
市の施設担当、岡部さん。建物の所有者が手配した調査班と一緒に、地上構内の搬送路を確認しているという。
「北線の作業再開ですか」
「いいえ。北線の許可停止はそのままです。今日は地上の道路と、緊急時の車の出入りを見ます」
宮前さんの答えを聞いてから、俺は前掛けを外した。
神代さんも食器を返し、ついてくる。昼前から西口の救助待機に入る予定で、今なら少し時間があるそうだ。
外へ出ると、いつもの配達車が曲がる角に、点検用の柵が置かれていた。
旧ゲート前の広場から町へ下りる通常の車道は、斜面を回り込んでいる。その途中の排水と路肩を、作業員が調べていた。
「ここが塞がった場合の出入りを、先に見ておきたいんです」
岡部さんは図面を広げたが、すぐに畳み直した。
「歩いた方が早いですね」
建物の裏へ回る。
帰路亭の裏口から使っている通路は、外周の古い管理道へつながっていた。町へ下りる先はある。しかし、店の裏角と擁壁に挟まれた部分で急に細くなり、曲がりもきつい。
歩いて通るぶんには困らない。
俺もゴミや空箱を運ぶたびに使っている。だが、救急車の車体を置いて考えたことはなかった。
岡部さんが路面へ目印を置く。車の幅だけではなく、曲がるときに外へ振れる分まで、作業員が長い棒で示した。
棒の端が、厨房の壁に当たった。
「ここですね」
神代さんが、壁と目印の間を見た。
「小さい車なら?」
「候補には残しています。ただ、搬送する人の状態によって使える車が違います。道へ入れるだけでは足りません」
岡部さんは棒を戻した。
俺は厨房の壁を見上げた。内側には、食器棚と作業台がある。昨日、二人分の皿を出した場所だった。
「車が通るようにするには、ここを削るんですか」
「壁だけ外せば済むとは言えません。屋根と柱も確認しています。厨房をそのまま残せる前提では計画できないです」
岡部さんの声は、脅す調子ではなかった。
そのためか、余計にはっきり聞こえた。
「今すぐ工事をする話ではありません」
宮前さんが言った。
「通常路は点検中で、通行の可否は道路担当が判断します。代替路を使う場合も、所有者との協議と工事の確認が必要です。真壁さんに、ここで決めていただく話ではありません」
「はい」
返事をしたあと、厨房へつながる窓を見た。
窓の内側に、朝洗った笊が掛かっていた。昨日と同じ向きで、同じ場所にある。
まだ、何も決まっていない。
それなのに、俺は店の中の物を順番に思い浮かべていた。
◇
店へ戻ると、揚げ物用の油が届いていた。
航さんが缶を持ち上げようとするのを止め、先に床の空箱をどける。
「来週、何かあるんですか。いつもより多いですね」
「昼の予約です。六人で八人分。そこに神代さんが二人分です」
「全部で、どのくらいですか」
「今のところ十人分です」
神代さんが何も言わず、手洗いへ向かった。
責任の所在が分かりやすい沈黙だった。
美津子さんは次回の納品日を確認し、そこで一度ペンを止めた。
「道の都合が変わったら、前の日までに教えてください。こちらも、止めるか、手運びの便にするか決めますから」
「分かりました。無理に運んでもらうことはしません」
「その代わり、運ぶ分はちゃんといただきます」
「もちろんです」
そういう話ができることに、少し安心した。
先のことを何一つ決められなくても、今日の荷物には代金があり、次の便には約束がある。
二人を見送って厨房へ戻り、棚の扉を開けた。
奥の蝶番が少し鳴る。改装のとき自分で締め直したが、重い皿を入れるとまた鳴り出す。
いずれ交換しようと思って、そのままだった。
「直すの?」
神代さんが、俺の手元を見ていた。
無意識に、蝶番へ指をかけていたらしい。
「ええ。休みの日にでも」
「来週?」
「来週は揚げ物です」
彼女は小さく笑い、出していた上着を羽織った。
待機の時間が近づいていた。
「さっきの話、気になる?」
否定しようとして、やめた。
「ここ、ようやく使いやすくなったんですよ」
作業台へ手を置く。
鍋をどこへ下ろすか。振り返ったとき何が取れるか。一人で何枚の皿を出せるか。半年かけて決めて、それでも営業を始めてから何度も変えた。
「なくなったら、困ります」
「私も困る」
思わず顔を上げた。
「ご飯だけじゃないよ」
神代さんはそれ以上説明せず、カウンターに置いていた予備鍵を取り、俺へ確かめるように見せた。
「夕方、返すものがあるから寄る」
「食事は?」
「食べる」
そこは迷わなかった。
彼女を送り出し、俺は予約帳を開いた。
六名。揚げ物十人分。
その下へ、神代さんの席を一つ足した。
電話が鳴った。宮前さんからだった。
道路担当の追加点検が、明日の朝にも入るという。工事を決めた連絡ではなく、まず荷受けの時間をずらせるかという相談だった。
「早瀬さんにも伝えます。厨房の確認が必要なら、昼の営業前にお願いします」
来週の予約については、聞かれなかった。
俺も、消すとは言わなかった。
鉛筆を置き、昼の米を研いだ。
今日はまだ、ここで炊ける。




