守った設備と、帰らなかった十一人
人の名前が、二つ並んでいた。
閉鎖判断と指示、榊原隆臣。
地上端末での確認操作、浜田浩一。
土曜の午前、再調査の読み合わせの席で、俺はその二行を見つめていた。無機質な『共用資格』という文字列だけではない。本人の申告、当直日誌、入退室ログ、そして現場連絡票を突き合わせた結果だった。
「十三時三十四分における北線受け入れ終了について、現時点で確認された範囲を読み上げます」
国の調査担当官が言った。
浜田さんは背筋をまっすぐに伸ばし、両手を膝の上で揃えている。
現場統括から指示が届いたこと。
帰還人数が未確認であると口頭で伝えたこと。
それでも端末上で受け入れ終了を確認し、扉の閉鎖へ進む許可信号を送出したこと。
浜田さんの申告による部分と、機械や紙の記録が裏付ける部分とが、順を追って区別されていく。
「この区分で、間違いありませんか」
「……間違いありません」
浜田さんが答える。
俺は、その返事を最後まで聞いた。
六年前、十一人の命が失われたとき、『計画不備』という言葉が俺の名前だけに貼りつけられた。現場で何が決断されたのかという中身よりも、誰を処分して幕を引いたかという形式だけが独り歩きした。
あのときと同じ過ちを、逆の立場で繰り返すためにここへ座っているわけではない。
「保全対象の項目も、読み上げをお願いします」
俺が促すと、担当官は手元の資料を次の頁へとめくった。
乾式試験区画。
深層晶の校正設備。
取得済みの試験データ、および設備の再使用状態の維持。
旧受け入れ建屋にいた民間作業員は、十三時十八分までに外へ退避していた。荷役業者の点呼記録と門の通過ログが、それを裏付けている。
これは、十三時三十四分に管理棟の当直として在所していた浜田さんとは別の人員だ。受け入れ建屋には、設備が残っていた。
「北線から人を受けるには、試験区画の保護を解く案がありました。設備を維持したままでは使えない案です」
担当官が、昨日現地で確認した図面を示す。
「ただし、それで十一名全員が生還できたと、この調査だけで断定はしません。当日の移動能力、濃度、圧力には未確認の点が残ります」
俺は頷いた。
開けてさえいれば全員が助かったのだと断言してしまえば、一瞬は怒りのやり場が見つかって楽になるかもしれない。
だが、安易な仮定で空白を埋めてしまえば、彼らが最後に何を背負い、どこまで歩いていたのかを突き止める道筋まで閉ざしてしまう。
「今日確認できたのは、設備の保護を優先する指示が出て、帰還人数が確認されないまま、人を受ける側が閉じられたことですね」
「はい」
担当官の返答は簡潔だった。
その短さだけで、いまは十分だった。
◇
本社技術系統の保全票も、調査資料から外されなかった。
その票が求めていたのは、設備とデータの保全だった。北線の閉鎖操作を直接命じた票ではない。それでも、現場統括より上流から設備保全を求めた記録として、調査の外へ出すことはできない。
未帰還者の状況が本社のどの段階で誰へ伝わっていたのかは、まだ照合が要る。
八代さんが、担当官の説明を一通り聞き終えたところで口を開いた。
「会社側の指示系統も、このまま調査対象にしてください。榊原一人の名前が入ったことで、上流の記録を外さないでください」
誰も拍手はしなかった。
会社の人間が自分の会社の記録を残すよう求める。それは本来、特別なことではないはずだった。
最後に、かつて俺が起草した受け入れ手順書についても読み上げられた。
地上側の受け入れ要員が削減されたあとも、旧式の運用手順がシステムに残り続けていたこと。人員配置の実態と設備の設定が一致しない構造を、どの承認過程で残したのか。
「俺が書いた手順だからといって、当時の現場の判断まで俺一人に背負わせるのは筋が違います。同時に、俺が当時反対したからといって、遠征開始確認書へ署名した責任を資料から外すのも違います」
言葉にしようとすると、喉が詰まりかけた。
神代さんは何も口を挟まず、机の端にあった水のボトルを、俺の手の届く位置へ寄せてくれた。
「遠征開始確認書への俺の署名と、要員を削った判断と、その日の閉鎖指示と確認操作は、別々に残してください」
宮前さんが要点を確認し、資料の束を揃えた。
曝露中の記憶と電子記録に欠損が生じうることは、当時の試験資料にも書かれていた。それにもかかわらず、人の確認がないまま、設備の『終了』が使われた。
ただ機械の不具合を疑っていた頃よりも、はっきりした形で間違いが見える。
誰が押したか。
誰が閉じろと言ったか。
何を守るためだったか。
その三つには、答えが出た。
ただし、本社の誰が未帰還者の状況を知っていたかは、その答えに含まれない。
刑事責任や賠償が、この会議室で確定したわけではない。遺族への説明も、俺が代わりに済ませてよいものではない。
調査担当官は、今日の照合結果を正式な再調査資料へまとめ、関係機関への引き継ぎを進めると告げた。
浜田さんが、自分の供述内容の確認欄へ署名した。
書き終えても、ペンを持ったまま動かなかった。
「真壁さん」
名前を呼ばれ、顔を上げた。
「……あの朝、温かい食事を出していただいて」
「そのことと、今の調査結果は別です」
きつい返しになった。
でも、そこだけは混ぜたくなかった。
「俺の店で飯を食べたことを、許された証拠にはしないでください」
浜田さんは、しばらく俺を見ていた。
やがてペンを置く。
「……分かりました」
その返事まで記録してほしいとは言わなかった。
俺が覚えていればいい話もある。
◇
役所からの帰り道、神代さんが隣で歩幅を緩めた。
「少し、楽になった?」
俺は歩きながら考えた。
長いこと欲しかった名前が分かった。扉が閉じられた理由も分かった。
「まだ……よく分かりませんね」
「そっか」
「これですっきりした、と言える気がしていたんですが」
「今日じゃなくてもいいと思う」
神代さんはそれだけ短く返し、また歩き出した。
俺を励ますための結論まで、用意しなかった。
帰路亭へ着くと、入口脇に回収用の空箱が積まれ、早瀬運送のトラックが止まっていた。
「お疲れさまです。冷蔵の荷物もあるので、数量の確認をお願いします」
美津子さんが納品書の控えを指で押さえながら声をかけてきた。
俺は控えを受け取り、ポケットから鍵を出して店の錠を開けた。入口の荷物台を空け、冷蔵の荷物を受け入れる場所を作る。
航さんが荷台から台車を下ろした。
「この空箱は、もう引き取って大丈夫ですか」
「はい。中は空です」
「軽くて助かります」
航さんが空箱を台車へ載せ、俺は冷蔵の荷物を控えと照合して入口の台へ移した。
当たり前のやり取りだった。
厨房では、夕方の分の仕込みが待っていた。
戻らなかった十一人のことを考える場所と、今日の客のために包丁を持つ場所が、同じ建物にある。
俺は鞄から調査資料を取り出し、厨房の作業台ではなく、事務用の書類棚へ置いた。
「神代さん。今日は何が食べたいですか」
「生姜焼き」
「昨日の残りを知らずに言いましたね」
「真壁さんなら作れると思った」
冷蔵庫を開けた。作れる。
ただし、客に出す分と自分たちの分を最初から分けておかなければ、また俺だけ食べ損ねる。
神代さんが皿を二枚出した。
まだ肉を焼いていないのに、逃げ道を塞がれた気がした。
夕方の営業が始まる。
最初の注文は、大盛り二つだった。
俺は返事をして、火をつけた。
棚に置いた六年前の資料へ、手を戻すことはなかった。




