あの日、守ったものを言ってください
「私が、受け入れ終了を確認しました」
午後の会議室で、浜田さんは朝と同じ言葉を口にした。
だが今度は、俺だけに向けられた告白ではなかった。
宮前さんと国の調査担当官が正面に座り、浜田さんの同意を得たうえで記録していく。俺は当時の補給計画と地上受け入れ手順を説明する立場として、末席に控えていた。
まず、昨日見つかった操作ログとの突き合わせが行われた。
端末番号。操作ログ番号。十三時三十四分。
共用の当直資格だけでは個人を特定できなかったが、当時の当直割当表と入退室記録は、その時刻に浜田さんがその場にいたことを裏付けていた。
「操作の直前、何を確認しましたか」
調査担当に問われ、浜田さんは配られた資料の写しへ視線を落とした。
「北線の圧力が上がっていました。乾式区画へ戻さないように、という指示が入っていたんです」
「誰からの指示ですか」
「榊原さんです」
俺は膝の上で、両手を静かに重ねた。
驚きはなかった。自分がまったく驚いていないことに、少し遅れて気づいた。
あいつならそう判断するだろう、と俺はずっと思っていた。
だが、そう確信していたからといって、それだけで公的な記録に書き加えていい理由にはならない。
「指示は口頭でしたか」
「内線電話です。操作を指定する連絡票も残っているはずです」
「その現物が、今この場にありますか」
「手元にはありません。ただ、連絡票の整理番号を、その日の個人控えに書き写しました」
浜田さんがノートの写しを差し出した。持参した原本そのものは、すでに調査担当へ預けてあるという。
俺はその番号を目にしても、見覚えがあるとは言わなかった。自分が当時控えた数字ではない以上、軽はずみな口出しはできない。
宮前さんが手元の端末から既存の保全資料へ照会をかける間、調査担当は人員確認の核心へと戻った。
「入域者の帰還は確認しましたか」
「していません」
「では、なぜ受け入れ終了の操作を選んだのですか」
浜田さんの視線が、こちらへ向いた。
俺は頷き返さなかった。
「あれは、あくまで設備系統を切り離す操作だと思っていました。帰還していない人の調査や救助判断は、別に続くものだと……」
机の上には、二種類の操作画面の写しが並べられている。
片方は人員の帰還確認。もう片方は設備の安全保全。本来は別々の書類だが、あの古い制御盤においては、同じ一つの『終了状態』へと結びついてしまっていた。
「あの操作で、扉が閉鎖することは知っていたんですね」
口を開いたのは俺だった。調査担当がこちらを見たので、それ以上は言葉を止めた。担当官は短く一度だけ頷き、浜田さんの答えを促した。
「……知っていました」
「中から来る人は、通れなくなる」
「はい」
何も知らなかった人ではない。
その境界線を明確に引いた瞬間、浜田さんの肩が硬く強張った。
「地上へ戻ろうとしている人がまだいるかもしれない、とは伝えました。そうしたら、北線での受け入れは終了、救助の判断は本部で引き取るから、と」
「別の帰路は示されましたか」
「いいえ」
俺の隣で、神代さんが組んでいた指を静かに解いた。
机の脚に片膝が触れる微かな音がして、それきり静寂が戻る。
昨日、彼女は『閉鎖は認めない』と言い切った。
その言葉が、六年前の内線電話の向こうには存在しなかったのだ。
◇
一時休憩が入り、俺は廊下の窓際へ移動した。
自販機で買ったボトルのキャップが妙に固く、二度力を込めて開けると、指の腹に赤い筋が残った。
「聞きたいこと、まだある?」
神代さんが隣へ並んだ。
「ありますよ。もっとも、聞いたところで、俺が本当に欲しい答えにはならないでしょうけど」
「欲しい答えって?」
俺は冷たい水を一口含んだ。
「……押さなかった、と言ってほしかったんでしょうね」
口にしてから、ひどく愚かな話だと苦笑した。必死になって記録を探しに来て、いざ証拠が見つかれば、そんな事実はなかったことになればいいと願っている。
神代さんは否定も慰めも口にしなかった。
「続き、聞く?」
「聞きます」
「なら、戻ろう」
歩き出す彼女についていった。
戻るかどうかまで、任せずに済んだ。
聴取が再開され、俺は持参していた当時の旧手順書を提示した。
帰還人数の確認手順。保温スペースの確保。医療班への引き継ぎルート。最終版のマニュアルでは、地上側の担当要員が削られていた。
「この手順書を作ったのは俺です。実際の現場から人員が削減されたあとも、画面の仕様として残り続けていた」
浜田さんが小さく頷く。
「画面上では、そのまま操作できてしまいました」
「操作できる画面があることと、実際に生身の人間を受け入れられる体制があることは別物です。その違いを明確に分ける仕組みが足りなかった」
自分の責任を明らかにすることが、浜田さんの言い逃れの材料になっては困る。俺は二枚の資料を意識して引き離した。
「ただし、俺が手順書を作成したことと、その日その場で閉鎖操作を実行したことはまったく別です。その操作に至った経緯も、きっちりと記録に残してください」
調査担当が頷き、両者を別の調査項目として記録に加えた。
浜田さんもまた、自分が行った確認と操作をもう一度述べた。
宮前さんの端末が短く震える。かつての事故調査で保全されていた連絡票の束から、浜田さんの控えた番号と一致する一枚が見つかったのだ。
画面をこちらへ向けてもらう。
『乾式試験区画保全』
『北線側受け入れ終了』
現場統括の指示者欄には、『榊原隆臣』の名が記されていた。
浜田さんの証言だけで浮かんでいた名前が、別の記録にも現れた。
「この指示は、何を守るためのものだったのですか」
調査担当が尋ねる。
浜田さんは連絡票の表題をじっと見つめた。
「……試験区画へ、迷宮からの汚染した空気を入れないためです」
「地上側の作業員を守るため、ですか」
今度の返答には、重い間が落ちた。
「そういう説明は、受けていません」
俺は手元の手順図をめくった。『乾式試験区画』という名称は、帰還食の配給計画にも、担架の搬送路にも一切登場しない。受け入れに使わない区画として、太い境界線の外側へ除外されていた。
「その区画には、何が置かれていたんですか」
「深層晶の校正設備です。作業員は、それ以前に外へ出ていました」
神代さんが、すっとこちらに視線を向けた。
俺もまた、図面から顔を上げた。
「今の話どおり人がいなかったなら、その部屋を守るために、人が戻る側を閉じたんですか」
浜田さんは唇を固く結んだ。
「……私が電話で受けた指示は、そういう内容でした」
感情任せに断定しそうになった俺を、宮前さんが冷静な声で制した。
「設備の状態と、当時の配置状況を個別に突き合わせます。地上側へ危険を広げないために必要だった可能性も、まだ残ります」
俺は息を整えて頷いた。
怒りをぶつけるための材料だけを揃えて帰るのでは、わざわざここへ来た意味がない。
「あの日、その設備を失ってでも、戻ってくる人を受け入れる選択肢があったのか。そこを検証したいです」
調査担当官が、俺の提示した論点を正式な記録へ書き加えた。
浜田さんが顔を上げる。
「図面だけでは分かりにくいと思います。現場の床面に、系統の切替位置が残っています」
その場所を指し示した指は、今朝、古びた鞄の取っ手を固く握りしめて離せなかった手と同じだった。
明日、市の管理者と設備担当の立ち会いのもと、地上側の旧受け入れ建屋を現地確認することが決定した。迷宮の封鎖区画の奥へ踏み込むわけではない。
俺は手元の図面を閉じ、古い手順書の束を鞄へと収めた。
閉鎖した人には、何を閉じたのかも説明してもらう。




