その証拠は、置いて帰ってください
『六人、第三扉を通過しました』
午後三時十一分。成瀬さんの報告を聞いてから、俺は地図の第三扉に丸をつけた。
現地確認六。置いてきた人はいない。
次は第二扉。その枠を越えれば、西口まで担架を転がせる。
塩見さんが、地上盤と手元の計器を見比べていた。
「第二扉も、この上がり方なら長くは保ちません」
「現場の値は」
『こちらも上がっています』
長峰さんが答えた。
単に表示が異常なだけなら、機械の故障を疑えば済む。だが今は、扉の向こうとこちら側が、同じ危険を示していた。
『第三扉の閉鎖を、現場からも確認しました』
低い作動音が、通話に混じった。
さっきまで六人がいた場所へ戻る道が、閉じた。
俺は全員が出た時刻をもう一度確かめた。午後三時十一分。閉鎖はその後。そこだけは、取り違えない。
「記録器は、第三扉の内側ですね」
『はい。置いたままです』
成瀬さんが答え、少し声を落とした。
『第二扉の脇に、現場側の読出し口があります。そこからなら、取り出せるかもしれません。機械そのものではなく、中身を』
「どれくらいかかりますか」
『正常なら数分です。ただ、途中で切れたら最初からになる』
数分。
いちばん怖い見積もりだった。
六年前の十三時三十四分。あの操作が何だったか分かれば、十一人が帰れなかった理由へ近づける。
今まで手に入れたのは、欠けた時刻と、待っていた人の証言だった。
ここまで来ている。
その思いが、今の六人ではなく記録へ向きかけた。
『読まない。帰るよ』
神代さんの声がした。
『成瀬さんの手が離れたら、段差で担架が止まる。柴崎さんを先に出す』
俺はすぐには返答できなかった。
通話器の縁にかけた指が、強く曲がっていた。
『真壁さん』
名前を呼ばれた。問い返す声ではない。俺の答えを待っている。
「……その証拠は、置いて帰ってください」
言うと、指がほどけた。
「地上側でできることを探します。そちらは足を止めないでください」
『うん』
成瀬さんも『了解しました』と返した。誰も記録を諦めたことを責めなかった。
惜しんでいたのは俺だ。
◇
第二扉の警告が、短い間隔に変わった。
六人はその手前で、浮いた排水溝の蓋を避けながら担架を通している。片側を持ち上げるたび、車輪の音が止まる。
「これ以上、閉鎖を保留し続けることはできません」
塩見さんが告げた。
「安全装置の上限を越えます」
「安全装置を切れとは頼みません。人のいない支線を先に閉じれば、こちらへ来る圧力は減らせますか」
前に使った方法でも、同じ効果があるとは限らない。
俺は第二扉へつながる枝を一つ示し、指を止めた。
塩見さんが配管図を開く。
「この計測支線なら、流入を減らせる可能性があります。ただ、北線本体の通路ではありません」
「東側水路班の退路にも重なりませんか」
「別系統です。使用状態を確認します」
帰路亭の宮前さんへ、その支線の名称を伝えた。西口の鍵貸出にも、今日の入域原本にも使用者の記載はない。現場の長峰さんも、入口に作業者はおらず、作業札も使用中になっていないと報告した。
原本だけでも、現場だけでも済ませない。二つの確認を突き合わせる。
宮前さんが操作条件を読み上げた。
『試行は一回。圧力が下がらなければ復帰。人のいる通路には閉鎖操作をかけない』
「お願いします。今、六人を西口へ通すためです」
塩見さんが対象を復唱した。俺が指した図と、操作する支線を合わせてから、レバーを動かす。
盤面の数字は、すぐには下がらなかった。
『第二扉まで、あと少し』
神代さんの声が入る。
『枠を越えるから担架を持ち上げる。相良さん、そっち側をお願い』
何も手を出せない時間が続いた。
地図を見ても、曲がった線が真っ直ぐになるわけではない。受話器へ余計な焦りを漏らさないよう、俺は机の縁を握った。
「下がりました」
塩見さんが言った。長峰さんの計器も、少し遅れて下がる。
「この状態を保持できるのは、あと何分ですか」
「六人が第二扉を通る間は監視を続けられます。ですが、安定したとは見なせません」
時計を見る。午後三時十九分。
現場へ、こちらの判断を渡す。
「新しくできた余裕を、記録の回収には使いません。そのまま西口へ」
『分かってる。今、柴崎さんを持ち上げる』
痛みをこらえる声がした。
すぐ後に、成瀬さんが止める。
『一度、下ろします。持つ位置を変えます』
時計の秒針が動く。急げ、と言いそうになった。
だが担架が傾けば、今度は怪我が増える。持つ位置を決めるのは、その重さを受けている人間だ。
神代さんが呼吸を合わせた。
『せーの』
金具が枠へ当たる、鈍い音。
次に、車輪が転がった。
『担架、越えた』
『相良、越えました。藤枝も』
『長峰、通過。成瀬さんの線、持ちます』
最後に神代さんの声が続いた。
『私も出た。六人、第二扉の外』
午後三時二十二分。
俺は息を吐いた。吐いた分だけ、次の言葉が楽になった。
「西口は受け入れ準備済みです。走らず、その速度で」
宮前さんが地上の医療班へ連絡する。全員の測定値は通常区分。帰路亭の高濃度受け入れを使う案件ではない。柴崎さんは西口から直接医療へ渡し、ほかの三人も初期確認を受ける。
六人が第二扉から離れたことを現場で確認してから、塩見さんが保留操作を終えた。第二扉が閉じた後、試験した計測支線も安全を確かめて元へ戻す。人を通したからと、設備を操作途中で放置しない。
有線索を巻く音が近づいてきた。
西口の山根さんが人数を読み上げる。
『保守班、四名通過。救助班、二名通過』
午後三時三十四分。
四人の予定帰還より六分早く、六人が地上へ出た。
十三時三十四分の下に、十五時三十四分と書いた。
並べた数字から昔の答えは出ない。それでも、今日の欄には誰も取り残していない。
『真壁さん。記録器、持って帰れなかった』
神代さんの声が、今度は地上から届いた。
「六人、帰ってきました」
それだけ答えると、彼女は小さく息を吐いた。
塩見さんが背後で、履歴の読出しを終えたと告げる。
俺は振り返る前に、医療への引き継ぎを最後まで聞いた。




