返事がなくても、四人は消せない
黄色いランプが、また一つ増えた。
北線管理棟の制御盤で、第二圧力扉の下にある第三圧力扉の表示が点灯する。どちらも『閉鎖待機』。まだ閉じてはいない。だが、悠長に待っていていい色には見えなかった。
「成瀬さん。電源を落としたら、扉の動きは止まりますか」
「閉じます。停電時は閉鎖側です」
聞いておいてよかった。古い機械に腹を立てて電源を切るのは、事務所の端末までにしておくべきだ。
成瀬さんは盤の下から配線図を引き出した。俺が覗き込むと、確認すべき箇所を指先で示してくれる。
「作業中は、現場側から自動閉鎖を保留できます。ですが切替試験で保留を解除すると、地上側が保持していた終了状態がそのまま適用される」
「今日の作業が本当に終わったかどうかとは、無関係に」
「ええ。誰も新しく承認操作をしていなくても、です」
今朝つなぎ直した通信線が、古い終了状態を中央表へと運んでしまったのだ。中の班は回線の切替作業を始めており、その頃から応答が途絶えている。
同じ『終了』が、人の記録では未確認者を消し、扉の側では閉鎖を進めようとしていた。
宮前さんが西口へ連絡を入れる。入域原本に記載された四人の帰還予定は、午後三時四十分。貸し出した入域鍵は、作業班が持ったままだ。帰路亭にも、救急待機所にも、物流休憩所にも、到着の報せは届いていない。
そのとき、盤から短く警告音が鳴った。
『終了確認の再送要求』
「中央の端末にも出ました」
宮前さんが告げる。
受話器の向こうから、神代さんの声が重なった。
『未確認、四。閉鎖は認めない』
俺は口を開きかけた。成瀬さんに図面の続きを確認し、条件を整理してから伝えるつもりだったのだ。
だが、彼女の言葉に付け足すものはなかった。
「その判断でお願いします。現場の保留操作と、地上側の保持状態が食い違っています」
『受付の終了は返さない。扉は、そっちで止められる?』
「今、確認しています」
分からないことまで分かったふりをする必要はない。神代さんは、こちらの続きを待った。
成瀬さんが盤面の切替スイッチを指差す。
「ここで地上からの自動終了を保留できます。ただし、現場の圧力が限界を超えれば閉じる。安全装置のインターロックそのものは切れません」
「何分猶予が作れますか」
「この表示だけでは算出できません。現場の測定値が必要です」
宮前さんの承認を受けて、成瀬さんが自動終了を保留した。二つの黄色いランプは消えず、点滅へと変わる。扉の位置を示す表示は、開いたままだった。
これで、声を探すための時間は稼げた。だが、帰り道の安全が保証されたわけではない。
「通話を戻しましょう。現場からの返事が要ります」
俺は青い通信端子の側へ移動した。古い閉鎖記録を確かめたい思いはある。十三時三十四分という数字が、視界の端に引っかかって離れない。
それでも、今日の四人が先だ。
◇
回線切替の作業票は西口詰所に残されていた。宮前さんに内容を読み上げてもらい、成瀬さんが図面の配線を指で辿る。
「試験先の回線を呼び出し続けていますね。現場の親機が元の作業回線へ戻っていれば、こちらの声は届きません」
「ですが、呼出音はずっと鳴っています」
「それは地上側の発信器が出している音です。向こうの受話器が鳴っている保証にはなりません」
あの規則正しい電子音を、回線がつながっている証拠だと思い込みかけていた。
返事の返らない受話器を、握り直す。
成瀬さんが携帯通話器を取り出した。電源と接続先を入念に確認し、扉の制御端子には触れず、元の作業回線へと繋ぎ込む。
「北線保守班。こちら地上です。聞こえる方、応答してください」
ざらりとした雑音。
少しの間を置き、もう一度。
宮前さんが手元のメモに時刻を記す。午後二時二十七分。誰も『早く次を』と急かしたりはしない。相手が受話器を探す時間を残してから、俺はマイクへ呼びかけた。
『……聞こえます』
女性の声だった。
『長峰です。親機が落ちました。私の子機を、壁の端子口へ直接つないでいます』
「四人全員一緒ですか」
『はい。第三圧力扉の内側です。柴崎が足を痛めています』
宮前さんが顔を上げた。
「全員のお名前を、一人ずつ確認させてください」
長峰さんの声に続き、相良さんの低い返答が入る。藤枝さんはこちらの受信状態を二度確認してきた。
最後の一人は、深く息を吸い込んでから名乗った。
『柴崎、廉です。すみません……荷物を降ろすときに、足を滑らせました』
「謝る必要はありません。今は座れていますか」
『座っています。相良さんに支えてもらって』
俺は救急への回線接続を宮前さんへ頼んだ。本人が歩けると言ったところで、ここから怪我の度合いを確認することはできない。受話器越しに素人判断で治療を始める気もなかった。
これで、四人全員の返事が揃った。
まず、その確かな事実を中央表へ渡す。
『四人、応答確認』
神代さんの復唱が届く。
『迎えに行く準備をする。中央は誰に渡す?』
「私が戻ります」
宮前さんは迷わず答え、北線の保守案件を正式に救助事案へと切り替えた。市の設備担当をもう一名この管理棟へ招集し、成瀬さんが現地へ入れる体制を整える。
「真壁さんはこのまま残って、地上の搬送計画を詰めてください。盤の操作は交代で来る設備当番へ引き継ぎを」
「了解しました」
俺は制御盤の前から半歩下がった。操作できる距離に立っているからといって、すべてが自分の仕事になるわけではない。
受話器を取り、長峰さんへ扉の状態を尋ねる。
『第三は開いています。ただ、差圧が上がってきている。第二にも警告が出ました』
「地上へ出るには、第三と第二の両方を通過する必要がありますね」
『そうです。N4分岐から西口へ戻る、通常と同じ退避路です』
「現場の近くに、四人で安全に待機できる場所はありますか」
『作業用の退避棚があります。ここなら扉の稼働域から離れられます』
成瀬さんが図面を指で押さえ、そこなら扉の可動範囲外だと頷いた。救急担当からも、柴崎さんを無理に立たせないよう指示が飛ぶ。四人は現場作業を完全に打ち切り、退避棚へ避難することになった。
壁の端子口へつないだ長峰さんの子機は、その場に残す。
『いったん通話を離れます。移動が終わり次第、戻って報告します』
「何分ほどかかりそうですか」
『三分、ください』
「分かりました。三分間、こちらからは呼び続けません」
通話器を置く音がした。
その直前、回線の奥で誰かが『急がなくていい』と声をかけているのが聞こえた。
約束の三分間を使って、俺は搬送機材の在庫状況を確認した。担架、有線索、予備の照明。神代さんと成瀬さんの二人で中へ入り、自力歩行できる三人にも退路の安全確認を分担してもらう。怪我をした人間を無理に助ける側へ組み込むような計画にはしない。
有線機から、神代さんの装備確認が届いた。
『担架と予備灯は積んだ。食事も済ませた』
「最後の項目、俺が尋ねる前に言いましたね」
『聞くと思ったから』
「正解です」
少しだけ息が緩んだ。向こうでも、装備の留め具をしっかりと締め直す音が響いている。
長峰さんが通話口へ戻ってきたのは、三分が経つ少し前だった。
『四人全員、退避棚へ移りました。柴崎は座らせたままです。私は今、受話器の前に戻りました』
「ありがとうございます。救助班の入域準備を進めます。今度は四人で帰るための段取りを合わせましょう」
午後二時四十二分。成瀬さんは交代の設備当番へ制御盤を引き継ぎ、西口詰所へと向かった。宮前さんも帰路亭へ戻り、中央表の引き継ぎに入った。
手元には、これから四人が越えなければならない二枚の扉の図面が残された。
十三時三十四分の表示記録は、その横へよける。
今日の四人は、まだこちらへ声を返せる。
今度は俺たちが、その声の届くうちに間に合わせる番だ。




