帰っていない四人に、受け入れ終了が出た
午後二時六分。
帰還者が一人も戻ってきていない時間に、未確認者の数が四人減った。
「真壁さん、北線の欄を見てください」
宮前さんの声は、今朝の六人の帰還を処理したときの速さを保ったままだった。帰路亭の紙の中央表は、市の照合端末にも写してある。画面上には、現在も迷宮へ入域中の班が二つ残っていた。
東側水路点検班、三名。この欄は白いままだ。
旧北線保守班、四名。そちらの欄だけが、色を失って灰色に沈んでいた。
『受付終了』
『未確認者、ゼロ』
四つ並んだ空欄が、正しく整列している。共同で監視している表が、正しい形式を保ったまま、四人を未確認者の記録から落としたのだ。
「四名は、いつ帰還しましたか」
「帰っていません」
「地上門の通過記録は」
「ゼロです」
「医療確認は」
「ゼロ」
「鍵の返却は」
「ありません」
ゼロを四つ重ねたところで、帰還済みにはならない。入域した人数は四のまま、地上門の通過はゼロ、鍵も返却されていない。終わった側へデータを移せる根拠は、画面の色が変わったことだけだ。
俺は中央表の画面の自動更新を一時停止した。止めたのは表示だけだ。システム裏での受信自体は続いており、更新を再開すれば『受付終了』という誤った状態が上書きされてしまう。迷宮の扉にも、現場の通信回線にも、まだ触れてはいない。
「北線保守班の、入域原本を出してください」
宮前さんが、西口詰所との氏名照合用有線をつなぐ。
『こちら西口。北線、あります。午後零時二十一分、四名入域』
「氏名と役割を」
『班長、相良崇。制御設備、長峰恵。配線、藤枝佑。運搬、柴崎廉』
灰色に沈んだ欄へ、四人の名前を強制的に入力し直す。手元の紙にも、同じ順番で書き写して残す。
相良崇。
長峰恵。
藤枝佑。
柴崎廉。
入域、四。
地上門通過、ゼロ。
未確認者、四。
システムの受信欄には、未確認者を再びゼロへと書き換えようとする次の更新データが、すでにいくつも滞留していた。俺は自動確定のチェックボックスを外す。外した瞬間、警告の確認窓がポップアップした。
『旧設備からの状態と不一致があります。手動で継続しますか』
『継続』を選ぶ。次に、判断者の氏名と、その判断理由の入力を求められた。
『真壁修司。入域原本四、地上門通過ゼロ、鍵返却ゼロ』
理由まで入力して、ようやく灰色の浸食が止まった。新しい中央表のシステムは、旧設備よりも賢くできている。ただし、確認画面のステップを一枚増やしたからといって、判断の責任まで自動で正しくなるわけではない。
「どこから終了の信号が来ていますか」
「今朝つないだ支援三拠点の、どれからでもありません」
宮前さんが同期履歴のログを開く。送信元の表示は『旧北線地上側・受け入れ制御盤』となっていた。新しい支援三拠点の中央表は、西口だけでなく、長らく停止していた北線の有線記録も照合の対象に含めていた。六年前からまったく同じ形式の帰還札を使い続けていたためだ。その古い制御盤は、長いあいだ単独でそこに残っていた。今日、初めて中央表とデータがつながったのだ。
「旧盤がある場所は」
「北線管理棟です。封鎖区画の外側ですね。市の設備担当なら開錠できます」
「ただの通信中継器ではありませんね」
「受け入れ制御盤です。帰還予定時刻と、受付中か終了かというステータスを保持しています」
俺は上着を取った。神代さんはすでに立ち上がっていた。だが、壁に立てかけた片刃剣には触れていない。彼女の視線は画面ではなく、紙に書かれた四人の名前に注がれていた。
「中にいる四人の、最後の応答は」
「午後一時二十六分。N4分岐。四名、負傷なし。これから受け入れ側の回線切替試験を始める、という報告でした」
「予定帰還時刻は」
「午後三時四十分です」
予定帰還時刻までは、まだ一時間以上も残っている。帰還予定はまだ未来にあり、入域鍵も返っていない。それなのに設備は、四人を勝手に『終わった側』へと移したのだ。
「通信は」
「呼び出しを続けています」
有線機から、一定間隔の無機質な呼出音が流れ続ける。一回。二回。三回。応答はない。
宮前さんが、別の回線を開いた。
「西口、北線保守班の入域時の装備を確認してください。携帯有線子機は四台ですか」
『親機が一台、子機が三台です。親機は相良、子機は長峰、藤枝、柴崎。予備電池は二組持っています』
「最後の受信強度は」
『午後一時二十六分、四台とも基準内でした。その後、親機から回線切替開始の報告がありました。終了信号は受けていません』
現場からの終了信号は、少なくとも西口の詰所では受け取っていない。だとすれば、現場の終了信号とはまったく別に、地上側の古い制御盤だけが『終了状態』を保持し続けていた可能性を消しきれなかった。
神代さんが、有線機の横へ静かに手を置いた。
「入るなら、人数を決める」
「まだ入域の判断はしません」
「分かってる。決める準備」
以前の神代さんなら、まず自分の剣を取ってから人数を尋ねていただろう。だが今は、誰が地上に残って表を守るのかを先に見極めようとしている。
「俺と宮前さんは、旧盤の確認へ行きます。神代さんは、中央表を」
「真壁さんが盤を見る。私が、四人を残す」
「お願いします」
任せる言葉が、前よりもずっと短く自然に出た。神代さんは四枚の札を、紙の中央表のいちばん上の端へ移動させた。俺が画面の方へ目を移しても、決して四人を見失わない位置だ。自動更新を停止させた画面の欄の名前と、紙の上の札の並びが、まったく同じ向きで揃った。
◇
北線管理棟の空気は、長年使われていない金属特有の冷たい匂いがした。設備担当の成瀬さんが重い錠を開ける。室内のいちばん奥に、無骨な灰色の制御盤が一台だけ残されていた。新しい市の端末へと交換されず、取り残された旧式だ。
「電源は落としていなかったんですか」
「圧力扉の状態を保持するために必要だったんです」
成瀬さんは盤の下部パネルを開く前に、反対側にある固定具へそっと触れた。
「通信だけが物理的に切られていました。今朝の照合テストで、その有線を戻したんです」
「中継器と扉の制御は、別系統ですか」
「はい。扉を握っているのは、こっちの盤です」
成瀬さんは、通信線の端子と扉制御の端子を一本ずつ指さした。前者は青、後者は黄色だ。青をつないだからといって、黄色が新しく生まれたわけではない。黄色い端子は、ずっと盤の中に残っていたのだ。
「戻したのは、照合用の通信線だけです。閉鎖の承認操作なんてしていません」
成瀬さんは、黄色い端子を外さずに表示窓を確かめた。こちらで操作していなくても、盤が内部で何を保持しているかはまったく別の問題だ。
『受け入れ制御盤』
『帰還予定』
『受付中・終了』
『圧力扉インターロック』
液晶の表示窓に、同じ文字列が浮かび上がっている。
『北線受け入れ終了』
『確認時刻、十三時三十四分』
俺の指先が止まった。六年前、十一人の応答があったのは午後一時二十二分。そしてその十二分後、北線の受け入れは『終了』と記録された。事故記録に残されていた時刻と、まったく同じだ。
「今日の十三時三十四分かどうかも、この盤面だけでは分かりません」
宮前さんが、表示履歴の詳細を読み解く。
「日付のデータ欄が欠損しています。時刻の数字だけが保持された状態で、システムと同期されています」
「故障ですか」
「まだ断定はできません」
俺は盤の下に貼られた、入出力の一覧表を見た。通信線の再接続は、情報を運んできただけにすぎない。だが、この盤の『終了』という状態は、扉の制御系に直結している。どの承認状態が現在保持され、それが今の扉へどう作用しているかは、さらに照合が必要だ。
盤の右端で、黄色いランプが点灯した。
『北線第二圧力扉』
『閉鎖待機』
扉が実際に閉鎖されたという表示ではない。
有線機が鳴った。
『真壁さん』
神代さんだった。
『終了扱いの更新候補が、まだこっちに届いてる』
「消さないでください」
『手動の欄は守ってる。未確認、四』
「盤の状態がどうあろうと、その四人を残してください」
『うん。四人とも、まだ中にいる』
十三時三十四分。六年前の記録とまったく同じ時刻が、現在の『閉鎖待機』の表示に並んでいる。どの日付の記録かも、誰が判断したのかも、今の表示からは分からない。
俺は成瀬さんへ、盤のログ履歴を残すよう頼んだ。誰が、いつ、この『終了状態』を残したのか。その答えを待つ前に、まずは今迷宮内にいる四人の帰り道を確保しなければならない。




