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戦えない元補給係の廃ダンジョン食堂 ~血まみれのSランクを救ったら、最強探索者たちの帰還拠点になりました~  作者: sakumaaa
第十事件 営業時間外の帰還者

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名前を渡さず、帰還者を引き継ぐ

 午後七時四分。

 帰路亭の中央表から、六人の名前を消した。


『訓練なのに?』

 西口の有線機越しに、神代さんが訊いてくる。


「訓練だからです。明日の帰還者名を、必要のない場所へ配る練習にはしません」


 残したのは、仮の受付番号が六つ。W―01からW―06。名前を記した紙は表の端へ伏せて重ね、番号の札だけを列に並べた。


 西口詰所は帰還原本で氏名を確かめる。救急待機所へ渡すのは受付番号、症状、歩行の可否。物流休憩所へ渡すのは受付番号と、座席を使う人数だけだ。帰路亭の中央表だけが、原本側の氏名と各番号の現在地を照合する。


 表の端には、次へ渡す条件も書き添えた。西口は地上門の通過。救急は氏名照合と症状の確認。休憩所は本人の到着。送り出した時刻だけでは、受け取った扱いにしない。


 最初の札を、西口の列へ置いた。札に割り当てた症状と行動は、すべて訓練用の設定だ。


『西口詰所、W―01、地上門通過』

 神代さんの声が、有線機から落ちてくる。


「中央、受領。歩行可否」


『自力歩行可。右手にしびれあり』


「救急待機所へ引き継ぎ。時刻、十九時八分」


『了解』


 W―01の札を、西口から『移動中』へずらす。紙が机をこする音だけが、静かな店内に残った。


 二分後、宮前さんの声が入る。


『救急待機所、W―01を受領。右手のしびれ、本人申告あり。医療確認まで保留』


「中央、受領」


 受領時刻を書き込み、札を医療の列へ移す。送り出した側と受け取った側が、同じ番号で揃った。


 二人目で、流れが止まった。


『西口、W―02。自力歩行可。症状なし。物流休憩所へ移動』


 神代さんの報告から一分が過ぎても、物流休憩所からの受領連絡が入らない。移動中の列に、W―02だけが取り残される。


「物流休憩所、W―02は到着していますか」


『来てませんよ』


 奥村さんの返事は早かった。西口物流休憩所の夜間責任者だ。五十一歳。配送員の仮眠と忘れ物の山を一人で淡々とさばいてきた。会議には興味を示さないが、誰を何番の席へ座らせたかだけは一度も間違えない。


『そっちは出した。こっちは受けてない。その間は誰の仕事ですか』


 ぐうの音も出ない、正しい指摘だった。地図上ではわずか百四十メートル。雨が降れば屋根のない歩道を通る。自力歩行が可能だとしても、放っておいて目的地へ辿り着ける保証にはならない。


 俺は表の移動担当欄に目を落とした。空欄のままだ。空席を用意してくれる相手に対して、着いたかどうかだけを一方的に問い詰めていた。着いていない席を埋めるのは、向こうの仕事ではない。


「移動担当が空欄でした」


『空欄は歩いてくれませんよ』


「おっしゃるとおりです」


 有線の向こうで、椅子の脚らしいものが床をこする音がした。席や番号札の様子はここからは見えない。分かるのは、W―02の受領連絡がまだ返ってきていないという事実だけだ。


『二番、曲がり角で止まっています』


 巡回前の山根さんから連絡が入った。患者役の市職員は、二つの施設の中間地点で立ち止まっていた。


 神代さんなら十秒で見つけられるだろう。だが、神代さんを探し物係に駆り出せば、詰所での最初の確認ががら空きになる。帰路亭から俺が走れば、中央表が空く。この訓練は、腕の立つ人間や店主を隙間に投げ込んでごまかさないためにやっているのだ。


「西口警備の山根さん。詰所から休憩所までの移動確認を担当できますか」


『巡回と重なりますが』


「巡回開始を十分後ろへずらせますか」


『次の巡回は十九時十五分開始です。十分ずらしても、二十一時の搬入確認には影響しません』


「宮前さん、変更記録を」


『取ります。明日は六時から六時五十分まで、移動担当を独立させます』


『了解です。こちらで案内します』


 山根さんの返事を聞きながら、俺は移動担当の欄へ名前を書き入れた。ただの空欄が、歩き出す人間の名になる。


『物流休憩所、W―02を受領。十九時十五分。座席四番。症状申告なし』


「中央、受領」


 奥村さんは余計な診断を足さない。到着した事実と席番号だけを返してくる。人が着くまで席を埋まったことにしない確かな手触りとして、表のこちら側に並んでくれた。


 空欄へ、人と時刻が収まった。


 三人目は、別の場所で引っかかった。


 救急待機所がW―03を受領したあと、当番車への医療要請を模擬した連絡を入れた。応答した救急担当は、所定の手順どおりに氏名と生年月日の提示を求めてきた。


『受付番号だけでは患者登録ができません』


「西口の原本から、救急員へ一対一で伝えてください。物流休憩所と中央の回線には流しません」


『一対一で話せる回線がありません』


 全体連絡用の有線機を見つめても、氏名を乗せる余地はない。乗せる場所がなければ、どれほど必要な情報であっても届かない。


 そこへ、宮前さんから救急待機所の壁に別の受話器があるという報告が入った。


『市の有線内線です。西口詰所と救急指令だけを直通でつなげられます』


「明日はその回線を氏名確認専用にしてください。中央表には確認済みの印だけを落としてください」


『了解。通話記録の保存先も市側に固定します』


 壁の受話器の姿は、ここからは見えない。見えるのは、中央表に残される確認の印だけだ。氏名という重い情報を置く場所は、西口の帰還原本、帰路亭の中央照合控え、そして今見つかった医療専用内線だけに絞られた。


 四人目から六人目にかけては、あえて意地悪な条件を増やした。


 W―04は、軽い吐き気。

 W―05は、帰還札の読み取りを一回失敗する。

 W―06は、同行者を待つと言い張って移動を拒否する。


 神代さんは安易に答えを与えず、一つずつ事実を確認していった。


『W―04、救急待機所へ。W―05、原本との手書き照合後に物流休憩所へ。W―06は西口詰所内で待機。全体の人数は閉じない』


 どれも力押しが通じる場面ではない。だからこそ、神代さんが誰を先へ通し、誰をその場で待たせるのか、その判断基準がよく見えた。


 午後八時五十二分。

 仮の六名は、全員の行き先が定まった。


 換気扇の音しかなかった帰路亭に、三か所の現場の生活音が有線機越しに混ざり合う。詰所の重たい鍵束の音。救急箱の留め金の金具音。休憩所で椅子を引くような音。遠く離れた別々の場所にあるはずなのに、札は一枚の表の上で確かに連動して動いていた。


 地上門通過、六。

 医療引き継ぎ、三。

 物流休憩所、二。

 西口詰所待機、一。


 未確認は、ゼロではない。医療確認待ちが三名、同行者待ちが一名。配置を終えただけであって、帰還確認そのものはまだ閉じていない。


 奥村さんが、有線機の向こうでぽつりと言った。


『うちで温かいお茶くらいは出せますよ。でもね、診断もしなければ、帰還済みの判子も押しませんから』


「その線引きのままでお願いします」


『あと、名前も預かりません。番号なら席に貼っておきますがね』


「助かります」


『助かるのは明日の六人ですよ』


 無愛想な物言いだった。だが、席はすでに六つ分、綺麗に空けてあるらしい。席を空けておくのはただの親切ではなく、明朝そこに番号を持った人間が確実にやってくるという前提があるからだ。


 午後九時十七分。同行者を待っていた六番も、合流と物流休憩所への到着を模擬確認した。医療へ振り分けた三名のうち、最後の確認結果も模擬入力し、訓練の全工程を閉じる。


 宮前さんが変更点を手早く読み上げた。


『移動担当を独立配置。氏名は西口原本、中央の照合控え、必要時の医療専用内線のみ。物流へは番号のみを伝達。受領時刻が記入されるまで、送り出し側もステータスを完了にしない』


「明朝五時四十分、配置確認。予定帰還時刻は六時三十分です」


 後片づけに取りかかった頃、西口の引き継ぎを山根さんに終えた神代さんが車で戻ってきた。上着を椅子の背へかけ、壁の時計を見上げる。


「九時二十八分」


「まだ訓練の記録まとめが残っています」


「宮前さんが引き取る」


『やりますよ』

 有線機の向こうから、即座に返答が飛んできた。


 今夜は訓練に専念するため、飲食営業を六時半で切り上げると昼のうちに貼り紙を出していた。皿洗いはとっくに終わっている。残っているのは、市へ提出する訓練記録の清書だけだった。


「真壁さん、帰るよ」


「神代さんはどうするんですか」


「十一時までの担当。そのあと私も寝る」


「では、俺が残って」


「引き継いだ」


 神代さんは、中央表にある俺の帰宅欄へ『午後九時半』と書き込んだ。人を無事に帰すための表の、交代していく側の枠へ、自分自身の時刻が刻まれる。


 名前は、知る必要のない相手へ渡していない。明朝の六人を迎えるための欄と、今夜を繋ぐ担当の名前だけが、静かにそこに残っていた。

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