二十四時間受付に、二十四時間いる人はいない
二十四時間受付、と書かれた札の下で、扉は午前八時十二分になっても動かなかった。鍵穴に朝の湿りが残っている。市の看板と、金属の感触が別物だった。
「市役所へ電話がつながる時刻には、なりました」
俺が言うと、神代さんは札だけを見上げた。扉には触らない。
「ここは二十四時間でしょ」
「表記は、そうです」
今朝、石川さんが右足首を負傷した小田切さんを支えて二十三分かけた道を、俺たちは空身で逆に歩いてきた。地図なら近い。紙の上の一本線は、支援所までの距離を短く見せる。
坂の途中、休める場所は二か所あった。片方のベンチは雨を吸って黒く、座面を掌で押すと水が指の腹へ戻ってきた。もう片方は照明が切れている。足元の段差が、昼でも読みにくい。負傷者を運ぶ二十三分として見ると、線の長さと脚の長さは一致しない。
神代さんは途中で搬送帯を広げ、石川さんの報告にあった休止位置へ立った。帯の端を両手に取り、幅だけを残して止める。俺は資材箱を道の端へ下ろし、箱と帯のあいだに人が一人入る隙間を見た。二人がかりで支えた時の幅だ。曲がり角では、帯を持つ腕が柵の上端へ当たる。狭い歩道では並んで歩けない。帰路亭へ向かう最後の上りは、片側に手すりがなかった。空身でも踏み込みを選ぶ。片足を預けた人間なら、二十三分は速さの記録ではない。
「二十三分、速い」
神代さんが、帯を畳みながら言った。
「石川さんが届いた結果を、標準所要時間にはしません」
「うん。次の人は、同じように歩けない」
石川さんの足がもう半歩遅くなっていたら、二人は坂の途中に残っていた。俺は紙地図の近道表示の横へ、搬送には不向き、と書き込んだ。インクが路肩の湿気でにじむ。距離は消えない。向きだけが変わる。
西口詰所の前で、宮前さんが端末を開いていた。市迷宮安全課の対応は、まず今動く物から入る。
「警備会社には連絡済みです。午前八時の交代者が巡回から戻ります。謝罪はあとです。今日は鍵、端末、予定表、巡回範囲を確認します」
謝罪を後回しにする時の宮前さんは、仕事が速い。責める順番より、開く順番を先に置く。
四分後、坂の下から制服の男性が駆けてきた。息が白い。腰に鍵束、胸に無線機。名札は西口警備の山根。鍵同士が当たる音が、無人だった扉前にだけ大きく落ちた。
「申し訳ありません。夜勤者との引き継ぎが」
「今朝の二名が西口へ着いた時、誰がこの扉を開ける担当でしたか」
宮前さんは謝罪の置き場を消した。山根さんは鍵束から一本を選ぶ。一本目は入らない。二本目も浅い。三本目で、錠が下がった。
室内は六畳ほどだ。受付机、壁面端末、救急箱、紙の帰還予定表。暖房は切れている。呼気だけが机の角で少し白む。固定電話は机上にある。受話器は冷たい。問題は、その全部が鍵の内側にあることだった。
「夜勤は一人です」
山根さんが、まだ鍵束を持ったまま説明する。
「一時間に一度、西側外周と資材庫を巡回します。巡回中は携帯無線へ転送されます」
「帰還予定表も転送されますか」
「予定表は、ここで確認します」
「鍵は」
「当直者が携帯します」
「帰還者が来た時、当直者が資材庫にいたら」
「緊急番号へかけてもらえば、携帯無線へ転送されます」
「その番号はどこに書いてありますか」
山根さんは扉の外を見た。案内板の下に、小さな番号がある。夜なら、照明の切れたベンチ側だ。片腕が塞がった人間に、細字の注意書きを探す余裕まで支給した覚えはない。
神代さんが扉の前へしゃがんだ。片腕が使えない想定で、反対の手だけを伸ばす。靴先が案内板の影に入る。番号は、腰より低い位置からは読めない。立てなければ、緊急連絡先そのものが視界から消える。彼女は数字を読まず、読めない高さだけを掌で測って立ち上がった。
「移す」
「番号だけでは足りません。押せばつながる呼出器も要ります」
「今日、付く?」
宮前さんは端末の画面を、工事枠ではなく今日の欄で止めた。
「配線工事は間に合いません。明朝は入口へ大きな番号と、巡回者の現在位置を掲示します」
恒久の穴を今日まとめて塞ごうとすると、明日の六人も一緒に漏れる。今日決めるのは、明朝に使える面だけだ。
壁面端末を開く。操作音が狭い室に残る。明日午前六時三十分、西口通信線更新班、六名。紙の予定表にも同じ行がある。だが夜勤者の巡回表には、午前六時十五分から六時四十五分まで、北側資材庫と外周柵の確認が入っていた。紙が二枚、同じ机の上で別の場所を指している。
「予定と巡回が、同じ人の同じ時刻に入っています」
俺は二枚を並べた。角を揃えても、中身は重ならない。
壁面端末の通話がつながる。警備会社の管理者だ。声だけが室内にいる。
「勤務記録上は在所です。巡回も詰所業務に含まれますので」
「場所の話をしています」
「携帯無線で対応できます」
「帰還原本は壁面端末です。救急箱は室内。鍵は巡回者。負傷者は扉の外です」
一名配置という文字は、分身を含まない。探索者なら魔法の一つも使うのかもしれないが、労務契約は人間を増やしてくれない。書類の上だけ強い魔法は、昔から種類が多い。
神代さんが帰還予定表と巡回表を、指で交互に押さえた。片方を開くと、もう片方が閉じかける。
「六時十五分。巡回、やめればいい」
「一日だけなら、そうです」
「毎日なら」
「外周点検が消えます。別の穴になります」
神代さんはうなずいた。強い人間ほど、穴を殴って埋める案を出さない時がある。今日の相手は柵でも扉でもなく、一人の体が同時に存在できる場所の数だった。
次に、西口救急待機所を見た。詰所から九十メートル。夜間は無人だが、救急要請から最短八分で当番車が来る。入口脇に屋根と長椅子がある。担架と毛布を収めた箱は施錠されている。鍵の内側だが、詰所よりは外気に近い。雨はしのげる。記録は置けない。
さらに坂を下ると、配送車向けの西口物流休憩所があった。午前四時から開いている。暖房、給湯、十六席。湯気の匂いだけが、朝の業務らしい。ただし医療設備はなく、帰還者名簿を預かる権限もない。温まれる。名前は預かれない。
どこも、単独では受け入れ所にならない。
詰所には原本がある。救急待機所には、医療へつなぐ場所がある。物流休憩所には、雨と寒さを避ける席がある。帰路亭には、未確認者を最後まで消さない表がある。入口と、人を支える場所は、同じ鍵の内側には収まっていなかった。
「明朝だけ、警備を二人にしますか」
宮前さんが訊く。決裁ではなく、条件の確認だ。
「六人は受けられます。次の早朝帰還で、また一人に戻ります」
「恒久案は今日中に通りません」
「今日、恒久案を通す必要はありません。明日使えて、次も直せる暫定案が要ります」
午前十時三十六分、帰路亭へ戻った。店の予定表の横に、支援三拠点の枠と、その上流にある入口を描く。紙の端が前回の折り目で少し立つ。俺はそれを押さえてから線を引いた。
西口保守詰所は、支援三拠点の上流にある入口。帰還原本と、最初の人数確認を持つ。
一つ目は西口救急待機所。症状判定と搬送先。
二つ目は西口物流休憩所。医療待機にならない人の保温と座席。
三つ目の帰路亭は、中央照合を担う。西口の原本と氏名を照らす控えを持ち、医療には必要な情報を専用回線で渡す。休憩所へ伝えるのは受付番号と必要な座席だけ。入口の詰所と、人を支える三拠点を、一枚の表でつなぐ。市の原本と、ここの控えと、医療用の情報と、休憩所の番号は、同じ欄に置かない。
「神代さんは明朝、西口で最初の確認をお願いします」
「真壁さんは」
「帰路亭で中央表を見ます」
「走らない?」
「何か起きるたびに中央の担当が西口へ走ったら、今度はこの席が空きます」
神代さんは予定表の余白を一度眺め、自分の名を西口の朝の欄へ書いた。字は短い。欄からはみ出さない。
「じゃあ、私が走らない」
「それもお願いします」
彼女はペンを置かなかった。担当欄から横へずらし、まだ空いている行の上で先を止める。俺の名の隣だ。配置ではなく、時間の空白を見ている。
「真壁さん」
「はい」
「今日、いつ寝る」
担当欄ではなく、俺の予定欄を指の腹で叩かれた。紙が机に当たる音だけがした。視線は顔へ来ない。空欄のまま残っている帰宅の行を見ている。
休息まで工程に入れると、逃げ道が減る。他人の交代は組める。自分の欄に時刻を書く作業だけが、遅れる。
「訓練が終わったら、です」
「何時」
「午後十時」
「遅い」
「店があります」
「交代する仕組み、作るんでしょ」
正論は、自分の行へ向いた時がいちばん短い。神代さんはそれ以上を言わない。ペンを、俺の側へ一寸だけ滑らせて止めた。書け、とは言わない。空欄が残るかどうかを見ている。
俺は訓練中の緊急連絡を宮前さんへ渡す、と先に書いた。今日の二十一時から二十三時までを神代さんへ、その先は市の夜間当番へ渡す。翌朝六時三十分の西口担当まで、彼女を夜通しでつなぐつもりはない。自分の欄には午後九時半、帰宅、と書いた。インクが乾く前に、彼女は翌朝の西口欄を残したまま、今日の二十一時から二十三時の欄にも自分の名を書き足した。当番の終わりが、次の欄の始まりになる。
明日の六人を帰す表に、俺が午後九時半に帰宅することも入った。二人とも、同じ紙の交代対象になる。残るのは一人の徹夜ではない。次の名前を書ける余白だった。
二十四時間の受付に必要なのは、二十四時間起きている一人ではない。同じ欄を、次の人へ渡せることだ。




