救助費を、救助された本人へ戻さない
午後五時四分。側面受け入れ口の青側に、様式が二種類並んだ。
一人当たりにすると、説明は簡単になる。
四人で割ればいい。
だから、割らないことにした。
「市の既存制度なら、緊急救助加算です」
野々村が別の様式を開く。対象者一名ごとの欄が、縦に四つ並んでいた。
「救助、搬送、医療引き継ぎの実績確認です。施設利用も、受け入れ人数へ応じて加算できます」
「必要な情報は」
「氏名、帰還札番号、受け入れ時刻、身体状態、医療引き継ぎ先」
前回、三枚へ分けた紙が、また一束へ戻る。
氏名。
身体。
施設費。
同じ番号の下へ集めれば、開示請求も監査も、まとめて人へ戻る。
八代が会社側の案をその束の上へ重ねた。
「東都開発から市へ、今回の処理費を一括で払うことはできます」
「四人へ求償しない条件で?」
「原因が会社側と確定した範囲は」
「確定するまでの立て替えは」
「契約上、受託班へ求償する権利が残ります」
言葉が違うだけで、出口は同じだった。
市の加算なら、名前が金額になる。
企業の一括なら、原因調査の先で金額が人へ戻る。
赤線の手前で、四人は高濃度の外装のまま止まっていた。大庭の呼吸音が、通話器の向こうで一拍だけ細くなる。野々村は顔を上げない。八代も時計を触らない。越えない理由を、二つの案が保存している。
「俺の名前を使ってください」
江藤が通話器へ割り込んだ。
初めて聞いた声は、思ったより低かった。
『四人分、俺の帰還札につければいい。次の契約も俺だけ外せば済む』
「江藤」
大庭が止める。班長の声は、通話器越しでも短かった。
『稲村の面体が先だ。俺は払える』
「何で」
『実家がある』
「それは払える理由じゃない」
『帰す理由にはなる』
神代さんが江藤の前へ立った。
赤線は越えない。手も伸ばさない。先に見たのは、稲村の面体残量と、一人で帳尻を合わせようとする姿勢だった。
「一人で四人分を背負うの、強くない」
『でも、時間が』
「うん。だから別の人が急ぐ」
神代さんは俺を見た。
視線で仕事を渡された。
国内最強から渡される仕事が、契約書の組み替えである。剣よりは持てる。
俺は三列の表を、野々村の前へ滑らせた。
「六席。厨房停止の手順。可搬排気機。乾式資材。市と衛生と医療へ十五分でつなぐ連絡網。人が来る前から維持する在庫です」
「施設を在庫として買う?」
「店ではありません。指定時間内に受け入れへ切り替えられる能力です。消防設備を火事一件ごとにだけ払わないのと同じです」
野々村は短く頷いた。比喩の先は聞かなかった。
「実績確認は」
「毎日の待機可能時間。資材点検。訓練記録。発動時は、営業停止札を裏返した時刻から、衛生検査後に営業を戻した時刻まで」
「店主が札を裏返して、閉店時間を増やす可能性は」
「札だけでは始まりません」
俺はさきほどの通知記録を開いた。
「市、生活衛生、医療へ同時通知。最初の受信時刻を開始候補にし、三者のうち二者が現地転用を認めた時点で確定する。帰路亭の時計だけでは請求できません」
「終了を遅らせる可能性は」
「拭き取り、換気、厨房開封を別の担当者が記録する。再開を遅らせれば、俺も客を入れられない」
「不正防止のために、店主の損失を残す?」
「閉めれば得をする契約にはしません。必要な閉店で赤字にならないところまでです」
野々村は新しい欄を足した。
開始の第三者確認。
終了の衛生確認。
支払い上限。
善意にも、不正をしない人格にも依存させない。俺が立派な店主であることを、前提から外していく。
自分を信用しない契約を、自分で作る。
少しだけ、口の中が苦い。
人を帰す仕組みは、担当者の善人度を採点する仕事ではなかった。
「売上額ではなく、閉店時間」
「はい。返金と廃棄は実費。利益の推定は請求しません」
野々村は表の空白へ数字を書き始めた。
固定待機費。
発動時の確認済み閉店時間。
資材実費の上限。
どれも一人当たりではない。四人来ても一人来ても、請求書に帰還者の氏名を載せない。
「東都開発の負担根拠は」
八代が訊いた。
「調査委託全体の危険量に応じた分担金を、市の受け入れ基金へ払う。個別事故の責任認定とは分けます」
「算定には作業件数、階層、装備区分が必要です」
「班員の氏名と医療結果は要りません」
「分担金の使途監査は」
「市の契約と施設稼働記録まで。誰が帰ったかは帰還原本で別に監査する」
八代は、今度こそ腕時計を一度も触らなかった。
「個別求償権を放棄する決裁は取れません」
「原因調査は続けてください。ただし、この施設費を四人の個別債務へ流さない」
「分担金を先に払っていれば、今回分を個別に立てる必要はない」
「そうです」
「契約条項の『受け入れ施設の休業損失』を、今回の班へ請求対象として通知しないことはできます」
大庭が顔を上げた。
『書面で?』
「会社名義で出します。ただし、市との分担契約が成立することを停止条件にします」
『成立しなかったら』
「通知は復活する」
まだ足りない。停止条件が外れた瞬間、四人を追う約束のままである。
野々村の端末が鳴った。上司だった。短く話し、画面を伏せる。
「九十日以内、既存の緊急委託予算の上限内なら、課長専決で試行契約を結べます」
「今日から?」
「契約条件がそろえば」
「条件は」
「待機時間の公開。十五分以内の転用。限定監査。予告なしの動線訓練」
帰路亭は、好きな時に閉められるただの個人店ではなくなる。
無料で人を帰せば自由が残る、という話でもない。無料の仕事は、金の代わりに店主の時間を全部持っていく。
「受けます」
「真壁さん、まだ金額が」
「上限と確認方法を決めます。言い値にはしない」
「店休日も公開対象です」
「はい」
「抜き打ち訓練で予約を止める可能性があります」
「実際の帰還者よりは、予約客へ説明しやすい」
神代さんの声が入った。
「二十一分」
稲村の面体圧が、また一目盛り落ちた。
野々村は新しい契約書を開く。固定待機費、確認済み閉店時間、資材上限、東都の危険分担金、九十日試行。ばらばらだった欄が、一枚へ寄っていく。
支払対象の欄へ、「人」ではなく「待機能力」と入力する。
最後に残った空欄は、承認者の署名だった。
今度の空欄は、四人へ請求書を戻さず埋められる。




