十八席を、境界線で六席と十二席に分ける
客席を減らすのは簡単だった。椅子を動かせばいい。
汚染を減らす方は、椅子をどけても始まらなかった。
神代さんが、窓側のテーブルを一台、床から浮かせた。
「どこへ」
「正面側です。線の外に重ねないでください。一台ずつ、脚を見てから」
「速く運べる」
「速く混ぜないでください」
「了解」
強い人間がいると作業は早い。ただし、順序を決めるのは筋力ではない。
俺は見取り図へ赤を一本引く。側面扉から装備洗浄所までを汚染側にする。洗浄所の内側に並ぶのは、十八席のうち窓側六席、テーブル二台。ここを空ければ、外装を脱いで袋へ入れる場所は作れる。
残る十二席とカウンター六席は清浄側に残す。残すのは床と椅子であって、今日の食卓ではない。
確認画面の向こうで、羽鳥さんが顔を水城へ向けた。水城が右頬の計器を読み直し、首を小さく振る。まだ警告域だ。漏入は確定していない。だが、遠方の移動除染車を待つ余裕は、計器の側にはない。
「床に色を付けただけでは、空気は線を守りません」
生活衛生担当が、貼りかけの赤テープを見て言った。
「分かっています」
「さっきから、分かっていることだけは多いですね」
「できないことまで、できると言うよりは」
「それで店を止めた点は評価します」
褒められた気がしない。たぶん、向こうも褒めていない。
宮前さんが、側面扉の内側で靴先を止めた。
「入口から出口まで、戻らない。外装袋も人も、一方向。それが先です」
「四人分です。背嚢四。黒瀬さんの盾。水城さんの測定箱。堂前さんの工具袋。羽鳥さんの索具」
人数だけ数えていたら、袋が足りない。人、装備、袋は別々に数える。
市の乾式除染資材が床へ並ぶ。吸着布。二重回収袋。面体を外す間だけ使う清浄送気フード。封印帯。硬質容器。俺は袋の口を指で確認してから、水を使う前提を外す。
故障しているのは公設除染室の排水だ。代わりに帰路亭の洗浄所で高濃度汚染を水洗いするわけにはいかない。
成瀬さんが、黒瀬の盾の寸法を見て言った。
「大型装備は二重袋に入りません」
「袋へ入れる前提を捨てます。洗浄所の外壁へ仮固定。吸着布、封印シート。処理車が来るまで動かさない」
『盾は置いていけます』
黒瀬の声が、汚染側から入った。
『隊員を先に』
「順番は、羽鳥さん、黒瀬さん、水城さん、堂前さんで考えています」
『羽鳥、異論は』
『ありません』
四人一緒でなければ帰還ではない、とは言わなかった。一人ずつしか通れない境界で、先に出す一人を選んだだけだ。
赤は外装のまま入る範囲。黄は脱いで測る境界。青は予備面体と清潔な上着を渡す側。神代さんが二台目を正面へ下ろすたびに、俺はテープを床へ伸ばす。重ねない。戻さない。混ぜない。
「真壁。黄の幅は」
「一人が止まって測れるだけ。広げない」
「了解」
「空気試験をします」
生活衛生担当が、白い試験煙を側面扉の外で細く出した。水城の画面にも、店側の簡易計にも、同じ流れが映る。
煙は洗浄所から赤へ入り、黄の手前で少し持ち上がった。
そのまま天井を伝い、十二席側へ流れた。
「停止」
宮前さんの声は短かった。初回は不合格だ。まだ誰も側面扉を越えていない。図面の線は、人を入れる前なら消して引き直せる。
俺は天井の換気口を見た。床に引いた赤も黄も、あそこに届いていなかった。厨房の防火扉は閉じている。それでも客席の主換気が、汚染側の空気を十二席側へ引いていた。
厨房の方へ視線を移す。密封した明日の分が、扉の向こうにある。止めれば持たない物がある。動かせば、客席の空気を厨房近くへ引く。
料理に、羽鳥さんの面体圧を戻す力はない。温め直せる物と、いま作らなければならない帰路を、同じ秤へ載せてはいけない。
迷う場所は、そこではなかった。汚染を厨房へ入れれば、再開の見通しそのものを失う。手は、冷蔵庫の取っ手ではなく、換気の停止へ先に動いた。
「客席の換気を止めます」
「厨房も同系統です」
「厨房はもう使いません」
「冷蔵庫の放熱は」
「個別回路です。厨房の換気だけ止めて、防火扉の隙間を封鎖します。客席の主換気も停止」
宮前さんが資材表を閉じたまま、こちらを見た。
「汚染側の排気がなくなります」
「市の可搬排気機は」
「一台。高性能回収フィルター付き。公設除染室の予備ですが、あちらは排水故障で停止中です」
「洗浄所の側面窓へ接続します。赤線側を低圧にして、出す前に回収する」
「店の設備ではありません」
「だから市の担当者が操作する。帰路亭の常設運用には数えません」
今回できたことを、次も店だけでできることにしない。
神代さんが可搬排気機を窓下まで運ぶ。接続部には手を置かない。成瀬さんがダクトの荷重を支え、市の設備担当の有資格者が側面窓へ固定する。資格が必要な場所を、力で越えない。
防火扉の隙間を耐熱シールで塞ぐ。カウンターの水差し、調味料、紙ナプキンを扉付き棚へ戻す。客席に出ていた物は、青より奥へ移した。
「十二席は残すんですか」
神代さんが、正面側へ移したテーブル二台の間を空けながら訊く。
「今日は食卓に戻しません。清浄側の待機と医療確認に使います」
「明日は」
「検査が通るまで、店は閉めたままです」
十二席が汚れないことと、十二席で食事を出せることは別だ。
生活衛生担当が、換気停止、厨房封鎖、回収フィルター、接続担当を一つずつ指で確認する。二回目の試験煙が、赤から側面窓へ引かれた。黄は越えない。
床近く。人の胸の高さ。天井近く。三か所とも、清浄側への流入なし。
「空気経路、合格」
「排水は使わない。外装は乾式処理後、密封。人は赤から黄、青へ一方向。厨房は閉鎖。作業後に全域の拭き取り検査」
宮前さんが受け入れ手順へ時刻と担当者を入れる。早口だが、線を緩めてはいない。
「一回限りの緊急転用を認めます」
許可は、店を守るためではない。四人を、安全でない店へ入れないために出た。
画面の中で、羽鳥さんが右頬の圧力計を水城へ向ける。黄色だった表示が、短く赤へ触れた。
『羽鳥から入ります』
黒瀬が言った。
『堂前、装備を固定。水城、測定を継続。俺は最後の確認をする』
『隊長が最後?』
堂前の手が、固定帯の途中で止まる。
『今回は、面体が正常な者の中でだ』
羽鳥さんが、帰路亭の側面扉の外まで歩いた。靴先は赤テープの手前で揃う。
『先に行きます』
四人の関係を壊さず、一人目だけが決まった。
まだ、羽鳥さんの靴は赤線へ入っていない。四人の移送は、一人も終わっていなかった。




