封印された箱は、中身まで保証しない
「封印されていたからといって、中身が正しかった証明にはなりません」
運営会社の安全管理室は、正しいことを言った。
正しいことが、たまに人を帰さないために使われる。
帰路亭のカウンターに、透明な証拠袋が二つ並んでいた。新堂梓が使った吸着フィルターと、有川蒼太が使った吸着フィルター。どちらも灰色の帯。型式はRF―四八。交換時刻を書いた紙片と一緒に、市の職員が封をしている。
端末の向こうでは、小暮澄香が補給庫の壁にもたれていた。交換したばかりのフィルターを着けている。咳の間隔は少し空いたが、声の擦れは消えていない。治ったわけではない。吸い込む量が増えなくなっただけだ。
「三人が入域時に持っていたのは、七十二時間用のRF―七二です」
安全管理室の男が続けた。
「現場には非常用のRF―四八も保管されています。作業中に入れ替えた可能性を排除できません」
「していません」
新堂さんが答えた。
「最初から、この二本でした」
「証言は記録します。ただし、認定を失う可能性がある皆さんには、会社都合中断を求める利害があります」
言い方は冷たいが、証拠の話としては間違っていない。小暮さんたちの証言だけで会社の不備を確定すれば、今度は別の事故で会社側の証言だけが確定になる。
「白い確認シールの番号は一致しています」
宮前さんが未使用箱の録画を止め、番号を拡大した。
「出庫記録と同じです」
「そのシールは数量確認用です。型式保証ではありません」
「箱は開封されていませんでした」
「外箱が現場で再利用されていないことは証明できますか」
できない。小暮さんが爪を入れるまでシールは切れていなかった。だが、会社が言うとおり、シールが保証する範囲は別だ。
封印番号。会社の搬入記録。二本の使用済みフィルター。補給庫にある三本目。物はそろっているのに、その間をつなぐ手が一つ足りない。
「だから、私がここに残ります」
端末の中で、小暮さんが言った。
「現物と交換記録を、第三者が来るまで保全します」
「小暮さん自身は、証拠品の一覧にありません」
「私が離れた後、誰が箱を触っていないと証明するんですか」
俺は証拠袋を見た。新堂さんの袋には市の青い封印帯が巻かれ、袋の下に細い黄色の札が挟まっている。
「その札は何ですか」
「入域時の荷役票です」
新堂さんが袋を裏返した。
「補給箱を点検口へ入れる時、搬送台に読み込ませます。私が装備記録担当だったので、控えを持っています」
黄色い札には搬送台番号、通過時刻、荷物番号が印字されていた。
俺は宮前さんを見る。
「搬送台は、重量も記録しますか」
「します。昇降機の積載制限用です。管理は市側です」
会社の倉庫から出た記録ではない。現場へ入る直前、第三者の設備を通った記録だ。
「荷物番号を照会してください」
宮前さんが端末へ番号を入れる。
安全管理室の男が止めた。
「待ってください。重量には梱包材の個体差があります」
「まだ数字を見ていません」
「一般論です」
一般論は便利だ。現物より先に待ち伏せできる。
市の記録が開いた。入域は三日前、午前十時七分。荷物名は、長期滞在用吸着フィルター三本。会社の搬入表に書かれた予定重量は四・六二キロ。市の搬送台が測った実重量は、四・〇八キロ。差は五百四十グラム。
「RF―七二とRF―四八、一本あたりの重量差は」
有川さんがメーカー仕様を開く。
「百八十グラムです」
三本で、五百四十グラム。箱は、迷宮へ入る前から三本分軽かった。
「計量誤差です」
安全管理室の男が言った。
「搬送台の許容誤差は」
宮前さんが記録を読む。
「二十キロ未満でプラスマイナス二十グラム。校正は先月です」
「梱包材が予定より軽かった可能性は」
「百八十グラムの差が三つ、という偶然ですか」
俺は訊いた。
「断定はしていません。ただ、現場で三本を入れ替えたという説明より、入口ですでにRF―四八が三本入っていた説明の方が、測定値とは一致します」
安全管理室が黙った。
勝ったわけではない。市の搬送台が正しくても、その荷物番号がいまの箱と同じか。箱を誰が搬送台へ載せたか。出庫から点検口までに何があったか。まだ線は切れている。だが、切れた場所は会社の倉庫と迷宮入口の間まで戻った。小暮さんを補給庫へ置いて埋める必要はない。
「宮前さん。二本の使用済み品、市の搬送記録、未使用箱の映像を一つの仮保全番号へまとめられますか」
「できます。運営会社の同意がなくても、生命安全調査の参考資料として仮保全します」
「会社には、出庫時の計量記録と梱包担当を保全するよう通知してください」
「中断区分は」
新堂さんが訊いた。
「まだ会社都合には確定しません」
期待が落ちる音はしない。その代わり、新堂さんの肩が少し下がった。
「でも、自主中断にも確定させません」
宮前さんは仮保全票へ三人の名を書いた。小暮澄香。新堂梓。有川蒼太。
「支給品不適合の疑いが解消するまで、中断理由を保留します。賃金と認定時間を残すかは審査ですが、いま会社が自己都合で閉じることはできません」
守れたのは、仕事そのものではない。仕事を守るために争える欄だ。
『なら、私は帰っていいんですか』
小暮さんが訊いた。
「帰ってください」
『箱は』
「回収します。でも、順番はあなたが先です」
『私が持って出れば一度で済みます』
「喉の痛み、指先のしびれ。自分を運ぶ計画へ、荷物を追加しないでください」
『補給係としては効率が悪いです』
「救助対象が自分を人員へ数えていない方が、補給表として不良です」
神代さんが立ち上がった。片刃剣は取らない。証拠袋用の硬質ケースと、予備の呼吸具を背負う。
「市の立会人と入る。小暮を先に点検口まで送る。その後、戻れる状態なら箱を回収する」
『二往復になります』
「一往復で人と証拠を両方失うよりいい」
強いから全部持てる、とは言わなかった。何を先に帰すかを選んだ。
宮前さんが救助協力票を開く。入域二。神代凛花、市設備救助員一名。救助対象一。小暮澄香。回収対象。未使用箱、交換記録、使用中フィルター。
「小暮さん。最後に応答確認です」
『小暮澄香。聞こえています』
返事の後で、咳が二度続いた。さっきより深い。
「検証保留は終わりです。救助へ移ります」
『分かりました』
今度は断らなかった。
午後零時二十三分。
神代さんと市の救助員が、西側点検口へ向けて出た。
会社の封印が保証しなかった中身を、入口の重さが証言した。
次は、証拠ではなく小暮澄香本人を、迷宮の外へ移す。




