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戦えない元補給係の廃ダンジョン食堂 ~血まみれのSランクを救ったら、最強探索者たちの帰還拠点になりました~  作者: sakumaaa
第一事件 血まみれのSランクと閉鎖迷宮

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3/16

戦えない店主は、帰り道をつくる

 迷宮救助に、炊きたての米を持ち込む人間は少ない。


 理由は単純である。


 重い。傷む。匂いが出る。


 それでも俺は、店の炊飯器を空にした。


「おにぎり、十二」


 宮前さんが読み上げる。


「塩六、鶏そぼろ四、梅二です」


「そこまで記録に必要ですか」


「遭難者へ何を食べさせたか分からない救助報告は、食物アレルギーの欄で止まります」


「正論が細かい」


「兵站は細かい正論を袋に詰める仕事です」


 握った米を一つずつ冷まし、ワックスペーパーで包む。


 意識のある二人へ渡す水は、二リットルを三本。急に飲ませないための小カップと経口補水液。体温が落ちていれば鶏出汁と使い捨てカイロ。消耗には糖分ゼリーと塩飴。出血には圧迫包帯、歩けないなら簡易固定具。


 こちらが帰るための予備灯、化学発光棒、布テープも詰める。


 品目は同じでも、誰がどの状態で使うかを決めなければ、荷物はただ重いだけだ。


 食堂の折り畳みテーブルは、開店初日から補給所になった。


 消防の迷宮救助隊は、北側保守坑道の入口へ先に向かっている。


 六年前の崩落以来、灰岳迷宮へ入った経験のある現役隊員はいない。内部の安全確認が済むまで大部隊は動かせない。先行は最小人数になった。


 俺と神代さん。


 消防隊員二名が第2層の通信中継点まで同行し、そこから先は地上支援へ戻る。


 行政の緊急救助協力証が、俺の胸元にぶら下がっていた。


 有効期限は本日午後八時。


 肩書というものは、六年失っても紙一枚で今日一日だけ戻ってくるらしい。


「真壁さん」


 宮前さんが、署名済みの指示書を差し出した。


「救助が最優先です。証拠を見つけても、回収のために進路を変えない。午後五時までに対象者へ到達できなければ撤退。午後七時までに全員が中継点へ戻らなければ、消防が第二隊を入れます」


「了解しました」


「神代さんも」


「聞いてる」


「返事をしてください」


「了解」


 神代さんは白い軽装甲の損傷部分を応急材で塞ぎ、片刃剣を腰へ下げていた。医療担当の許可条件は、雷撃禁止、負荷警告が出た時点で撤退、傷が開けば即時中止。


 守れるなら、そもそも店先で倒れていない条件ばかりである。


「復元できた音声は、これで最後です」


 宮前さんが、神代さんの破損端末を再生した。


 雑音の向こうから、若い男の声がする。


『小野寺さん。俺、初仕事で遭難したら査定どうなりますか』


『生還すれば反省文。しなければ査定対象外だ』


『じゃあ反省文を書きます。始末書は嫌です』


『選べる立場だと思うな。帰ったら両方だ』


 そこで録音は切れていた。


 冗談を言ったのが葛西。答えたのが小野寺。


 二名、という救助人数に声がついた。


「反省文だけで済ませます」


 俺が言うと、神代さんは端末から目を離さずにうなずいた。


「二人とも帰して、本人に書かせる」


「荷物を」


 神代さんが俺の背負子へ手を伸ばした。


「持ちません」


「重そう」


「二十二・四キロです」


「私なら軽い」


「あなたが倒れたとき、荷物まで回収する側の気持ちを考えてください」


「信用がない」


「実績があります」


 神代さんは不満そうに手を引いた。


 代わりに、テーブルの端へ置かれた塩おにぎりを一つ取る。


「それは行動食です」


「もう行動する」


「理屈の組み立てだけはSランクですね」


 午後零時二十分。


 帰路亭の裏へ市の車両を置き、北側の山道を上った。


 保守坑道の入口は、錆びた管理棟のさらに奥にあった。埋め戻されたはずの斜面へ、新しい鋼鉄製の扉がついている。周囲には大型車の轍。泥の表面だけを均した跡があり、隠す気はあるが、丁寧に隠す予算はなかったらしい。


「東都開発の管理錠です」


 宮前さんが端末をかざす。


 市の非常解除命令を受け、赤いランプが緑へ変わった。


 扉の向こうから、湿った冷気が流れてくる。


 土と錆と、甘く腐った菌類の匂い。


 六年ぶりだった。


 左手首の古い識別票が、袖の下で皮膚へ触れる。


 十一人分の名前を読んだときも、同じ匂いがしていた。


「真壁」


 神代さんの声で、呼吸を戻した。


「顔色が悪い」


「入る前から負傷者に心配されるのは、計画上よろしくないですね」


「帰る?」


 試す言い方ではなかった。


 本当に選択肢として聞いている。


 俺は少しだけ驚いた。


「二人を連れてからにします」


「了解」


 坑道内の照明は、新しかった。


 五十メートルごとに東都開発の仮設灯。床には電源ケーブルと、有線中継器。違法調査を一晩だけ行う設備ではない。


「ずいぶん立派な軽い現地確認ですね」


「私たちが入る前からあった」


「準備期間の長い突発調査だ」


 第1層へ抜ける手前で、消防隊員が最後の中継器を固定した。


『地上、通信確認。真壁さん、神代さん、音声良好です』


 宮前さんの声がイヤホンへ入る。


「こちら先行班。午後零時五十八分、第1層へ入ります」


『位置記録を開始。十分ごとに定時連絡。次の連絡がなければ五分で呼びかけ、さらに五分で第二隊を準備します』


「了解」


 迷宮へ踏み込む。


 地上のコンクリートは、数歩で黒い岩へ変わった。壁を白い菌糸が這い、天井から透明な水滴が落ちている。遠くで、何かが石をかじる音がした。


 神代さんが前へ出る。


「歩幅、七割に落として」


「遅い」


「帰りは負傷者を支えます。行きだけ速い人間は、往復の計算から外します」


 速度が下がる。


 素直に従う神代凛花という珍しい現象を、地上の通信担当にも記録しておいてほしい。


 第2層までは、東都開発の中継器が残っていた。


 そこから先は、ケーブルが切られている。


 切断面は鋭い。魔物に噛まれた跡ではない。


「神代さんが切った?」


「違う。戻るときには切れてた」


「誰かが地上から情報を消した」


『現物は撮影してください。回収は不要です』


 宮前さんの声が飛んでくる。


「了解」


 写真を撮り、時刻と位置を読み上げる。


 証拠は拾わない。


 救助に不要な百グラムは、帰り道では負傷者の百グラムになる。


 第3層へ下りる斜路で、最初の魔物が現れた。


 犬ほどの大きさの灰色の塊が三体。菌糸をまとった四肢で、壁から剥がれるように落ちてくる。


 腐菌獣。


 単体ならDランク相当。噛まれれば傷口へ菌糸が入り、処置に時間を取られる。


 神代さんが剣を抜いた。


「雷撃は禁止です」


「使わない」


 一歩。


 白い刃が横へ走る。


 一体目の前脚が落ち、返す刃で二体目の胴が壁へ叩きつけられた。三体目が跳ぶ前に、鞘の先が顎を打ち上げる。


 三秒。


 雷も光もない。


 ニュース映像より地味で、ニュース映像より怖かった。


「終わった」


「呼吸数が上がっています」


「戦ったから」


「休憩します」


「三秒しか戦ってない」


「三秒で終わらせたことと、身体が消耗しないことは別です」


 水を二口。糖分ゼリーを半分。


 神代さんは渋い顔で飲み込んだ。


「真壁と入ると、食べてばかり」


「それで生きて帰れるなら、店主として宣伝に使います」


「迷宮食べ歩き」


「客層が限定的すぎる」


 午後二時十分、第4層。


 古い主通路は、途中で壁になっていた。


 昨日までそこにあったような、濡れた黒い岩の壁。迷宮の構造変動だ。神代さんの腕部端末に残る移動記録も、ここから乱れている。


 神代さんは右の通路へ半歩出て、止まった。


 前なら、そのまま見えなくなるまで走っていただろう。


「私は右へ行った。真壁、いまはどっち」


「右は戻る方向です」


「道が動く前は違った」


「責めていません。いまの地図を作ります」


 俺は紙地図へ新しい壁を書き込み、歩数と傾斜を確認した。


 旧第十四物資庫は、主通路から東へ六百メートル。構造が動いても、物資庫そのものは岩盤へ固定した人工区画だ。非常信号が届いた以上、完全には潰れていない。


 問題は、そこへ続く道が消えたこと。


 耳を澄ます。


 右の通路から水音。左からは風。


 六年前、第十四物資庫の背面には換気用の細い保守路があった。人員移動には使わず、物資庫の湿度を逃がすためのものだ。


「左です」


「根拠は」


「風が鶏出汁の匂いを運んでいます」


 神代さんが鼻を動かした。


「分からない」


「さっき、保温ボトルを少し開けました。匂いが左へ吸われた。換気路につながっています」


「料理を道具にした」


「食べ物は食べるだけが仕事ではありません」


「店主の発言として危ない」


 左の割れ目へ入り、肩幅ほどの保守路を進む。


 俺の背負子が岩へ何度も当たった。神代さんなら楽に抜けられるが、荷物を先に通せば時間を失う。そこで水を一本、神代さんへ渡した。


「持たせないんじゃなかった?」


「状態が改善したので計画を更新しました」


「信用された」


「一・九キロ分だけです」


「細かい」


 保守路の先に、赤い鉄扉が見えた。


 塗装は剥がれ、中央の封印具だけが切られている。


 H6―14。


 扉の前には、手回し発電機が転がっていた。


 ハンドルに新しい血がついている。


「小野寺さん、葛西さん!」


 神代さんが扉を叩く。


 中から何かが倒れる音。


「神代、さん?」


 かすれた男の声だった。


 扉を開ける。


 非常灯の青い光の下に、二人いた。


 壁へ背を預けた細身の男が小野寺。発電機を回した手のひらが裂けている。床へ横たわる若い男が葛西。左足首は応急固定されているが、腫れが強い。


 二人とも生きていた。


 まず呼吸。意識。大出血。


 小野寺は脱水と魔素曝露。葛西は足首の負傷に加え、発熱。致命的な兆候はない。


「食べ物と水を持ってきました。急いで飲まないでください」


 俺は背負子を下ろし、経口補水液を小さなカップへ分けた。


 小野寺が震える手で受け取る。


「あなたが、真壁さん?」


「そうです」


「封印の、名前が……物資庫の記録に」


「昔の話は地上で。最後に飲んだのは」


「三時間、くらい前。予備水を葛西に」


「正しい判断です。いまは自分の分を飲んでください」


 葛西へは意識と吐き気を確認し、少量ずつ補水させる。熱はあるが受け答えはできる。


「すみません。初仕事で……」


「謝る相手を間違えています」


「でも、俺が足を」


「怪我をした人間の仕事は、治療されることです。人事評価は地上で勝手に下げてもらってください」


 葛西が泣きそうな顔で笑った。


 神代さんは、二人の前へ膝をついた。


「置いていって、ごめん」


「助けを呼びに行ったんでしょう」


 小野寺が答える。


「戻った。それで十分です」


 神代さんは何か言おうとして、やめた。


 代わりに、俺が渡した水のボトルを強く握った。


 補給後、葛西の足首を固定し直し、簡易担架を組む。小野寺には自力歩行できる範囲で荷物を分担してもらう。


「これを」


 小野寺が胸元から小型端末を出した。


「榊原さんの指示、録音してあります。中継器が切れたあと、個人端末へ直接入った通話です」


 再生する。


『第六層反応点まで進んでください。サンプルが取れれば、正式認可は通ります』


『許可範囲は第四層まででは』


『現場判断で処理します。記録はこちらで整えます』


 聞き覚えのある言葉だった。


 記録はこちらで整える。


 六年前も、榊原はそう言った。


「もう一つあります」


 小野寺が物資庫の奥を指す。


「古い在庫端末に、監査記録の索引が残っていました。六年前の遠征記録も。でも本体は第六層の監査室です。ここからは読めません」


「回収には行きません」


 俺は即答した。


「救助優先です。音声は複製し、端末を防水袋へ。来た道を戻ります」


 神代さんが俺を見る。


 反対するかと思った。


 だが、彼女は一度うなずいただけだった。


「真壁の指示に従う」


 その言葉を聞いた直後、物資庫の照明が消えた。


 暗闇の中で、遠くから鋼鉄のぶつかる音が連続して響く。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 保守坑道の防火隔壁が閉じる音だ。


 イヤホンへ激しい雑音が走った。


『真壁さん、応答してくだ――』


 宮前さんの声が切れる。


 代わりに、天井の古い館内放送が起動した。


『内部構造の異常を検知しました。安全確保のため、北側保守坑道を封鎖します』


 自動音声ではない。


 榊原の声だった。


『許可なき侵入者は、その場で救助を待ってください』


 救助を待て。


 通信を切り、帰路を閉じた人間がそう告げる。


 六年前と同じだった。


 ただし、今回は違う。


 俺の前には、生きている四人分の呼吸がある。


 そして俺は、封鎖される前から帰り道を一つしか用意しないほど、榊原を信用していなかった。


「計画を変更します」


 予備灯を点け、紙地図を開く。


「正面には戻りません。第六層へ下りて、旧排水路から地上へ出ます」


 神代さんが、暗闇の先を見る。


「下へ行くの」


「撤退するために」


 俺は赤い線で、新しい退路を引いた。

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