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戦えない元補給係の廃ダンジョン食堂 ~血まみれのSランクを救ったら、最強探索者たちの帰還拠点になりました~  作者: sakumaaa
第一事件 血まみれのSランクと閉鎖迷宮

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2/15

最強探索者に必要なのは、説教と二人前の朝食

 救助計画を作るとき、最初に数えるべきものは勇気ではない。


 人間と、水と、時間だ。


「もう動ける」


 残念ながら、今回は言い出した人間から数える必要があった。


 神代さんは長椅子から立ち上がろうとして、三秒後には同じ場所へ座り直した。本人の名誉のために言えば、座ったのではない。膝が折れて着地しただけだ。


「動ける人は、家具につかまって呼吸を整えません」


「これは準備運動」


「準備運動で脈拍を百二十まで上げるのは効率が良すぎます」


 俺はホワイトボードへ線を引いた。


 残留者、二名。


 最終確認、約二時間半前。


 推定地点、旧第十四物資庫。


 負傷、一名。水と食料、ほぼなし。


 こちらの利用可能戦力は、戦えない食堂店主が一人と、立つことを準備運動と呼び張る負傷者が一人。


 組織図なら、作成した人間が始末書を書く配置である。


「名前は」


「小野寺航。測量士。もう一人は葛西優斗。運搬担当」


「負傷したのは」


「葛西。左足首。折れてはいないと思う」


「意識は」


「二人ともあった。小野寺が残って、私が出口を探した」


 神代さんは粥の椀へ手を伸ばした。


 俺はその手より先に椀を取った。


「質問に答えた」


「一杯目を消化できたので、二杯目を出します。これは没収ではなく増量です」


「最初からそう言って」


「最強探索者が朝食を人質に取られた顔をしたので、少し見ていたくなりました」


 厨房へ戻り、粥にほぐした鶏肉を加える。今度は茶碗の七分目。別皿に、塩を薄く振った卵焼きと、すりおろした林檎を少量つけた。


 糖質、たんぱく質、水分、塩分。


 神代さんの雷撃は、魔素だけで動く都合のいい奇跡ではない。


 腕部端末の生体ログが読める範囲でも、発動のたびに体温と血糖が落ちている。昨夜の記録は途中で切れていたが、最後の画面は異常低下の警告で赤く埋まっていた。


 会社が渡した支給食は、空のゼリー袋が一本。


 ただし、神代さんの私物ポーチには、別の糖質パックの空袋があった。個人購入品。会社支給より容量が多い。


「これは」


「葛西に残した。全部食べさせて、空袋は持ってきた」


「自分の分は」


「あれが最後」


 無謀だった、と片づけるのは簡単だった。


 実際には、葛西を生かすために自分の余裕を渡した。そのあとで、自分一人なら保つと計算した。


 問題は、計算した本人が自分の消耗だけを計算に入れていなかったことだ。いま長椅子から立てない程度には、見積もりが甘い。


「これだけですか」


「軽い現地確認だと聞いていた」


「軽い現地確認にSランクと測量士と運搬担当を入れて、第五層より下まで歩かせた」


「途中で目的が変わった」


「現場で目的が増える会社は、だいたい補給を増やしません」


 俺は空袋の裏を見た。


 製造番号の下に、東都開発の資材ラベルが貼られている。


 訓練用・短時間行動食。


 想定行動時間、四時間。


 神代さんたちが入ったのは昨夜の九時過ぎ。すでに十時間が経っている。


「行動時間は延長されたんですか」


「深層晶の反応が出た。サンプルだけ取れと言われた」


「誰に」


 神代さんは黙った。


 黙秘は自由だ。


 ただし、救助計画には反映される。


 俺がホワイトボードの『不明』を丸で囲むと、神代さんの眉がわずかに動いた。


「榊原隆臣」


 油性ペンの先が止まった。


 六年前、同じ名前を日報の承認欄で毎日見た。


 予定どおり。


 問題なし。


 続行を承認する。


 現場から上げた警告より短い言葉で、人間の帰路を消した男の名前だ。


「東都開発の灰岳再開発準備室長。今回の責任者」


「そうですか」


「知ってるの」


「昔の上司です」


 それだけ答えた。


 神代さんは俺の顔を見たが、追及しなかった。短い沈黙のあと、粥を一口食べる。


「……これ、おいしい」


「話題を変える技術が力業ですね」


「本当においしい」


「二回言えば何でも許される制度はありません」


「三回なら」


「食べ終わってから交渉してください」


 午前七時十二分。


 俺は迷宮事故専用の通報番号へ電話した。


 閉鎖迷宮内に要救助者二名。侵入口は北側保守坑道。通報者の店内に、脱出した探索者一名。第五層以下の付着物と、企業支給装備あり。


 電話口の担当は、三度聞き返した。


 閉鎖中の灰岳迷宮で間違いないか。


 Sランクの神代凛花で間違いないか。


 通報者は、あの真壁修司で間違いないか。


 最後だけ、業務上の確認ではなかった気がする。


「全部、間違いありません」


 そう答えると、先方は消防と灰岳市迷宮安全課を向かわせると言った。


 次に、店の入口へ『臨時休業』の札を出した。


 開店から一時間十二分。


 売上、ゼロ円。


 救護者、一名。


 行方不明者、二名。


 飲食業の初日として採点するなら、審査員へ事情説明が必要な数字だった。


 店先へ救急車が着いたのは、午前七時二十八分。


 救急隊員に引き渡すと、神代さんは素直に診察を受けた。素直だったのは三分だけである。


「病院には行かない」


「行ってください」


「二人が残ってる」


「あなたが三人目の要救助者になると、必要な担架が増えます」


「歩ける」


「さっき見ました」


 救急隊員が笑いをこらえた顔で、傷の深さと循環状態を説明した。裂傷は筋層へ届いていない。止血もできている。ただし低体温と消耗が強く、少なくとも点滴と経過観察が必要。


 神代さんは不満そうだったが、輸液針を抜こうとはしなかった。


 そこへ、パンツスーツの女性が早足で入ってきた。


 肩までの茶髪。片手にタブレット、もう片方には紙の資料。タブレットの背面にまで付箋が並んでいる。


「灰岳市迷宮安全課の宮前です。謝罪と名刺交換は後回しにします。現物を見せてください」


 名乗り方からして、現場の人間だった。


「こちらです」


 俺は金属トレーの夜光蕨、切断された識別タグ、支給食の袋、赤い封印具を順に示した。


 宮前さんは手袋をはめ、夜光蕨を見て顔を固くした。


「採取場所を証言できますか」


「第五層より下。地下の大空洞」


 神代さんが答える。


「入場許可番号は」


「契約端末にある」


 破損した腕部端末をケーブルでつなぐと、画面の半分だけが点灯した。宮前さんが許可番号を読み取り、市の照会システムへ入力する。


 結果は、該当なし。


「桁数は合っています。でも先頭二文字は北海道地区の調査許可です。灰岳市では発行しません」


「承認済みだと説明された」


 午前七時四十七分。


 店の奥で、古い受信機が鳴った。


 短い電子音が二度。


 表示窓の左端に赤い縦線が浮かび、数字になる前に消える。


 俺は椅子を蹴るように立ち、受信機へ駆け寄った。


「何ですか」


 宮前さんが後ろから覗き込む。


「旧第十四物資庫の手回し式非常信号です。ただ、発電量が足りない。識別番号の一桁目しか届かなかった」


 物資庫内の操作板には、体力を温存するため四時間おきに再送する手順が貼られていた。


 あの二人が表示を読める状態なら、次は午前十一時四十七分。


 神代さんが輸液台をつかんで立つ。


「いま行く」


「座ってください」


「四時間も待てない」


 待つ、という一語で、輸液台を握る指が白くなった。


「待つだけではありません。四時間で、帰せる状態を作ります」


 神代さんは何か言いかけた。


 だが、誰を思い出したのかまでは口にせず、長椅子へ座り直した。


「説明した人の名前は」


 答えが出る前に、神代さんの端末が震えた。


 破損しているのに、音声通話だけが生きていたらしい。


 表示された発信者名を見て、店内の空気が変わる。


 榊原隆臣。


 神代さんが俺を見る。


「出てください。記録します」


 宮前さんがタブレットを操作した。


 神代さんは通話を受け、スピーカーへ切り替えた。


『神代探索者。ご無事で何よりです』


 柔らかい声だった。


 六年前と変わらない。


 人の心配をしているように聞こえる声で、最初に会社の損失を数える男の声だ。


「二人が中に残ってる」


『把握しています。こちらで適切に対応しますので、まず貸与装備と取得物を回収担当へ渡してください』


「救助は」


『調査員の所在確認を進めています。ただ、神代探索者が契約経路を外れたことで、現場情報に混乱が生じています』


 契約経路。


 存在しない許可番号で、閉鎖迷宮へ入れた人間が使うには便利な言葉だった。


「榊原部長」


 口を挟むと、通話の向こうが静かになった。


『……真壁君ですか』


「お久しぶりです」


『帰路亭を開かれたとは聞いていました。君らしい場所ですね』


「褒め言葉として受け取るには、当時の人事評価と矛盾します」


『昔の話は、いずれ落ち着いて。いまは専門家へ任せてください』


「専門家なら、残留者の氏名と最終位置を答えられますか」


『機密情報です』


「救助対象の名前が機密なら、御社の安全管理はずいぶん秘密主義になった」


『真壁君。部外者が不確かな情報で動けば、かえって人命を危険にさらします』


 部外者。


 六年前には責任者と呼ばれ、事故の翌日からは原因と呼ばれた。


 組織の呼称は便利だ。人間を一語で安全圏の外へ出せる。


「では、市の担当者へ代わります」


 宮前さんが名乗ると、榊原の声からわずかに温度が消えた。


『行政への正式報告は準備中です。神代探索者には守秘義務があります。現物の保全にもご配慮ください』


「現時点で灰岳迷宮への有効な入場許可は一件もありません」


『確認系統の違いでしょう』


「全国照会です」


『では、法務を通して回答します』


 通話が切れた。


 最初から最後まで、二人の救助時刻は出なかった。


 ほぼ同時に、店先へ白いワゴン車が止まった。


 東都開発の社章。


 作業服の男が二人と、社員証を首から下げた女が一人降りてくる。手には装備運搬用の封印ケース。


「回収担当です。神代探索者の貸与装備と取得物を引き取ります」


 電話を切ってから到着まで、二分もかかっていない。


 救助隊より、会社の所有物の方が到着予定時刻を厳守されている。


 宮前さんが入口へ立ち、行政の証拠保全票を掲げた。


「現物は救助妨害の疑いを含む公的調査対象です。引き渡しを求めるなら、責任者名と法的根拠を書面で提出してください」


「当社の資産です」


「いまは人命救助の証拠です」


 社員は店内の神代さんを見た。


「契約違反になりますよ」


 神代さんの視線が、テーブルの赤い封印具へ落ちる。


 それでも手は伸ばさなかった。


「二人を連れて帰ってから聞く」


 白いワゴン車は駐車場から動かなかった。


 見張るつもりらしい。


 こちらとしても、会社が現場を監視している記録が増えるのは悪くなかった。


「緊急救助として封鎖を開けます」


 宮前さんが即座に言った。


「消防の迷宮隊を集めます。ただし灰岳の地図は六年前で止まっています。内部構造が変動しているなら、先導できる人が必要です」


「私が行く」


「あなたは治療対象です」


 俺と宮前さんの声が重なった。


 神代さんは輸液袋を掲げて見せる。


「治療中」


「点滴を携帯食みたいに扱わないでください」


「道を覚えているのは私だけ」


「倒れた場所も分からないと言っていたでしょう」


「途中までは分かる。私なら魔物を止められる」


 それも事実だった。


 救助隊が編成され、古い地図を確認し、装備を運び込むまで最低二時間。小野寺と葛西に水がなければ、待つほど状態は悪くなる。


 しかし、神代さんをそのまま戻せば、要救助者が一名増える確率も高い。


「条件があります」


 俺は言った。


「あと二時間は補給と治療。雷撃は原則禁止。俺が決めた速度と撤退時刻を守る。破った時点で地上へ戻す」


「真壁も来る前提?」


「旧第十四物資庫までの経路と、六年前の退路を知っています」


「免許は休止中でしょう」


 宮前さんが俺を見る。


「緊急救助協力者としての手続きはできます。ただし戦闘行為は禁止。市の指揮下に入り、位置記録を常時送信。救助以外の物品採取も禁止です」


「十分です」


「私はまだ許可すると言っていません」


「では、許可に必要な書類をください。書きながら準備します」


 宮前さんは一秒だけ目を閉じた。


「現場慣れした人って、どうして全員、手続きに従うふりをして手続きを急かすんですか」


「手続きが人命を守ると知っているからです」


「その答えを出されると、止めにくいんですよ」


 俺は厨房へ入り、在庫を数えた。


 水。経口補水液。塩。砂糖。米。鶏肉。卵。保温ボトル。使い捨てカイロ。布テープ。ゴミ袋。


 飲食店の在庫は、盛りつけ方を変えれば救助物資になる。


 商売の予定は壊滅したが、使い道としては間違っていない。


 待つ四時間は、負傷者には長い。


 準備する側には短かった。


 宮前さんが古い図面へ現在の封鎖箇所を書き込み、消防隊が入口までの中継計画を組む。俺は店の棚から救助に使える物を抜き出し、神代さんは食べて、診察を受けて、時計を見た。


 時刻を確認するたび、彼女の指が輸液台を握った。


 それでも、今度は立たなかった。


 午前十一時四十七分。


 神代さんは卵焼き二切れ、鶏粥一杯、すりおろし林檎、経口補水液五百ミリリットルを摂取。体温三十六・一度。脈拍は安静時九十台まで低下した。


「朝食二人前」


 神代さんが空の皿を見て言う。


「一人前を二回に分けただけです」


「看板に偽りあり」


「救護食に食べ放題を期待しないでください」


 予定の時刻になっても、受信機は鳴らなかった。


 十秒。


 二十秒。


 神代さんが空の皿から受信機へ視線を移す。


 三十秒。


「真壁」


「まだです」


 言いながら、俺も秒針を見ていた。


 手回し発電機を回す腕が残っていない可能性。葛西の容体が悪化した可能性。小野寺一人では再送できない可能性。


 四十一秒。


 そのとき、店の奥で古い受信機が鳴った。


 一度だけ。


 短い電子音のあと、表示窓に赤い数字が浮かぶ。


 14。


 六年前の物資庫へつないでいた、手回し式の非常信号だ。閉鎖時に回収できなかった受信機を、俺は捨てずに店へ置いていた。


 電池は物資庫側で発電しなければ保たない。


 誰かが、下でハンドルを回した。


 生きている。


 少なくとも、いまこの瞬間までは。


 表示は三秒で消えた。


 だが十分だった。


 俺はホワイトボードの『推定』を消す。


 旧第十四物資庫。


 その下へ、油性ペンで新しい時刻を書いた。


 午前十一時四十七分、生存信号。


「行きます」


 神代さんが立ち上がる。


 今度は膝が折れなかった。


「まず会計を」


「救助前に?」


「食い逃げを同行者にしたくないので」


 神代さんは初めて、はっきり笑った。


「帰ってから払う」


「では、生還理由を一つ追加しておきます」


 俺は前掛けを外した。


 白い調理着の上から、六年ぶりに装備ベルトを締める。


 帰れない二人へ、水と食事を届けるために。

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