十二食目は、十二人目のぶんではなかった
返却されなかった貸出票には、続きがあった。
ただし、表ではない。
「裏に、穴が二つあります」
午後二時四十八分。
灰岳市迷宮安全課の旧記録庫で、佐伯さんは金属札の複写を光へ透かした。
緊急接続線、持出先は北第三保守線。用途は帰還受け入れ前進用。返却欄は空白。
一時間前なら、そこまでしか読めなかった。
「綴じ穴では?」
宮前さんが聞く。
「間隔が違います。備品票の穴は三十五ミリ。これは二十二ミリ」
「勤務票の添付穴です」
俺は答えた。
六年前、地上補給班では、通常配置にない場所へ人を出すときだけ、備品の貸出票と臨時勤務票を二点で留めた。物と人を別々に帰還確認しないためだ。
返ってきた物だけ見て、人まで戻ったと思わない。
俺が決めた手順だった。
「なら、貸出票と一緒に勤務票があった」
神代さんが記録箱を覗く。
「事故後の回収簿にはありません」
「また消された?」
「それを先に答えにすると、探すものを間違えます」
佐伯さんが書庫の棚番号を指した。
貸出票の原本が消えていても、物を出した側には控えが残る。
人を出した側にも、給与と食事の記録が残る。
六年前の事故は十一人の死亡記録だけでは終わらない。備品庫、警備、食堂、勤務管理。別々の部署が、自分に必要な数字だけを保存していた。
完成した報告書より、ばらばらの控えの方が正直なことがある。
「緊急接続線の管理番号は、北三―一二〇―二」
俺は金属札の番号を読んだ。
宮前さんが備品庫の払出控えをめくる。
午前六時十八分。
可搬電源一台。有線子機一台。百二十メートル接続線一巻。
受領欄は、社員番号だけだった。
GS二〇七四。
「氏名台帳は別保管です」
「先に勤務を確かめます」
佐伯さんが止めた。
「人名を知ると、その人がした仕事に見える資料だけ拾い始めます」
「人間を番号のまま扱うのは嫌いです」
「私もです。だから、番号へ仕事を集めてから名前へ戻します」
反論しにくい言い方だった。
警備記録では、GS二〇七四の入館証が午前六時二十分に旧北側中継庫を開けていた。
午前六時二十一分、中継器の電源が入る。
一時間前に旧北側中継庫で見た紙テープと、一分差。
偶然で済ませられる幅ではない。
「最終勤務表では?」
宮前さんが聞く。
「北側中継庫、配置なしです」
俺が答える。
自分で削った欄だから、見なくても言えた。
「GS二〇七四は南地上本部。午前六時から午後三時まで、帰還人数照合補助」
「同じ時間に北へいる」
神代さんが言った。
「命令で動いたか、自分で動いたかはまだ分かりません」
「でも、勤務表どおりではない」
「はい」
人と物は、同じ時刻に北へ移っている。
残るのは、食事だった。
六年前の地上班には、昼の勤務食が出ていた。深層行動食より軽く、温められる弁当だ。南地上本部から動かないなら、そちらを食べればいい。
深層用を一本抜く理由はない。
食堂の発行控えは、日付ごとに紙袋へ入っていた。
事故当日の束だけが厚い。
未受領になった十一人分の夕食券と、夜勤者への追加食がまとめて戻されている。
その中に、一枚だけ午前六時十九分に取り消された昼食券があった。
社員番号、GS二〇七四。
取消理由。
北待機へ変更。深層行動食一を勤務食へ転用。
神代さんが、長く息を吐いた。
「十二人目の分じゃない」
「ええ」
俺は、二つの控えを並べた。
午前六時十八分、可搬電源と子機と接続線。
午前六時十九分、通常の昼食を返し、深層行動食へ変更。
午前六時二十分、北側中継庫へ入る。
午前六時二十一分、回線を開く。
十二食目は探索者を一人増やすためではなかった。
公式計画から消えた帰還受け入れ勤務を、一人で続けるために渡された。
「指示者は」
宮前さんが取消欄の印影を拡大する。
承認欄には、名前がなかった。
代わりに、細い英数字が打たれている。
RTN―N三―A。
俺は、その番号を知っていた。
「俺が作った手順コードです」
声が乾いた。
「遠征計画の第三版。北第三保守線から帰還連絡を受けた場合、中継庫の担当が可搬子機を持って受け入れ位置を前へ出す」
「最終版では?」
「担当ごと削除しました」
佐伯さんが、第三版と最終版の別紙を並べた。
折り返し限界の二分後までに人数確認が終わらず、保守線から一名以上の応答がある場合。受け入れ担当は地上側接続箱まで前進。水、保温具、子機を携行。後続者の有無を確認するまで回線を閉じない。
俺の署名が、右下にあった。
最終版では、別紙ごと赤い斜線が引かれている。人員表の北側中継庫も、配置なしに変わっていた。
ところが、手順コードの登録一覧には斜線がない。
紙では廃止。
備品と食事を出す端末では、有効。
「人を削って、仕事だけ残した」
神代さんが言った。
「残ったのは手順です。仕事にしたのは、使った人間だ」
「一人で使える状態を会社が残した」
短い言葉だった。
その通りだった。
最終版を読む管理者には、北の受け入れは存在しない。旧版コードを知る現場だけが、物と食事を出せる。事故が起きれば、命令書にない個人行動として切り離せる形だ。
人を置けない手順は、実行できない。
そう判断した。
だが、手順コードは備品と食事の端末に残った。GS二〇七四は、消された配置ではなく、残った手順を使った。
「真壁の命令?」
神代さんが聞く。
「違います」
即答したあとで、指先が冷えた。
「でも、俺が書いた」
「書いた手順と、動くと決めた人は別」
「実行できる形で残した責任はあります」
佐伯さんが鉛筆を置く。
「では、分けます。手順の作成者は真壁修司。最終版で配置を削除。事故当日にGS二〇七四が旧版コードで臨時勤務を開始。開始を命じた人物は未確認」
「自主対応とは書かないでください」
「理由を聞きます」
「会社は必要な仕事を削ったのに、手順と責任だけ現場へ残した。一人で拾ったことを美談にすれば、次も同じ削り方ができます」
佐伯さんは一度だけ頷いた。
「採用します」
社員番号台帳を開いた。
GS二〇七四。
高梨千尋。当時二十五歳。地上補給班の契約補助員。
事故後の退職日は、三か月後。
死亡欄は空白だった。
「生きている」
神代さんが言った。
「少なくとも、退職時点までは」
佐伯さんは氏名を結論欄へ移さず、照会対象欄へ書いた。
午後四時五十二分。
記録庫を出る前に、もう一枚だけ控えが見つかった。
高梨千尋の退勤確認票。
終了時刻は空白。
備考欄には、鉛筆で二行だけ残っていた。
十三時二十二分、北第三保守線で一名応答。
氏名聞き取れず。受け入れ位置を前進する。
その先は、高梨本人に聞くしかない。
十二食目が支えたのは、十二人目ではなかった。
帰ってくる一人を迎える仕事を、折り返し限界の先まで続けた補給係だった。




