補給係は、人数を数え終える前に席を立った
閉鎖済みの回線は、自分で生き返らない。
誰かが電源を入れた。
誰かが線をつないだ。
そして午後一時二十二分、帰ってきた人間の声を拾った。
問題は、そのあとだった。
「受け入れた人数が、書かれていません」
宮前さんが紙テープの赤い記号を見た。
帰還者あり。人数未確認。
補給係なら、そこで止めない。名前が分からなくても、まず人数を数える。歩けるか。怪我人はいるか。後ろに誰か残っていないか。
椅子も、水も、毛布も用意されていた。
なのに、続きがない。
「声を聞いた直後に、何かあった」
神代さんが言った。
「故障かもしれません」
「人がいなくなったかもしれない」
「まだ、どちらも残ります」
佐伯さんが結論欄を白いままにする。
午前十一時五十六分。
市の通信技師が、中継器の端子へ測定器を当てた。
回線を通電させるのではない。線がどこまでつながっているか、弱い検査信号で抵抗だけを見る。
「地上本部側は、ここで切れています」
技師が壁の図面を指した。
「中央へはつながっていない?」
宮前さんが聞く。
「六年前の撤去記録どおりです。電源も信号も、本部からは来ません」
なら、午後一時二十二分の受話器は、どこから動いた。
俺は中継器の下を見た。
壁際の床に、四角い薄い跡がある。
「可搬電源です」
「今はない」
神代さんがしゃがむ。
「事故後に回収されたなら、持出記録があります」
佐伯さんが封印資料を開いた。
旧北側中継庫から回収された物品。
毛布箱。
水筒。
未使用の救急鞄。
空の可搬電源ケース。
本体はなかった。
「先に持ち出された?」
「事故翌日の調査前に、です」
宮前さんの声が低くなる。
「証拠隠滅でしょうか」
「電源だけ消して、紙テープを残す証拠隠滅は、手順として雑です」
「榊原ならやりませんね」
「評価したくありませんが、やりません」
神代さんが俺を見る。
「別の場所で使った?」
それなら、電源が消えた理由にはなる。
俺は中継庫の備品表を開いた。
可搬電源一台。
有線子機一台。
緊急接続線、二巻。
回収記録に、緊急接続線は一巻しかない。
「一本、足りません」
「長さは」
佐伯さんが聞く。
「一巻百二十メートル」
壁の経路図を見る。
中継庫から北第三保守線の地上側接続箱まで、九十六メートル。
数字が、線になる。
直線なら九十六メートル。
排水溝を避け、外壁の固定具を四か所通し、両端へ作業余長を残すと百十一メートル。
百二十メートルの一巻で届く。
事故当日に別の地上施設へ出された接続線は八十メートル規格で、そちらでは届かない。二巻あった長い線のうち、回収されなかった一本だけが条件に合った。
「数字だけで、そこまで分かるんですか」
宮前さんが聞く。
「数字では、ほかの使い道を減らしただけです」
「真壁は、だいたいそれを分かったと言う」
「言いません」
「では、今は?」
「仮設線がここへ届く長さだった、としか」
佐伯さんが記録へ丸をつけた。
神代さんは不満そうだったが、丸が一つ増えたので黙った。
「閉鎖回線を直したのではありません」
俺は言った。
「中継庫から接続箱まで、仮設線を引いた。中央を通さず、帰還者の声だけを直接受けるために」
正午を回っていた。
証拠保全の範囲を広げ、市の許可を取り直す。
待つ間に、神代さんが紙袋を四つ持って戻ってきた。
「昼食」
「誰が頼みました」
「補給監査」
佐伯さんが一つ受け取る。
宮前さんも受け取る。
俺の分だけ、神代さんが渡さない。
「食べると言うまで渡さないつもりですか」
「学習した」
「覚えるところを選んでください」
「食べる?」
「食べます」
渡された鶏そぼろのおにぎりは、帰路亭のものより少し甘かった。
文句は、食べ終えてからにした。
午後零時四十八分。
北第三保守線の地上側接続箱を開く。
箱そのものは迷宮の外だ。真壁修司の休止中の探索者免許を、今日も働かせる必要はない。
錆びた正規端子の横に、後付けの金具が二つ残っていた。
規格が違う。
「可搬線用です」
通信技師が言う。
「線は撤去されています。ただ、端子に被覆の一部が残っている」
青い繊維。
六年前の緊急接続線と同じ色だった。
接続箱より迷宮側の導線は、撤去対象になっていない。北第三保守線まで、壁の中に残ったままだった。
中央からは切れている。
だが、ここへ仮設線をつなげば、中継庫と北第三保守線だけを一本の回線にできる。
「九十六メートル、ここまで引いた」
宮前さんが中継庫の方を見る。
「誰かが、帰ってくる声の方へ受け入れ場所を近づけた」
神代さんの言い方で、俺は帰路亭を思い出した。
閉鎖迷宮の正面に食堂を作った理由を、六年前の誰かは百二十メートルの線で先にやっていた。
「端子の向きが逆です」
技師が言った。
「逆?」
「中継庫から聞くだけなら、ここで折り返す配線にする。でもこれは、子機を先へ持ち出せるつなぎ方です」
可搬電源。
有線子機。
足りない緊急接続線。
受け入れ担当は、中継庫で声を待つだけではなかった。
声が届いたら、子機と電源を持って保守線側へ進めるようにしていた。
「だから本体がなかった」
神代さんが言う。
「持って、席を立った」
椅子に座らせる相手の人数も確かめずに。
帰還者あり。
人数未確認。
その記号を残した直後、受け入れ担当は待つのをやめた。
俺なら止める。
人数と状態を聞くまで、次の行動を決めるなと言う。
だが、線の向こうで声が切れたなら。
六年前の俺は、どうしただろう。
「名前は、まだ足さない」
自分へ言う。
「行動も、推測で足しません」
佐伯さんが続けた。
「確定できるのは?」
神代さんが聞く。
俺は、九十六メートル離れた中継庫を見る。
「受け入れ担当は閉鎖回線を復旧したのではない。可搬電源と仮設線で、帰還者の声が届く場所まで仕事を前へ出した」
「そのあと」
「午後一時二十二分に人数未確認の帰還者を受信し、子機と電源を中継庫から持ち出した可能性が高い」
可能性。
まだ、結論ではない。
佐伯さんは二文を分けて記録した。
確定した仕事。
次に確かめる行動。
午後一時三十六分。
通信技師が接続箱の底から、細い金属札を見つけた。
仮設線を固定する留め具に挟まっていたものだ。
緊急接続線の貸出票。
返却欄は空白。
持出先だけが、鉛筆で書かれている。
北第三保守線、帰還受け入れ前進用。
人数を数え終える前に、補給係は席を立った。
待つ場所を、帰ってくる人間の方へ近づけるために。




