六年前の撤退計画を、もう一度組み直す
「六年前の撤退計画を、最初から組み直してください」
開店十分前。
まだ暖簾も出していない帰路亭で、国の補給監査官はそう言った。
朝食の注文としては重すぎる。
「当店の定食には含まれていません」
「追加料金は国が払います」
「料金の問題ではありません」
「では、何の問題ですか」
佐伯七緒。
国の迷宮事故再調査室から来た補給監査官だ。三十八歳。濃い灰色の作業服に、角の潰れた革鞄。名刺より先に、封印番号のついた記録箱をカウンターへ置いた。
人の顔より、荷札を見る職種らしい。
「俺は当事者です」
俺は答えた。
「当時の兵站主任で、出発確認書へ署名した。正しい計画を復元するより、自分に都合のいい計画を作る危険があります」
「だから呼びました」
「理由がつながっていません」
「あなたが計算する。私が疑う。二人とも納得した箇所だけ残す」
佐伯さんは記録箱の封印を指で確かめた。
「一人で出した答えを、国の再調査結果にはしません」
隣に座る宮前さんが、紙コップのコーヒーを飲む。
「私も疑います。手続き面だけですが」
「神代さんは」
「真壁が朝食を抜いたら止める」
カウンターの内側から答えが来た。
神代さんは、俺の許可を待たずに炊飯器を開けている。予備鍵を渡したのは緊急物資庫を開けるためであって、店主の食事を強制する権限まで渡した覚えはない。
「その役割は監査に必要ですか」
「補給監査なので」
佐伯さんが真顔で答えた。
補給職は、敵に回すと面倒だ。
味方でも面倒らしい。
記録箱には、六年前の原資料の複製が入っていた。
遠征計画の最終版。
物資引渡記録。
旧正面ゲートの台車重量。
昨日届いた出発映像の原本。
そして、深層行動食の製造仕様書。
「最初の仮説は三つです」
佐伯さんが白紙を三つに区切る。
「一。十二人目がいた。二。一本は誤積載。三。十一人とは別の用途があった」
「映像だけなら、どれも残ります」
「ええ。ですから映像を答えにしません」
俺が昨夜から何度も見た画面を、佐伯さんは閉じた。
「記憶も使いません」
「俺の証言は不要ですか」
「最後に使います。まず、六年前のあなたを今日のあなたから隔離する」
言い方は冷たい。
だが、正しい。
六年前の俺は、もう反論できない。残っているのは紙と数字だけだ。
「条件を読み上げます」
俺は計画書を裏返し、複製の方だけを開いた。
入域者、十一名。
予定活動時間、十八時間。
折り返し限界、午後一時二十分。
深層行動食は、一人一本。内容量三百五十二グラム。第六層での摂取を前提とし、帰路用の高密度パックとは別管理。
「予備は」
宮前さんが聞く。
「積みません。深層行動食は水分を含む。予備は同じ熱量で軽い高密度パックを二割です」
「なら、十二本目は予備ではない」
「その可能性が高い。まだ断定はしません」
口に出すと、胸の奥で別の声がした。
お前が見落とした。
十一人を帰せなかったうえに、十二本目まで見落とした。
計算用紙の数字が、六年前の死亡確認表へ見え始める。
「真壁」
神代さんが呼んだ。
「何です」
「指が止まってる」
鉛筆の先は、十一の横で止まっていた。
「続けられます」
「聞いてない。止まってると言った」
湯気の立つ味噌汁が置かれる。
その隣に、塩むすび。
「食べたら再開」
「開店準備があります」
「私が暖簾を出す」
「向きが逆だったことがあります」
「今日は確認する」
成長の速度が、妙なところだけ速い。
俺は塩むすびを半分食べた。
死者の表に見えていた紙が、ただの重量表へ戻る。
「再開します」
今度は、佐伯さんへ鉛筆を渡した。
「計算はあなたが」
「依頼は、あなたが組み直すことです」
「俺が条件を出す。あなたが計算する。俺の癖を計算結果へ入れないためです」
佐伯さんは一秒考え、鉛筆を受け取った。
「採用します」
十一人分の装備。
水。
救急品。
予備電池。
高密度パック。
深層行動食。
仕様書の重量を一つずつ積み、箱と固定帯の重さを加える。
十二本で組んだ重量。
十一本で組んだ重量。
旧正面ゲートの計量記録と照合する。
佐伯さんの鉛筆が止まった。
「三百五十二グラム」
深層行動食、ちょうど一本分。
映像の台車には十二本あった。
ゲートを越えた台車は、十一本分しか重くない。
「計量器の誤差は」
宮前さんが聞く。
「最大四十グラム」
「箱の吸湿」
「当日の湿度を上限で入れても六十八グラム」
「一ノ瀬さんの配信みたいな時刻ずれは」
神代さんが言う。
佐伯さんが計量記録を指す。
「映像は午前六時四分。計量は六時十七分。同じ台車番号。十三分の間に一本減っています」
十二人目が十二本目を持って深層へ入った。
その仮説は、ここで崩れた。
少なくとも、公式隊と同じゲートは通っていない。
俺は映像を開き直す。
十二本が映った場面ではなく、その後。
台車が車両の陰へ入る直前を、一コマずつ送る。
白い封印帯。
六本。
もう六本。
画面の端から、作業手袋が伸びる。
一本を取る。
袖は灰色。東都開発の深層隊は紺。地上補給班の作業服が灰色だった。
顔は映っていない。
手は、行動食を遠征隊の車両ではなく、旧北側通路の方へ運んでいく。
「誤積載なら、返却箱へ置きます」
俺は言った。
「北側通路には何が?」
佐伯さんが聞く。
「当時の中継庫です。出発隊ではなく、帰路を迎える補給員が使う」
「補給員の配置記録は」
「最終版では、なし」
俺自身が削った。
榊原に人員を減らされ、帰路中継まで置けなくなったからだ。
だが、十二本目は北へ運ばれた。
存在しないはずの配置先へ。
「結論を書きます」
佐伯さんが三つの仮説のうち、一つ目へ線を引いた。
「十二本目は、公式十一名と一緒には入域していない。誤積載か別用途かは未確定。ただし、出発直前に地上補給班の服を着た人物が北側中継庫方向へ持ち出した」
「人の名前は書かないでください」
「なぜです」
「まだ、役割しか分かっていない」
俺は、昨夜つけた赤い印を消した。
十二人目を探す印ではない。
十二食目が、どの仕事へ渡ったのかを追う印に変える。
暖簾の向きは、今日は合っていた。
午前八時三分。
開店した帰路亭で、六年前の帰り道だけが、もう一度動き始めた。




