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戦えない元補給係の廃ダンジョン食堂 ~血まみれのSランクを救ったら、最強探索者たちの帰還拠点になりました~  作者: sakumaaa
第三事件 帰還済みの救難信号

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帰還届には、自分の名前を書く

 人間を地上へ帰すのに、二時間かかった。


 地上へ帰ったと証明するのに、七時間かかった。


 制度は迷宮より広くない。


 ただし、曲がり角が多い。


 午前十時十一分。


 柚木春人さんは、帰路亭の奥で左腕を縫われていた。


 裂傷は六センチ。


 筋と神経に損傷なし。


 低体温、軽度。


 魔素障害、軽度。


 本人は意識清明。


「すみません」


 医師が一針縫うたび、柚木さんが謝る。


「動くと縫い目がずれます」


「すみません」


「謝ると肩が動きます」


「……はい」


 医師の方が先に疲れていた。


 椎名さんは隣の椅子で、右膝を冷やしている。


 二人とも帰還者だった。


 端末上では、一人分だ。


 行政の本人確認票には、柚木さんの氏名を書いた。


 だが、入域履歴がないため帰還届として受理できない。


 無許可入域を先に認定すれば、帰還時刻は記録できる。


 その場合、会社は柚木さん個人が勝手に入ったと主張する。


 会社指示を先に認定するには、証拠が足りない。


 人命救助が終わった途端、古賀は元気になった。


「柚木君は、私物の複製札を使って侵入したのでしょう」


「複製札は御社から支給されました」


 宮前さんが言う。


「椎名君の証言だけです」


「現場写真もあります」


「撮影者が柚木君とは限らない」


「四人分の携行食」


「椎名君が二食食べた」


「味を知りませんでした」


「記憶違いでしょう」


 古賀は、一つずつなら説明できる。


 写真の影。


 四食目。


 小さい手袋。


 二度帰還した椎名さんのID。


 柚木さんが内側から閉めた第二弁。


 全部を同時に説明することはできない。


 だが、会社という場所は、矛盾を部署ごとに分けて保管するのが上手い。


「救助は終わりました」


 古賀は言った。


「以降は、社内調査へ任せてください」


「まだ一人、帰還していません」


 俺は答えた。


「目の前にいるでしょう」


「だから、記録へ戻します」


「食堂の仕事ではない」


「朝食を四人分食べたあとで、もう一度言ってください」


「意味が分かりません」


「正常です」


 俺は厨房へ入った。


 医療班から、温かく消化のよい食事なら許可が出ている。


 米は炊いてある。


 鶏ひき肉と卵のあんかけ。


 豆腐の味噌汁。


 塩分は少し高め。


 柚木さんには小盛り。


 椎名さんは普通盛り。


 神代さんは大盛りを二つ。


「なぜ二つ」


「救助した」


「一人救助するごとに定食が増える制度はありません」


「作ればいい」


「制度は曲げません」


「ご飯だけ増やして」


「それはできます」


 交渉成立。


 神代さんは盆を運ぶ。


 俺が頼む前に、柚木さんの前へ水を置き、椎名さんの膝が伸ばせるよう椅子をずらした。


 予備鍵を持つ人間の仕事として、正しい。


 前掛けは、やはり似合っていない。


「いただいて、いいんですか」


 柚木さんが聞く。


「店なので」


「お金が」


「会社へ請求します」


 古賀が振り向く。


「会社指示だと認めるんですか」


「救助食の請求先は、雇用実態の確認後に決めます」


 宮前さんが答えた。


 古賀は黙る。


 行政も、少しずつ食堂の会話へ慣れてきた。


 柚木さんが一口食べる。


 熱さに目を閉じた。


「おいしいです」


「ゆっくり」


「はい」


 また一口。


 椎名さんは箸を持ったまま、食べない。


「椎名さん」


「俺が、札を渡しました」


「聞いています」


「断れた。あいつに、今日は外で待てって言えた」


「はい」


「なのに、仕事を覚えさせるためだって。俺も最初はそうだったからって」


「はい」


「俺のせいです」


 俺は否定しなかった。


 自分の責任を全部消す言葉は、たいてい他人の責任まで消す。


「証言してください」


「会社を辞めさせられます」


「その可能性はあります」


「資格も」


「処分対象です」


「真壁さん」


 神代さんが俺を見る。


「都合のいいことだけ言って証言させれば、あとで椎名さんを守れません」


 椎名さんは俯いた。


 やがて、冷めかけたあんかけを一口食べる。


「……話します」


「全部を」


「はい」


「自分に不利なことも」


「はい」


 六年前、俺ができなかったことだった。


 命令に反対した。


 記録も残した。


 それでも、最後には遠征開始確認書へ署名した。


 その一行を隠して榊原だけを責めれば、俺も同じやり方になる。


 椎名さんが証言を始める。


 三か月前から、資格者三名の枠へ研修員を一人追加していたこと。


 人件費と保険料は三人分で処理されていたこと。


 複製帰還札は古賀から渡されたこと。


 柚木さんには「名前はあとで登録する」と説明したこと。


「あとって、いつだったんですかね」


 柚木さんが小さく言う。


 誰も答えられない。


 事故が起きなければ、ずっとあとだったのだろう。


 事故が起きれば、最初からいなかったことになる。


 会社にとって便利な時間表現だった。


 午前十一時四十分。


 市の監査担当が、作業報告サーバーの凍結データを持ってきた。


 写真の元データ。


 工具受領票。


 弁の操作履歴。


 勤怠表。


 柚木さんの名前は、一つもない。


「本当に消されています」


 宮前さんが言う。


「証拠がないのではなく、消した証拠だけがある状態ですね」


「帰還札の発行履歴は」


「二枚とも正規署名です。同じID、同じ発行時刻」


「南関東迷宮設備の権限で可能ですか」


「無理です」


 宮前さんが画面を拡大する。


「複製には発行事業者級の管理鍵が必要。署名系統は……東都開発、深層技術系」


 八代さんが外部保全した記録と同じ系統だった。


 会社の下請けが、勝手に作った偽札ではない。


 誰かが、正規の鍵で人間を二重にした。


「私は知りません」


 古賀が言う。


「札は、東都開発の担当者から渡された。予備用だと」


「担当者名は」


「契約窓口は匿名化されています」


「便利ですね」


「元請けの規則です」


 古賀は、そこで初めて自分も切り捨てられる側だと気づいた顔をした。


 同情はしない。


 理解はできる。


 会社の階層は、上から見れば責任を落とすための排水管になる。


 下にいる人間から順に、流される。


 午後三時二十分。


 南関東迷宮設備の灰岳市契約は緊急停止。


 古賀は名義貸し、労務記録改変、救難対応妨害の調査対象になった。


 椎名さんにも資格審査が入る。


 柚木さんの無許可入域は消えない。


 ただし、会社指示下の業務災害として扱われる。


 そして午後五時四十六分。


 灰岳市迷宮安全課の会議室へ、帰還届が一枚置かれた。


 入域者氏名。


 柚木春人。


 入域時刻、午前一時四分。


 帰還時刻、午前九時五十六分。


 備考欄には、複製帰還札による記録重複と書かれている。


「ここへ署名を」


 宮前さんがペンを渡す。


 柚木さんは、包帯の巻かれた左腕を机へ置いた。


 右手でペンを持つ。


 一文字ずつ、ゆっくり書く。


 柚。


 木。


 春。


 人。


「自分の名前、書くの久しぶりです」


 笑おうとして、失敗した。


「会社では、研修員って呼ばれてたので」


「これからは名前で呼びます」


 宮前さんが届を受け取る。


 行政端末へ、四つ目の緑の丸が灯った。


 帰還済み、柚木春人。


 ようやく、数字と人間が一致した。


 帰路亭へ戻ると、店の灯りがついていた。


 俺は鍵を持っている。


 神代さんも持っている。


 裏口を開けたのは、彼女だった。


「おかえり」


 厨房から声がする。


「火は使っていませんよね」


「最初に確認すること?」


「重要です」


「ご飯は炊いた」


「炊飯器なら許可します」


「勝手に?」


「共同責任者権限です」


 神代さんが目を細める。


 俺は前掛けを受け取り、炊飯器を開けた。


 二人分ではない。


 六人分の米が炊けている。


「多くないですか」


「帰ってきた四人が、また来るかもしれない」


 帰還者三人。


 救助された一人。


 それを四人と数えた。


「余ったら?」


「私が食べる」


「最初からそれが目的では」


「違う」


 返事が少し速い。


 俺は味噌汁の鍋を火へかける。


 東都開発の管理鍵。


 六年前の認知異常。


 会社の奥には、まだ帰還人数を都合よく変える誰かがいる。


 それは明日から追えばいい。


 今日は、自分の名前で帰ってきた人間へ食事を出す。


 神代さんが店の札を、臨時休業から営業中へ戻した。


 俺は止めなかった。


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