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雨巫女さまじゃなくて、秋雨ちゃんと呼びたかった。  作者: 氷澄そら
第1章 雨巫女さまの、秋雨ちゃん。
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第6話 明日、君に見せるために。

 秋雨(あきさめ)は大人たちの前だからか、まひるへの呼び方を朝倉(あさくら)さんに戻そうとしていた。


「まひ……朝倉さん」

「今更だよ、秋雨ちゃん」

「むぅ」


 けれど、それは本当に遅すぎる話だった。

 ちょっとむくれた秋雨を見て、周りの空気が柔らかくなる。


「じゃあ、まひるちゃん」

「なあに、秋雨ちゃん」

「……連絡先を、交換してもらってもいい?」

「連絡先?」

「うん。まひるちゃん……と、また話せるように」


 声が小さくなったり、大きくなったりした。

 自覚した状態まま大人たちの前で「まひるちゃん」と呼ぶのは、まだ慣れないのだろう。

 まひるはちらっと大人たちを見る。

 紗和(さわ)が何か言いたそうにしている。

 源一郎(げんいちろう)は穏やかな顔のまま二人を見ている。

 まひるはそれらを見ないことにして、スマホを開いた。


「いいよ。メッセージアプリで大丈夫?」

「めっせーじ……はい、大丈夫、です」

「じゃあ、秋雨ちゃんが使ってるやつ教えてくれる?」


 秋雨はスマホを取り出すところから真剣だった。

 淡い色の着物の袂から出てきたスマホは、古い機種に見えた。

 ケースには小さな傷がいくつかついている。

 秋雨は画面をつけて、しばらく止まった。


「……どれでしたっけ」

「アプリ?」

「はい。たくさんあります」

「見てもいい?」

「お願いします」


 秋雨はスマホを両手で差し出した。

 けれど、まひるは受け取らず、隣から画面を覗く。

 さっき秋雨が画面を覗き込んでくれたみたいに、今度は自分が覗き込んだ。

 まひるは並んだアイコンの中から、見慣れた緑色のものを見つける。


「あった」

「ありましたね」

「これ使ってる?」

「はい、バッチリ使ってます」

「うん。わかった。なら、この緑の四角を押して」


 秋雨は、言われた通りにアイコンを押した。

 力いっぱいだった。

 スマホの画面は、別に強く押さなくても反応する。

 緊張しているのだろう。

 いつの間にか言葉遣いも敬語に戻っている。

 けれど、まひるは何も言わなかった。


「開いたね」

「はい、開きました」

「じゃあ、ここ。友達追加ってやつを押して」

「友達」


 秋雨がその言葉を小さく繰り返す。

 まひるは指を止めた。

 さっきまで話していた「友達になろうよ」と、スマホの中の「友達追加」。

 同じ言葉なのに、スマホの中の「友達」はずいぶん軽く見えた。

 けれど、今の二人にはちょうどよかった。


「そう。友達追加。右上にあるやつ」

「これですね」


 秋雨が画面に触った瞬間。


「画面が消えちゃいました!」

「大丈夫大丈夫。カメラになっただけだよ」


 急に顔を上げて慌てている秋雨を、まひるはなだめながら自分のスマホを操作し、QRコードを表示させた。


「これを読み取って」

「読み取る」

「えっとね、カメラみたいに向ければ大丈夫」

「こうですか」

「うん、もうちょっと近く。あ、近すぎ。離して」

「難しいですね」

「そうそう、これ枠に入れるのムズいんだよね」


 秋雨は言われた通りにスマホを動かした。

 画面が一度ぼやけて、それからまひるのアカウント名が表示される。

 秋雨はそれを見て、目を瞬かせた。


「出ました!」

「じゃあ、追加を押して」

「ついかを、おす」


 秋雨がボタンを押す。

 まひるのスマホに通知が来る。

 そこには、篠宮(しのみや)秋雨の名前が表示されていた。


 まひるはそれを見て、やっぱりなんだか変な感じがした。

 さっきまで、目の前にいる秋雨は雨巫女だった。

 神社の広間に座って、目元を赤くしながらも背筋を伸ばしていた。

 その秋雨が、今はまひるのスマホの中にいる。

 小さな文字になって、いつでも呼べる場所にいる。

 まひるも同じように、友達追加を押した。


「友達になったよ」

「やった!」

「じゃあ次はメッセージ送ってみよっか」

「はい、なんておくればいいですか?」

「えっ、うーん、なんでもいいんじゃないかな。試しだし」


 秋雨はまひるの言葉を受け、スマホと向き合ってその場で文字を打ち始めた。

 それはとても遅かった。

 一文字ずつ長押しして、ゆっくりとフリックして、確認しながら打っている。

 まひるは横から覗き込みすぎないように、顔を引いた。

 やがて、まひるのスマホが震える。


『よろしくお願いします』


 画面には、丁寧な一文が届いていた。

 まひるは顔を上げる。

 秋雨は真剣な顔で、送信済みの画面を見ている。


『秋雨ちゃん、硬いね』

 まひるは続けて、猫のスタンプを送った。


「硬い……? あと、このかわいい猫ちゃんはどうやったんですか?」


 秋雨はスマホから顔を離し、まひるに向ける。

 そこには「よろしくニャン」の吹き出しが付いた猫が表示されていた。


「スタンプは使ったことない?」

「ないです。あと、硬いってなんですか?」

「スタンプはここ、硬いは硬いだよ」

「ここ?」

「ううん、えっとね、画面一緒に見よっか――」


 秋雨は、まひるとの距離を測っているみたいに、言葉をひとつずつ確かめていた。

 その真面目さが、まひるにはおかしかった。

 けれど、それを笑う気持ちにはならなかった。


「……秋雨さん」


 源一郎が穏やかに声をかける。

 秋雨ははっとして、スマホを膝の上に置いた。


「はっ、はい」

「そろそろ朝倉さんたちも、拠点の方へ向かわれる時間です」

「……はい」


 秋雨の返事はしおらしく、しょんぼりとした声だ。

 まひるは、その声の沈み方を聞き取った。

 外を見れば雨はすっかり上がって、いつの間にか夕暮れが空を染めていた。

 帰ったら、もう会えないわけではない。

 メッセージも交換した。友達にもなった。

 夏の間、まひるたちは下宿しているから、いつでも会える。

 それでも、まひるも今この広間から立ち上がることが惜しかった。


「まひる、行くわよ」


 紗和が言った。

 まひるは頷き、スマホを鞄にしまう。

 立ち上がろうとして、足の痺れが戻ってきた。

 思わず身体が傾きかける。

 秋雨がすぐに手を差し出した。

 まひるは、その手を借りるか一瞬迷った。

 けれど、友達になったのだから。

 そう思って、まひるは秋雨の手に指先を乗せた。


「ありがと」

「うん」

「正座の練習する?」

「なんでさ」

「だってほら、お祭りの時とか」

「わたしは外にいるんじゃないの?」

「あっ、たしかに」


 秋雨とまひるの間に、もう敬語はなかった。

 それだけで、まひるは立ち上がれた。

 源一郎と紗和が襖の外へ出る。

 まひるも続こうとした時、秋雨が小さく声をかけた。


「まひるちゃん」

「ん?」


 振り返ると、秋雨は広間の中に立っていた。

 淡い着物の袖が、畳の上で静かに揺れている。

 窓の外の葉から、残った雫だけがぽつりと落ちる。


「また写真、見せてくれる?」


 言ってから、秋雨はすぐに目を瞬かせた。

 まひるが黙っていたせいだと思う。

 けれど、ちゃんとまひるの胸にそれは届いた。

 まひるは、胸の奥がゆっくり温かくなるのを感じた。


「うん。見せるよ」

「本当?」

「嘘つかないってば。まだいっぱいあるし、それに――」


 秋雨が小さく笑った。

 その笑い方が、さっきより自然に見えた。

 まひるは鞄の肩紐を握り直す。


「――明日からもまた撮るからさ」

「うん」


 秋雨は頷き、まひるは廊下へ出た。

 神社の外へ出ると、鳥居の朱色はまだ濡れていた。

 石段の端には小さな水たまりが残っていた。

 雲は厚いままだったが、隙間から橙色の陽が差し込んでいた。

 まひるは傘を閉じたまま石段を下りる。

 紗和が隣でまひるを見る。


「おまたせ」

「大丈夫よ。お母さんこそ、待たせちゃったわね」

「楽しかったからいいよ」


 まひるはそう答えてから、後ろを振り返った。

 秋雨は、軒下に立っていた。

 雨巫女の姿勢で、友達の顔で、こちらを見送っている。


 まひるは小さく手を振った。

 秋雨も手を振り返した。

 その仕草は、二人ともまだぎこちなかった。

 階段を下りきったところで、まひるは紗和の方を見た。


「ねえ、お母さん」

「なに?」

「明日も、神社に来てもいいかな」


 紗和はすぐには答えなかった。

 まひるを見て、それから社殿の方へ視線を向ける。

 その顔は、保護官の顔ではなく、母親の顔だった。


「友達になったのね、いいじゃない」

「そういう言い方されると、なんか違うんだけど」

「違うの?」

「……違わないけど」


 まひるは唇を尖らせた。

 紗和は笑わなかった。

 でも、口元は緩んでいた。


「明日も行っていいのよ」

「いいの?」

「ええ。ただし、秋雨さんの都合もあるから、先に連絡してからね」

「分かってる」


 まひるはスマホを取り出して、メッセージアプリを開いて……まだ早いと思ってやめた。

 さっき交換したばかりの連絡先。

 それだけで十分だった。

 

 「遊ぼう」や「楽しかったね」は、もう少し余韻に浸ってからでも間に合うと思ったから。


 坂道の先に、雨上がりの島が続いている。

 濡れた紫陽花の葉。軒下の網。水たまりに映る曇り空。

 まひるは歩きながら、写真を撮りたいと思った。

 けれど今度は、誰かに見せるためでも、自分だけで終わらせるためでもなかった。


 明日、秋雨に見せるために。

 まひるはスマホを取り出し、雨上がりの坂道に向けた。

 画面の中で、止まった雨が静かに光っている。

 まひるはシャッターのボタンを押す。

 今が、手元に残った。

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