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雨巫女さまじゃなくて、秋雨ちゃんと呼びたかった。  作者: 氷澄そら
第1章 雨巫女さまの、秋雨ちゃん。
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第5話 「まひるちゃん」

「わたしたち――友達に、ならない?」


 言ってから、まひるは一瞬だけ息を止めた。

 変なことを言ったかもしれない。

 初対面で、しかも会話の流れを断ち切るみたいに、いきなり言うことではなかったかもしれない。

 そもそも友達というのは、こんなふうに申し込むものだったのかすら分からない。

 クラスメートは同じクラスになったからで、部活の仲間は同じことをやったからで。

 友達って、なるものだったっけ? まひるの脳内で、めまぐるしく言葉が飛び交う。

 けれど、まひるにとっては大事だった。

 知り合いでも、母の仕事先で会った同い年の子でも、雨巫女でもなく。

 この子と、友達になりたいと思った。


 秋雨(あきさめ)は、黒い目を丸くした。

 そのまま、雨音が二つ三つ落ちるくらいの間、黙った。

 まひるはその間に、自分の言葉を取り消したくなった。

 けれど、スマホを握る手だけは離せなかった。

 秋雨は、少し困ったように眉を寄せた。


「友達、ですか」

「う、うん」

「私と?」

「はい、篠宮(しのみや)さんと」

朝倉(あさくら)さんが?」

「そう。わたしが」


 秋雨は、指を膝の上ですり合わせた。

 広間の外で、雨粒が葉を叩く音がする。

 まひるはその音を聞きながら、返事を待った。


「……私で、いいんですか?」


 その聞き方が、まひるには少し引っかかった。

 いいか悪いかを、まひるが決める話ではない気がしたからだ。

 けれど秋雨の顔は真面目で、冗談には見えなかった。

 だから、まひるはどうしようもなく声が大きくなりそうになったのを抑えた。


「わたしが篠宮さんと友達になりたい」

「ですから、本当に私で」

「篠宮さんがいいなら、それで……いい。ううん、篠宮さんが、いい」


 まひるの声はどんどんしぼんでいった。

 けれど、秋雨は小さく頷いた。

 今ある精一杯の言葉として、気持ちを受け取ってくれたみたいに。


「朝倉さん。それでは、これからよろしくお願いします」

「ん……なんか、硬いなぁ」

「友達は、よろしくお願いしますと言わないんですか?」

「言わなくはないけど……いや、言うか。言うかも。もしかして、わたしだけが言ってこなかった?」


 考えているうちに、自分でも分からなくなってきた。

 秋雨は、また真面目な顔で頷く。


「では、間違ってはいませんね」

「そっか、うん。じゃあ、それでいいんだと思う」


 まひるは笑った。

 秋雨も、少しだけ笑った。

 ふたりの笑い方は、さっきまでよりも柔らかかった。

 まひるはその顔を見て、言葉を続ける勇気が出た。


「じゃあさ、友達になったし、名前で呼んでもいい?」

「名前、ですか」

「うん。『篠宮さん』って、なんだか他人行儀っぽいじゃん?」

「他人ですが」

「そういうんじゃないんだよなあ」


 まひるがわざと胸を張ると、秋雨は考えた。


「では、秋雨で」

「秋雨」

「はい」

「秋雨」

「はい」


 口に出してみると、雨の音とは違う響きがした。

 秋の雨。

 けれど、今は目の前にいる女の子の名前だった。


「……呼び捨てにすると、なんだかしっくりこないね」

「秋ちゃんと呼ぶ子もいますよ」

「んー……わたしなら秋雨ちゃん、かな」

「秋雨ちゃん、ですか」

「駄目?」

「駄目ではありません。友達に言われるのが、慣れないだけです」


 秋雨はそう言って、まひるから視線を外した。

 耳のあたりが赤い。

 まひるは、それを見なかったことにした。

 じろじろ見るのは失礼だ。

 それに、今見たら自分まで変な顔をしそうだった。


「私も、朝倉さんを名前で呼んだ方がいいですか」

「うん。まひるでいいよ」

「まひる、さん」

「ちゃん」

「まひる、ちゃん」

「そう。まひるちゃん。もう一回いってみよう」


 秋雨は、まひるの方を向いた。

 さっきまで雨巫女として整えていた声ではない。

 少しだけたどたどしい、初めて口にする言葉を確かめる声だった。


「まひるちゃん」


 まひるは自分で言わせたくせに、返事が遅れた。

 名前を呼ばれただけなのに、胸のあたりが変にむずむずする。

 スマホの黒い画面に映った自分の口元が、緩んでいた。

 まひるは画面を伏せた。


「……はい」

「声が小さかったですか?」

「今のはちょっと、不意打ちだった」

「なんですかそれ、まひるちゃんが言わせたのに」

「あ、敬語」

「あっ」

「敬語もなくそうよ。わたしたち、友達だから」


 秋雨が小さく笑った。

 その笑い声は、雨音の中でもちゃんと分かった。

 まひるも笑った。


「うん、わかった。まひるちゃん」


 広間の外では、もうすぐ上がりそうな雨が降っている。

 けれどさっきまでより、その音は少し遠くに聞こえた。



 大人たちの足音が近づいてきたのは、それから間もなくのことだった。

 廊下の板が、ゆっくりと鳴る。

 まひるは反射的に、伏せていたスマホを胸元へ引き寄せた。

 別に、悪いことをしていたわけではない。

 それなのに、イタズラを見つかったみたいに身体が動いた。


 秋雨も膝の向きを揃え直した。

 さっきまで「まひるちゃん」と呼んで笑っていたのに、大人たちの気配が近づいた途端、背筋がすっと伸びる。

 まひるは秋雨が雨巫女としての姿勢に戻ったように見えて、スマホをぎゅっと握った。


 けれど、秋雨の視線が一瞬だけこちらへ向いた。

 黒い目が、何かを確かめるようにまひるを見る。

 そして、秋雨はやさしく微笑んだ。

 まひるは小さく驚いて、こくりと頷いた。

 その一瞬だけで、スマホを握る力が抜けた。


 ――襖が開く。

 先に入ってきたのは潮見源一郎だった。

 灰色の羽織の裾が、動きに合わせて静かに揺れる。

 その後ろから、紺色のレインコートを脱いだ紗和が続いた。


「お待たせしました」


 源一郎が穏やかに言った。

 まひるは反射的に背筋を伸ばした。

 紗和の視線が、まひると秋雨の間をゆっくり行き来する。

 まひるは何も言っていないのに、母にはもう何かを察された気がした。


「二人とも、退屈しなかった?」


 まひるはすぐに答えようとして、一度だけ秋雨を見た。

 秋雨も、まひるを見ていた。

 それがなんだかおかしくて、二人とも少しだけ笑った。


「はい。まひるちゃんに、写真を見せてもらっていました」

「写真?」

「外の世界の写真です」


 秋雨の声は丁寧だった。

 大人に向けた声だ。

 けれど、気づいていないのか、呼び方が変わっていた。

 源一郎が目を細める。


「それはよかった。秋雨さんは、外のお話が好きですからな」

「総代」


 秋雨が困った声を出した。

 秋雨は源一郎のことを「総代」と呼ぶらしい。

 まひるは、源一郎と秋雨の間にあるものをまだ知らない。

 だから、それは敬意は感じるけど、距離があると思った。

 でも、秋雨が外の世界に興味があることを、源一郎は知っている。

 そのことが、まひるの中に残った。


「まひるは、失礼なことをしなかった?」


 紗和がそう言った途端、まひるは身を乗り出そうとする。

 けれど、足がしびれていて、ほんの少し前のめりになるだけに留まった。


「してないし」

「本当に?」

「してたら、秋雨ちゃんだって『まひるちゃん』なんて呼ばないでしょ」

「あらあら」


 秋雨が隣で小さく息を漏らす。

 笑ったのだと分かった。

 大人たちには分からないくらいの、控えめな笑い方だった。

 まひるはそれに気づいて、口元が緩んだ。


「私は、まひるちゃんと一緒にいて楽しかったです」


 まひるは秋雨の横顔を見た。

 その一言は、まひるを庇うためだけのものではないように聞こえた。

 自分の言葉で、過ごした時間を伝えてくれたと思った。


「そう。それならよかったわ」


 紗和は柔らかく言った。

 源一郎も頷く。


「若い方同士、気が合ったようで何よりです」


 若い方同士。さっきまでは、引っかかった言葉だったけど、今は同じ言葉なのに違って聞こえた。

 今回は、大人の話から外されたというより、二人だけの時間をもらったようにも思える。

 まひるは、そう思えた自分に驚いていた。

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