第七話 南方山岳地帯へ
南方山岳地帯にたどり着くと、麓から空気が変わった。
乾いた風に混じる、甘ったるい瘴気の匂い。鼻の奥がひりつくような、生き物の領域ではないものの気配。私はマントの襟を引き上げながら、隊列の中ほどを歩いていた。
六人パーティー。私、オレコノーガ、ハズレネー、ココハオレニー、セーケンガ、タイキ。
まだセーケンガは聖剣を見つけていないし、タイキはひよっこ剣士だけれど、四天王の一人を倒した。
編成としてはそこそこ整っているはずだ。
目的は古語「レンアイ」の手がかりを探すこと。かつて南方の山岳部族が、その言葉を口承で伝えていたという情報を掴んで、はるばるここまで来た。
オレナイのために。ヘシオール兄さんのために。あの二人の未来を繋ぐために、私にはどうしてもその文献が必要だった。
山道の途中、麓の集落で足を止めた。水と食料を補給するためだったが、村人たちの様子がおかしかった。
目が怯えている。
「あんたら、山の向こうに行くのかい」
年かさの女性が、私たちの装備を見て声をかけてきた。冒険者だと思ったのだろう。間違ってはいない。
「ええ。部族の村に用があるんです」
「やめときな」
女性は首を横に振った。周りの村人たちも、同じ顔をしていた。
「三日前だよ。空から降ってきたのさ、黒い城が。山の向こうの稜線にどすんと落ちてきてね。それからあの村には化け物がうじゃうじゃ出て、近づいた者は誰も戻ってこない」
空から城。
嫌な予感がした。嫌な予感というか、ほぼ確信に近い何かが胃の底に落ちた。
私は隊列を離れて、少し高い岩場に登った。風が強い。マントがあおられる中、目を細めて山の向こうを見上げる。
稜線の向こうに、それはあった。
黒い。禍々しい。尖塔がねじれるように天を衝き、周囲の空だけが不自然に暗い。まるで世界に穴が開いたような、異質な存在感。
魔王城だった。
「……最悪」
思わず声に出た。古語の文献を探しに来ただけなのに。学術調査のつもりだったのに。なんでそこに魔王城があるの。
岩場を降りると、オレコノーガがこちらを見ていた。その顔に、言葉になる前の何かが浮かんでいる。口を開きかけている。
私は全力で遮った。
「言わないで」
「まだ何も」
「顔に書いてある。死亡フラグが」
「いや、だから」
「あなたが『この戦いが終わったら』系のセリフを言おうとしてるのは分かっている。けど、ここは日帰りのできるダンジョンじゃない。ここからヘシオール兄さんの所まで連れて行くのに3カ月もかかるのよ。もう助けられないのは嫌だから、言わないで」
オレコノーガは口をつぐんだ。不満そうだったが、つぐんだ。よろしい。
私は気持ちを切り替えて、状況を整理する。
目的地の部族の村は、魔王城に占領されている。古語の文献を手に入れるには、あの城を越えなければならない。つまりこれは学術調査ではなく——攻略戦だ。
私たちには無謀な話だ。せめて、村人一人だけでも救出できないだろうか。
タテル兄さんとヨメさんがいたらなぁ。
あの二人がいるだけで戦力が三倍どころか、次元を超えて別のゲームになるのだけど。いないものは仕方がない。
ため息が出た。出たけれど。止まっている暇はない。
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山道をさらに半日ほど登ったところで、先に人影があった。
どこか見覚えのある後ろ姿だった。
金色の髪が風に揺れている。腰にはいた剣の柄頭が陽光を弾いて、無駄に神々しい。
その隣には、フードを深く被った長身の人物——弓を背負っている。
そしてもう一人、ローブ姿の人物が杖を地面に突いて座り込んでいた。何やらぶつぶつ呟いている。
「シータさん!」
私が声をかけると、勇者オイダ・シータが振り返った。満面の笑みだった。この人はいつも満面の笑みだ。
「おお、タテルのところの妹か! 奇遇だな!」
本当に奇遇だった。
タテル兄さんを追放したあの勇者パーティーが、その後まだ存続しつづけている事にも驚いたのに、さらに魔王城までたどり着いているなんて。
シータの隣にいたのは、エルフの弓兵アッシマッタだった。フードの奥から鋭い目がこちらを見ている。何も言わない。この人はいつも何も言わない。
座り込んでいたローブの人物が顔を上げた。ミンナミン・ナシヌンダ。魔法使い。顔色が悪い。目が虚ろだ。平常運転だった。
「みんな……みんな死ぬんだ……」
「元気そうで何よりです」
私が言うと、ナシヌンダは首を横に振った。元気ではないらしい。元気ではないのが元気な証拠だと思うが、本人に言っても通じないだろう。
「ウラギールは?」と訊いた。
かつて勇者パーティーにいたシーフ。何度も裏切っては戻ってくるという、ドーセマタ・ウラギール。名前通りの男。
シータの顔が曇った。
「……魔王城に偵察に行ったきり、戻って来ない」
嫌な予感がした。
「俺たちが魔王城の出現の情報を聞きつけたのは、3日前だ——」シータは山の向こうを見上げた。「あいつを救出するためにも、これから乗り込むところだ」
この三人で? いや、シータの認識ではアッシマッタとナシヌンダは最強のメンバーなのだ。
なぜなら、いずれもステータス上の戦闘力で言えば、Aランク冒険者級なのだ。
これを利用しない手はなかった。
「共闘しませんか」
私は提案した。目的は違う。シータは魔王を追っている。私は古語の文献を探している。でも敵は同じだ。あの城を越えなければ、どちらの目的も果たせない。
「なに、あの役立たずのタテルの妹のパーティーと? ふっ……せいぜい俺たちの足を引っ張らないことだな」
即答だった。やっぱり相当追い詰められているらしい、即答だった。
ありがたい。ありがたいけれど、もう少し考えてほしい。せめて二秒くらい。
こうして合流は成った。六人に三人を加えて、九人。数だけは揃った。
これで火力が大幅に上がる——はずだ。フラグさえ立てなければ。
質については——考えすぎないことにした。
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部族の村へ向かう最後の山道は、とても長く感じられた。
瘴気が濃い。足元の草が枯れ、岩肌に黒い苔のようなものがこびりついている。
ナシヌンダが杖を握りしめてぶつぶつ言っている。「みんな死ぬ」と呟いているのが聞こえるが、今は放っておく。この人はいつもそうだ。ある意味で予言者として正しい態度なのかもしれない。
山道の最後のカーブを曲がったとき、行く手が塞がれた。
三つの影。
道の中央に立っているのは、体格だけで格の違いが分かる存在だった。
一人目。
巨躯。全身を覆う黒い装甲。兜の隙間から赤い光が漏れている。腕を組み、微動だにしない。私は無意識に鑑定を発動していた。
【サイ・キョウ(運命:「最強」四天王最強)】
【種族:魔族(上位)】
【攻撃力:892 防御力:914 魔力:788 速度:673】
——数字が、全部おかしい。
ヨメさんのステータスさえ、はるかに上回っている。
帝国の上位鑑定が使えなければ、正確な数値が読めないレベルだった。
サイ・キョウは口を開いた。
「サイ・ジャックを倒した人間がいると聞いて、少しは期待したが——」
赤い光がこちらを走査するように動く。
恐らく、相手はこちらのステータスを読み取っている。
「雑魚ばかりか、期待外れもいいところだ……」
二人目。
サイ・キョウの右手側に、痩身の魔族が立っていた。
ローブを纏い、顔の半分が仮面で覆われている。
仮面の下から覗く口元が、薄く笑んでいた。
【マホキカン(運命:「魔法効かん」魔法は一切効かない)】
【種族:魔族】
【魔力耐性:完全無効】
——完全無効。
見たことのないパラメーターだった。
やっぱりこいつらは普通じゃない。
「くくく……どうせ奴は四天王最弱」
マホキカンがナシヌンダに向けて手を広げた。挑発だった。
ナシヌンダの目が揺れた。あ、この人はある程度ステータスが読めるんだな。まだ戦闘は始まっていない。でもあの人の中では、もうパニックが始まりかけている。
三人目。
サイ・キョウの左手側に立つその姿を見て、私は目を疑った。
人間だった。
フードを被り、短剣を腰に佩いた、身軽な装いの男。見覚えがある。見覚えがありすぎる。
【ドーセマタ・ウラギール(運命:「どうせまた裏切る」どうせまた裏切る、何度でも)
【種族:人間】
「我ら四天王の面汚しでござる」
——あんたかい。
ウラギールは涼しい顔で立っていた。四天王の一角のような顔で。
シータが叫んだ。
「ウラギール! お前はどうして……! 俺たちの仲間じゃなかったのか!」
仲間じゃないのは知ってた。
ウラギールは肩をすくめた。
「誤解してもらっては困るでござる。拙者こそ魔王四天王の一角。これ以上、お主らの遊びに付き合ってはいられぬのでござる」
「ウラギール!」
怪しいフラグを持っていると思ったら、まさかの四天王の一角だった。
私の予想を裏切ってきた。
でも口にはしなかった。今はツッコんでいる場合ではない。
三体——四天王最強と、魔法完全無効と、裏切り者。
この布陣を、九人で突破しなければならない。
胃が痛い。前世から持ち込んだ胃痛体質が、異世界でも健在だった。




