第三話 翻訳神と赤ペン
フラグが見えているのに何もできない。
そんなもどかしい学園生活を送っていたある日、私は高熱に見舞われた。
朦朧とした意識の中で、何者かが語りかけてくるのを感じた。
『あー、あー、テステステス、ただいまマイクのテスト中』
お願い、ただでさえガンガンする頭の中でマイクのテストとかしないで。
『おっ、レスポンス早いね。元気な証拠。とりあえず君に頼みたいことがあるんだけど、紙とペンを用意してくれる?』
何をさせる気だ。まずあんたが何者なのかを説明しなさいよ!
『落ち着きなさい、天界より沸点の低い子よ。私は神。フラグ村のフラグ神。我は神、君は転生者。アンダスタン?』
私は驚きに叫びそうになった。
フラグ村のフラグ神……! 知ってるわ、あんたのステータス翻訳がグダグダなせいで、みんな困ってるのよ! 3以上がたくさんとか! ステータスの意味ないでしょ、ちゃんと仕事しなさいよ!
『おっおー、それは誤解だ、大きな誤解だ』
神の声が少しだけ真面目になった。
『まず、私はただの翻訳神だ。彼らが持っていない知識を与えることはできない。それは加護神の仕事で、管轄外だ。つまり私がステータスを翻訳するとき、それは彼らがすでに持っている知識を使えば理解できるものでなければならない』
どういうことよ!? 知らない単語だって、読んでたらそのうち覚えるでしょ!
『それは知らないんじゃない、知っているけど言葉と結びついていなかっただけだよ。つまり、彼らが3以上を数えられないなら、3以上は書かない。死亡や恋愛は心に負担の大きい表現だから伏せ字にする。これが翻訳神の仕事であり加護なんだ。
いいかい、君たちが見ているステータスとは、単なる事実の羅列であって、決して我々神がこの世界に介入するための便利な神託システムなんかじゃない。鑑定魔法を発動しているのは、あくまで人間なんだよ。これが宇宙的大原則だ。わかる?』
……。
だめだ、理解しようとしたけど、頭が痛い。
とりあえず今日はもう横になりたいんだけど、明日にしてくれる?
『だから紙とペンを用意しなさいと言った。仕方ないね、とりあえず私が神のペンを授けよう』
ことん、と赤いペンが枕元に落ちてきた。
なにこれ。何に使うの?
『受け取りなさい、校正者の印、赤ペンだ』
赤ペン……。
『君はステータスをほぼ原文に近い形で理解することができる。なぜなら転生者である君の鑑定魔法は、この世界のどの神によるフィルターも受けない。君なら、この世界の人々のステータス表示のひどさはわかるだろう?』
……ひょっとして、朱入れするの? 人のステータスをのぞいて? 私が?
『その通り。むろん、清書して反映するのは私の仕事だがね。もしも受け付けない変更等があれば、こちらから分かりやすい形で連絡をする』
……フラグ村だけで一体何人いると思ってるのよ。
全員のステータスを見せてもらって回るとか無理なんだけど。
『いいや、一人でいい。彼らには前例が必要なんだ。前例さえあれば、彼らは自分で新しい概念を組み立てることができるようになる。
この世界の文化と、ステータスの原文、2つを知ることのできる君にしかこの仕事は頼めない』
ふっ、と声が消えた。
手の中には、赤いペンがあった。
「ステータスを、朱入れする……」
さっそく、自分のステータスに書いてみる。
身長180センチ。剣も魔法も使える才媛。ドラゴンを虜にする美貌。
しゅっ、と赤が消えた。
身体のあちこちを触ってみたが、ぺったんで低身長なままだった。
ステータスにコメント欄が増えていた。
『校正者コメント:さっそく悪用すると思ったよ。だからステータスを変えることはできないんだ。もっと現実を直視しなさい』
「……クソ神」
だが、欲しかったのはこういう力だ。
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「いよいよ最後のボスね、オレコノーガ」
ダンジョン最奥、石造りの大扉の前。私は杖を握り直した。
「ミエル、俺、この戦いが終わったら、お前に言いたいことがあるんだ」
——また言った。
この男の運命は「俺この〜が終わったら」。隙あらばこのセリフを口にし、己の死亡フラグを打ち立てる宿命の持ち主だ。
私は鑑定魔法を発動した。自分だけに読める、日本語の原文表示。
【オレコノーガ・オ・ワッタラ】
【死亡フラグ:10時間後に死亡】
原文はそのままだ。何も変わらない。
——だけど、その日は変わったことが確かにあるはずだった。
「オレコノーガ、自分のステータスを見てみて」
「ミエルがステータス開いてるじゃん、それ見せてくれないの?」
「お、女の子にステータスを見せてもらうつもり? いいから。自分で開きなさいよ!」
しぶしぶ鑑定魔法を発動するオレコノーガ。
彼自身の目に映るステータス——フラグ村の翻訳精度で変換された運命。
【今日の夜更けに 最大の危難】
大きく目を見開いた。
「なに、これ……! やべえじゃん!」
私は、こくん、と頷いた。
赤ペンで校正したのは翻訳の精度だ。
10時間後は、具体的な日の高さで表した。
【死亡】という単語は「最大の危難」。
正確ではない。でも——十分だ。
「そう。だから早く帰って、ヘシオールお兄ちゃんに——」
「早くボスを倒して、速攻で帰らないと!」
「え」
帰ろう、と言ったのだ。なのにこの男は剣を抜いて仲間に向き直った。
「いくぞみんな!」
ひよっこ剣士がおろおろして言った。
「あわわ、行くの? 行っちゃうの?」
【タイキ・バンセイ(運命:「大器晩成」いつかは才能が芽吹くはず。今はまだひよっこ)】
大楯のタンクが拳を振り上げた。
「行こうぜ! 俺たちなら問題ない!」
【ココハオレニー・マカセッテ・サキニーケ(運命:「ここは俺に任せて先に行け」己を犠牲にしてパーティーを先に進ませる宿命の男)】
エルフの弓兵が、静かに弓を引いた。
「行きましょう。たとえこの先に何が現れても、私はただ矢を射るだけ」
【ハズレネー(運命:「外れねー」どんな悪条件で矢を打っても百発百中)】
裸の格闘家が拳を打ち合わせる。
「うむ、いい心がけだ! 男子たるもの、そうでなくてはな!」
【セーケンガ・ヌケマス(運命:「聖剣が抜けます」聖剣が抜ける人物——それまで素手だけど)】
「ちょっと待って! 四人のうち二人もまだ真の力に目覚めてないんだけど!」
私が彼氏のために運命フラグをじっくり吟味し、厳選したメンバーたち。
将来性に期待して、即戦力にはならないつもりで組んだのだけど。
だが、誰も立ち止まらない。オレコノーガが大扉を開けた。
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玉座に座る巨躯の鎧。天井に届く角。
「くっくっく……子どもがうるさく騒いでおるわ、目ざわりだ!」
私は鑑定を開いた。
【サイ・ジャック(運命:「最弱」やつは四天王の中でも最弱)】
【魔王四天王・第四席】
……あ、なんか倒せそう。
「もー、こうなったら行くわよ! オレコノーガ!」
即戦力にはならないつもりだったけど、このパーティーは意外と戦えた。
ハズレネーの矢は一本も外れず、ココハオレニーの盾は一歩も退かず、オレコノーガがとどめの一太刀。
「ぎぃやぁぁぁぁぁ……!」
崩れ落ちるサイ・ジャック。断末魔すら情けない。
こうして私たちは速攻でダンジョンを攻略し、ヘシオールのもとに走っていった。
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夕暮れの我が家。ヘシオールは残光を惜しむように窓辺で本を読んでいた。
「お兄ちゃん、オレコノーガのステータス見てくれる?」
「いいよ」
兄は鑑定魔法を発動し、涼しい顔で言った。
「へー、二時間後に最大の危難か……危なかったね」
オレコノーガが腕を組む。「最近、ステータスの読める量が変わったよな」
「僕らが変わったのかもしれない。学校に通っているからね」
内容は変わらない。変わったのは表示だけだ。
赤ペンの力だ。
——でも、それでいい。気づいてくれなくていい。表示が変われば行動が変わる。行動が変われば結果が変わる。それが校正の力だ。
オレコノーガが、突然真面目な顔をして、私の方に振り返った。
「なあ、ミエル……言っただろ? 俺、お前に言いたいことがあるって」
どきっ。夕焼けがオレコノーガの顔を橙に染めている。
「ミエル、俺、お前と——」
ぱきん。
ヘシオールがフラグを折った。
きょとんとした顔をしている。
「なんか一緒に、違うフラグも折っちゃったよ」
「……どんな?」
「『運命の出会いフラグ』、とかいうやつ」
『運命の出会い』——それは、私が赤ペンで朱入れして浸透させた新訳だった。
原文は「恋愛フラグ」。だがフラグ村の人々にとって「恋愛」という言葉は刺激が強すぎた。
だから、彼らの使える言葉で、恋愛を表現してみたかったのだけど……。
「運命の出会いか……まあ、これ以上パーティーメンバーが増えてもな」
オレコノーガは、仲間の合流フラグだと思ったらしい。
思ったように意味が通じなかった。
オレコノーガの目から、さっきの真剣さが抜け落ちていた。フラグが折られるとはそういうことだ。
さっきまでの熱意がまるで無かった事になったかのように、ぽきりと折り取られる。
「えっと……じゃあ、また明日な」
「……また明日」
恋愛フラグを折られたその晩、私は枕に顔を埋めて泣いた。
翌朝、目を腫らしたまま、それでもペンを握り直した。
私の校正は、まだ終わっていない。




