第9話 帰る場所がない者ふたり
なんか、無性に腹が立ってきた。カラクムルの人事部(王族)、労基に通報してやろうかしら。
『サキルさんの気持ち、分かります。もちろん、すべてが分かるわけじゃないです。でも……「帰りたいのに帰れる場所がどこにもない」っていうことで言えば、実は私も全く同じだから』
『……シャクも、故郷から捨てられたクチ?』
サキルが、悲しそうに自嘲気味な笑みを浮かべた。
『この先を、本当に聞きますか?』
『そうだね。あんたの秘密を知ったんだ、聞きたいよ』
『聞いたら後戻りできませんよ? ああ、どうせ殺されるんだから同じですね』
『なによそれ、さっき私が言ったことの使い回しじゃない』
張り詰めていた空気が、ふっと緩み、二人で同時に小さく吹き出した。
『いいですか、落ち着いて聞いてください。……私は、未来から来ました。たぶん、今から千年以上の未来の人間です』
『ふーん、そうなんだ。千年も先からね……』
少しの沈黙。
「って、ええっ!?」
案の定、サキルの口から素の声が飛び出した。
サキルは泥だらけの指を突き出したまま、口をあんぐりと開けて目を見開いている。
『そう。だから私は、帰る場所(実家)がないというより、帰れる「時間」がないんです。単純に故郷の場所だけで言えば、おそらく海のずーっと先にある遠い島国(日本)として存在はしていると思いますけど』
『海は知ってるけど……その先に、人が住む陸地があるのかい?』
『はい。私の見立て通りなら、海のずーっとずーっと先に、こことも違う巨大な大陸や、たくさんの島があるはずです』
(あ、そうか……遠い大陸からやってくる異国人に、いずれこの文明は滅ぼされるんだっけ……)
そこまで考えて、私は思考をストップした。それは今の私が言うべきことではない。
転生したことは私の意志ではないし、人事異動を希望したこともない。
だったら、この先の歴史に私が一々責任を負う義理はないよね?
うん、そういうことだ。
私には私の、奴隷としてのスローライフがある。
『そういうことだから、サキルさんと私は、二人とも「帰る場所がない者同士」だし、「営業秘密の共有者」になりました。だから、ここから先は、帰る場所がない者同士、協力して『業務提携』していきませんか? もし、私がサキルさんのスパイ業務の邪魔になるようなことがあれば、その時はいつでも遠慮なく殺してください』
まさに命がけの「業務提携のご提案」だ。
「それにね……」
私は、着ていた泥だらけの麻のようなの貫頭衣を、はらりと脱ぎ捨てた。
――つもりだったのだが、粗雑な麻のような布は「どさっ」という妙に鈍い音を立てて地面に落ちた。
薄暗い独房の中に、私の自慢の双丘が露わになる。
転生直後にピラミッドの頂上で全裸に剥かれた身だ。
女性相手に今さら全裸を見せるくらい、社畜のメンタル(鋼鉄製)からすればどうということはない。
「私のここには、サキルさんの『本当の故郷』が宿っているんです」
私は、自分の胸をトンと軽く叩いてサキルをみつめる。
かなり膨らませた表現だけど、嘘は言っていないし、これくらいの誇張、商談では普通のこと。
突然全裸になった目の前のキチガイ(私)を目にして、唖然と硬直しているサキルの右手を取り、私の左胸、心臓の真上にあるタトゥーの上にそっと添えさせた。
サキルの手のひらは、少しひんやりとしていて心地がよかった。
(ん?)
胸に当てたサキルの手に、ちょっとした違和感を覚えた。
薬指の根本が、まるで指輪でもしているかのようにくびれている。
タトゥーではない。指を一回りするように凹んでいるのだ。
まるで、指に輪ゴムをはめて外した跡のような。
「ここにはね、サキルさんの故郷を表す『蛇』が宿ってるんです」
「え……? なにもない、ただの綺麗な胸よ……?」
「はい、今は見えないかもしれません。でも、間違いなくここに蛇がいるんです」
(異世界転生なんてウルトラCがあるんだから、ここでブラックライトがなくても蛍光インクが奇跡的に発光するくらいのエフェクトがあってもいいんじゃないですかね、ティカルの神様?)
こういう時だけ熱心な信者のフリをして神頼みをするのだから、私もずいぶん身勝手な女だと苦笑するしかない。
その刹那――。
サキルの手が添えられた胸の少し深いところが、じんわりと、心地よい熱を帯びていくのを感じた。
(……お、来たな、ご都合主義!)
私は心の中でほくそ笑んだ。
「……なんか、光ってる……!?」
サキルが、私の胸に当てた自分の手を食い入るように見つめている。
その掠れた声にハッと我に返った私は、慌てて自分の胸元へと視線を落とした。
なんと、胸に添えられたサキルの手の輪郭をなぞるように、うっすらと鮮やかなエメラルドグリーンの光が漏れ出しているではないか。
スマホのバックライトのような、美しいエッジライトだ。
「……手を、どけてみてください」
サキルが恐る恐る手を離すと、その下から、緑色に怪しく、けれど聖なる輝きを放つ「一本の蛇」の精密な紋様が、暗闇の独房にくっきりと浮かび上がった。
「──っ!!」
それを見たサキルは、両手で口を押さえて、激しく息を呑んだ。
しばしの、息が詰まるほどの沈黙。
やがて、サキルのつぶらな瞳から、大粒の涙がポロポロと床の泥へこぼれ落ちた。
「……ああ……、あああ……っ!! カーン(蛇)……本物の、我が血脈の祖神……!!」
サキルはガタガタと全身を激しく震わせながら、その場に崩れ落ちるように両膝をついた。
「おみ足を……おみ足を私のもとに……!」
「えっと、私の足のことだよね? はい、どうぞ」
格子の隙間から、サキルの前にそっと足を伸ばす。
するとサキルは、これまで見せたことのない、一ミリの無駄もない俊敏かつ美しい所作で、完全に独房の床へ平伏した。彼女の額は、私の薄汚れた現場仕様の足の甲に、ぴったりと押し当てられている。
「えっ!? ちょ、ちょっとサキルさん!? 何ゆえのジャンピング土下座!? 土下座(謝罪・感謝)は前世からの私の専売特許なんですけど!?」
正直、何が起こったのか社畜脳でも100%は理解できていない。
いつも私にエサ(お粥)をくれるサキルが、なぜ突然狂信的なバックオフィスのようになっているのか。
「お黙りください……! いえ、私の言葉をお聞き届けください、偉大なる蛇の器よ! 私は、ティカルのジャガーを顔に刻まれた不浄の身。物心ついたときから、蛇の神を裏切り続けて生きてきたバケモノです……! そんな私の前に、まさかこのような形で『本物の主』が現れるなんて……っ!」
十分に音量を抑えながらも、狂おしいほどの熱量をもったサキルの声が、私の胸にものすごい重さで打ち込まれた。
神なんてまやかしだと平然とのたまっていたサキルだったが、やはり、自分の引き裂かれたアイデンティティを繋ぎ止めるための「心の拠り所(理念)」が、どうしても必要だったのだ。
「この顔が嫌い……! この体が憎い……っ!」
サキルは顔を上げると、自分の頬に刻まれたジャガーのタトゥーを、過去の呪いを拒絶するかのように、独房の泥で手荒くゴシゴシと汚し始めた。
泥だらけになった顔を上げたサキルの目は、これまでの迷いがすべて消え去り、何か重大な契約を覚悟した交渉相手のように据わっている。
そして、右手で自身の左胸(心臓)をドスッと重い音を立てて叩くと、そのまま私の手元へ両手を差し出し、涙で濡れた目で真っ直ぐに見上げてきた。
「我が命も、魂も、カラクムルの戦士としての残りの人生も……すべてあなた様に捧げます。顔のジャガーは偽物でも、私の心臓は本物の『蛇の臣下』です。――シャク。いや、我が主。どうか私を、あなたの道具としてお使いください」
(……うわぁ、なんか、すごく神々しい神聖な儀式を見ちゃった気がする。っていうか、私なんかよりサキルの方がずっと神話の主人公に近いんじゃないかしら)
あまりの熱量に圧倒されつつも、私はポリポリと頬を掻いて、気恥ずかしさを誤魔化すように言った。
「あのお、サキルさん。……顔、泥でめちゃくちゃ汚れてますよ。あと、その心臓を強打するポーズ、地味に痛そうだから今後は控えてもらえると嬉しいです」
なんでか知らないけれど、この世界で、私個人に対する初の「熱狂的なクライアント(信者兼相棒)」が爆誕してしまった。
(この世紀の大型商談……やっぱりまずは秘密保持契約よね……!?)
全裸のままであることに気づいた私は、嬉しい悲鳴を脳内で上げながら、とりあえず床に落ちた貫頭衣をそそくさと拾い上げるのだった。
◇
サキルと秘密を開示し合ったあとも、私たちの関係は変わらない。
相変わらず私はバケモノ扱いされ、放り投げるようにエサを与えられている。
これは、私からの提案でそうしてもらったのだ。
私たちの関係が急に変わったら監督官に不審に思われてしまう。それを避けるための演技だ。
この様式をサキルに提案したとき、彼女は「我が主にそのような畏れ多いことは……」と涙ながらにチャット(筆談)で伝えてきた。まあ、そうだよね。
『これは、心の持ちようじゃなくて、役割です。だから、サキルさんが気に病むことではないんですよ」
そうチャットで伝えて彼女のタトゥーを優しくなでると「心苦しいですが、主の命とあらば……」と渋々承諾してくれた。
それでも、毎晩、下膳のタイミングで
「いつもごめん(ここまでめちゃくちゃ小声)。お、今日もよく食ったな、このバケモノ」
と複雑な罵倒を披露してくれるようになった。




