↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ティカルの奴隷は定時で帰りたい  作者: 吉川すずめ
第二章 私たちの「業務提携」
PR
8/67

第8話 不吉な五日間

 今日から五日間は仕事がない。


 私だけでなく、この国(ティカル)の全住民が家にとじこもり、ネズミ一匹外に出ないらしい。いや、さすがにネズミの一匹くらいは出るだろうけど。


 なんでも『ワイェブ』と呼ばれる「不吉な五日間」なのだと、サキルが教えてくれた。


 この世界では、一ヶ月が二十日で、それが十八ヶ月ある。それにこのワイェブの五日間を足した、計三百六十五日で一年をカウントする。

 ワイェブはこの世と冥界(シバルバー)を隔てる境界線が消滅する呪われた時期らしく、悪霊が襲ってきたり、大災害や不治の病が発生しやすいデッドゾーンとされている。


 そのため、この五日間には以下のような厳格なコンプライアンス(タブー)が敷かれていた。


 外出の禁止: 悪霊にエンカウントしないよう、家から一歩も出ない

 活動の停止: 畑仕事などの労働、商売、公的活動はすべて中断

 身だしなみの禁止: 髪を洗うのも、櫛で梳くことも禁止

 人工物の排除: 洗濯を避け、祝い事や派手な行動は慎む


(……え? 業務に手をつけたら即ペナルティ(呪い)とか、自分の有給(リフレッシュ休暇)を使うわけでもなく全社一斉休業になるとか、最高すぎない?)


 限界OLだった私の認識からすれば、これは「神の呪い」ではなく、前世のクソ会社がやってた形ばかりの有給推奨を遥かに凌駕する「超絶ホワイトな年末年始全社一斉休業」であった。

 偉い神官たちはこの期間に絶食までするらしいが、偉くもなんともない私たち現場の奴隷は体力勝負ということで、普段より量は減らされるもののきちんとトウモロコシ粥が提供される。

 ありがたや。

 こういう時ばかりは、私もティカルの神々に深い感謝の念を捧げたくなるというものだ。


 そんな最高のリフレッシュ休暇(独房ニート生活)を満喫していたときのことだ。


(おや……? サキルにお客さんかしら)


 ふと個室(独房)の外に目をやると、厨房の搬入口の影で、サキルと一人の男性が顔を寄せ合って深刻そうに立ち話をしているのが見えた。

 その男性はフードを目深に被っており、その表情を窺い知ることはできない。被っているフードが絶妙に長くなっているのは、ちょっとチャーミングだ。


 そういえば、こっちの人たちのロングヘッドにもすっかり慣れて、今では愛着も持てるようになった。順応ってすごい。


 それはさておき、その男性が立ち去り際に身を翻した瞬間、フードの奥に隠れた横顔がほんの少しだけ見えた。


(あれ……? こっちの人たちとは、ちょっとだけデザインの違うタトゥーが入ってるような……?)


 それがすべての引き金だった。


 しばらくして、急ぎの配膳業務がないサキルが、檻の前まで雑談をしに来てくれた。

 私は待ってましたとばかりに、丸太の隙間から顔を突き出す。


「さっきのフードの男性、もしかして彼氏さんですか?」


 うまくすれば、この殺伐とした奴隷ライフで貴重な「恋バナ(ガールズトーク)」に発展するかもしれない。そんな色めき立った期待を込めて尋ねてみたのだが。


「えっ……ち、違うわよ。ちょっとした知り合い」


 サキルは一瞬で顔をこわばらせ、あからさまに歯切れの悪いリアクションを返してきた。


(お、なんかワケあり物件の予感? 押せ押せ!)


「でも、さっきの男性の顔、サキルさんや他の人たちとはちょっと違ったタトゥーでしたよね。なんか新鮮っていうか――」


 次の瞬間、私の視界が激しく反転した。


「痛っ! ちょ、サキルさん何するんですか!?」


 いきなり無言のまま格子の外から髪を鷲掴みにされ、ものすごい腕力で丸太に顔面を叩きつけられるように引き寄せられた。

 その直後、首筋に走る、冷や汗が出るほどゾッとする感触。

 サキルのもう片方の手には、見たこともない鋭利な、黒曜石の小型ナイフが握られていた。どこから出てきたのか、音ゲーで鍛えた私の動体視力でも全く捉えられなかった。


 さっきまでの穏やかだった少女の瞳は消え失せ、私を文字通り射ぬかんばかりの鋭く冷徹な「プロの目」に変わっている。

 完全に別人だ。


「ごめん、シャク……」


 喉の奥から絞り出すような、サキルの震える声。

 首筋の黒曜石は確かに冷たい。

 けれど、心なしかその切っ先は小刻みに震えていた。

 私を今すぐ突き刺すほどの非情さに、彼女自身がまだなりきれていない。


「見られたからには、ここで死んでもらうしかないの」


(え? ええっ!? 彼氏の有無を聞いただけで即時解雇(死刑)!? どんな超展開よ!?)


「ちょっと待って! うん、殺されるのはぶっちゃけOK! 受け入れよう! 人生半年ぶり二回目(過労死含む)だし! でもね、その前に、なんでこんな即日クビ(死罪)になったのかの理由だけでも『業務報告(フィードバック)』として理解してから死にたいなー、なんてね!!」


 格子に顔をみっちりとめり込ませた泥だらけの女が、手をじたばたと激しく動かして哀願する。


「……ふぅ……」


 サキルが大きな、本当に大きなため息を漏らすと、髪を掴んでいた手からすっと力を抜いた。

 ナイフを腰の後ろへ隠した彼女は、檻の前の地面の泥に、震える指で素早くムトゥル文字を書き始める。


『ネーン・ウーラ・カラクムル』


(……えっ!?)


 私は泥に書かれた文字と、サキルの青ざめた顔を、何度も往復して見返した。


「嘘、でしょ……」


 ムトゥル語レッスンのおかげで、その言葉の意味は正確に脳内翻訳されていた。

 カラクムルは、ウチ(ティカル)に次ぐ世界シェア第二位の大国で、両国の間では血で血を洗う小競り合いが絶えないと聞く。

 それ以上に問題なのは、その次の一語だ。


「……『ウーラ(間者)』だったの……?」


 私の言葉に、サキルは無言のまま強く唇を噛み締めた。

 100%の肯定だった。


 そこからは、ワイェブの静寂の中で、二人による緊迫した泥の筆談(チャット)が続いた。とてもじゃないが、口に出して言えるような内容ではない。


『驚いたかい? 私はあんたたちの敵国の道具。生まれたときからここで潜入業務(ワンオペ厨房)することを国から命じられた、薄汚いスパイだよ』


『なるほど、そうでしたか。でも、さっきの男性(カラクムルの連絡員なのかな)の顔を見たら、私を処分(口封じ)しなきゃいけないのはなぜですか?』


『そうか、シャクはこのあたりの常識を何も知らないんだったね。……私の顔の刺青は、何の模様に見える?』


『え、ヒョウ柄? 大阪のおばちゃんが戦闘服に採用してる、あの強そうな』


『ヒョウ? なんだいそれは。私の顔の刺青はね、ティカルの象徴たる「ジャガー」だよ』


『ジャガーでしたか。さっきの男性のタトゥーは、なんか鱗みたいな感じでしたよね』


『奴の刺青は「蛇(カーン)」さ。蛇は、我が隣国カラクムルの聖なる紋様』


『え、じゃあ、ジャガーはティカル……。でも、サキルさんのタトゥーはジャガーだからティカルの人ですよね?』


『いいや。私はカラクムルの生まれだよ』


(ん……? 待って、私のロジックが追いつかないわ)


 カラクムル(蛇)の間者であるサキルは、カラクムル生まれ。なのに、顔には敵国ティカルのロゴマークである「ジャガー」が彫られている。どういうこと?


『この先を本当に聞くのかい?』


『はい、ぜひ。納得のいく仕様書を提示してください』


『聞いたら後戻りできないよ? ああ、どうせ殺さなきゃならないから同じことだね』


『あはは、そんな物騒な圧迫面接しないでくださいよ』


 サキルは軽く居住まいを正すと、再び泥の上に指を走らせた。


『私は、カラクムルの貴族の娘だったらしい。なにしろ、生まれたときから「完璧な間者」として育てられたから、自分の親や生まれ故郷をこの目で見たことがないんだ。赤ん坊の時に王都に連れていかれて、ティカルの人間に見えるように、その当時ティカルで流行っていた「ケック(木板)」を使って、頭の形をティカル仕様に矯正された。そのあと、五歳のときに顔にジャガーの刺青を彫られたんだ。

 普通はね、成人(十二歳)になってから顔の刺青を彫るもんなんだけど、私はティカル人になりすますため、閉じ込められた屋敷の中で、世話係以外誰とも関わることを許されず、どんどんティカル人に「改造」されていった。

 言葉も母語である「カナール語」のほか、ここティカルで使われている「ムトゥル語」の宮廷言葉まで徹底的に叩き込まれ、生活習慣もティカル風を強制された。……間者としての教育の中で「宗教はまやかし。人心を操作するための道具である」と教わったね。私の神を否定する思想の根っこは、そこだったのかもしれない。

 そして十二歳で成人の儀式を終えると、ティカルに奴隷として売り飛ばされて現在に至る。……こんなとこかな』


 泥の上の文字を読み進めるうちに、私は完全に言葉を失った。


 サキルは努めて平静を装っているけれど、これは彼女が生まれてから今日まで抱え続けてきた、血を吐くような独白(キャリアの全否定)に違いない。


 偽造された人生。


 強制的に塗りつぶされたアイデンティティ。


「サキル=かぼちゃの種の女性」という豊穣の女神のような名前を持つ貴族の娘でありながら、国家の道具として、最底辺の奴隷落ちという過酷なタスクを強制されたのだ。


『でも、任務(プロジェクト)が終われば、いずれは本国に帰れるんですよね? 本社からの迎えが来てくれるんじゃないですか?』


『迎えなんて来ない。……もし仮に国に帰れたとしても、敵国の人間(ジャガー)としてその場で殺されるだけさ。……この顔(ロゴ)だよ?』


(……永久出向(片道切符)ってこと? しかも、本人の意向を一ミリも聞かずに辞令一本で……いや、もっとひどい。人間扱いじゃない。もはや捨てアカ。)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。