第7話 無神論者の現実主義(リアリスト)
「サキルさんはさ、私のこと怖くないの?」
朝の澄んだ空気の中、配給されたばかりの温かいトウモロコシ粥を前に、私は前々から気になっていた疑問をふとぶつけてみた。
私がティカルの土木課(最下層のドブさらい)にアサインされてから、気がつけば早いもので半年が経過している。
毎日の現場作業(泥の掻き出し)のおかげで、私のスコップ捌きのスキルは職人レベルにまで磨きがかかっていた。
それだけではない。
有能な研修講師による朝晩の熱心なOJT(語学レッスン)の成果で、現地の言語も、日常会話レベルならどうにか不自由なく使いこなせるようになっていたのだ。
「怖いとは思わないなあ」
サキルは檻の外で、運んできた空の水差しを小脇に抱えながら、実にあっけらかんと言った。
「だって、私たちと頭の形がちょっと違うだけでしょ? でもさ、私たちだって赤ちゃんで生まれたときは、みんなシャクみたいに丸い頭をしてるんだよ。そのあと『ケック』っていう木の装具で額と後頭部をググッと圧迫して、こういう細長い頭にするの。あ、ちなみにこういう、トウモロコシの神様みたいに綺麗な頭のことはね、『ペッチ』って言うんだ」
サキルは自分のシュッと尖った細長い頭を、手のひらでペチペチと叩きながら屈託のない笑顔を見せる。
(……え? ペチペチ叩くから『ペッチ』? ダジャレか? 今ここ、笑うところなのか……?!)
マヤ文明流の高度なユーモア(?)を前にして、さすがの私も一瞬だけ反応に困り、とりあえず愛想笑いで誤魔化したのは内緒だ。
「いま、トウモロコシの神様って言ったけど……」
ふいにサキルの目が笑うのをやめ、真剣な「素のリアリスト」のそれに変わった。彼女は周囲を警戒するように声を潜めると、木格子の隙間からぐっと檻の中に顔を近づけてきた。
「本当に、偉い神官たちが言うような『立派な神様』がこの世界にいるんだとしたら、なんでシャクや私たちがこんな場所で奴隷なんてやってるのよ。……生贄の儀式だって、冷静に考えておかしいと思わない? 自分の愛し子たちの首をはねて、心臓をえぐり出して、それを祭壇にお供えされて喜ぶ神様なんて……どんだけグロテスクな変態なのよっていう話」
サキルは鋭い視線を巡らせ、近くに監督官の姿がないことを確認してから、さらに吐き捨てるように続けた。
「だから私は、神様なんてこれっぽっちも信じてない。あ、もちろん、信じたい人はご自由にどうぞ、って感じだけどね」
そう言うと、彼女はいたずらっぽくパチリと片目をつぶって見せた。
(おおう……マヤ文明のド真ん中で、まさかのゴリゴリの無神論者……!!)
だが、言われてみれば彼女の言い分はぐうの音も出ないほどド正論だ。
私はと言えば、衣食住つき(個室独房)で人間関係ストレスゼロの現職(奴隷労働)という今の超好待遇を手放すつもりは毛頭ないが、広場で強制労働させられている他の奴隷さんたちを見ていると、前世で二十連勤目に突入して精神が崩壊しかけていた頃の自分と同じ、どんよりとした「死んだ魚の目」をしている。
彼らにはまったく救いがない。『神も仏もあるものか』と呪いたくなる気持ちになるのも当然だろう。
「それでね、これは厨房で役人たちがヒソヒソ話してるのを小耳に挟んだんだけど……」
サキルの声が、さらに一段と低くなった。
「今の代の王で、ティカルの全軍を率いる軍司令官……あ、ヤシュ・バラムっていう強力な権力者がいるんだけどね。この方が、どうやら『宗教や神への恐怖で国民を縛りつけるのはもうやめよう』っていう、かなり変わった考え方を持ってる人らしいのよ」
「へー、そんな近代的な思想の経営者もいるんだ。そういう先進的なビジョンを持った人に、これからの会社(国)を引っ張っていってもらいたいもんよね」
私が感心して頷くと、サキルは困ったように眉をひそめて、首を左右に振った。
「ただねえ……そのヤシュ・バラムって、めちゃくちゃ悪い噂も多い人なのよ。とにかく『冷徹無情』で、自分の計画の邪魔になるなら女子供でも平気で切り捨てるとか、反抗した隣国の村は容赦なく全滅させて死体の山を築くとか……」
「な、何それ……ただの極悪非道なエイリアンじゃない!? 宗教で縛るか、純粋なバイオレンス(恐怖)で縛るかの違いでしかないですよね!?」
私の脳内で、まだ見ぬ最高権力者「ヤシュ・バラム」のイメージが完全にサイコパスな悪魔(あるいは映画のエイリアン)として固定された。
きっと、出会った瞬間に口から粘液をたらーりたらーりと滴らせながら、こちらの頭を噛み砕いてくるに違いない。
「……よし、近寄らないようにしよう。絶対に目が合わないように、お祈り(神様信じてないけど)しておこう」
ブルブルと首を振って決意を新たにする。いや、そもそも近寄れる機会なんて天地がひっくり返ってもないのだ。
方や国家ヒエラルキーの最頂点に君臨する大将軍。そして私は、そのピラミッドのド底辺に埋もれているドブさらいの女だ。どう考えても一生のうちに顔を合わせるシーンが想像できない。
(うん。ヤシュ・バラムに関しては、私にとって『ただの背景(無害な存在)』と認定しよう)
「そうそう、それとこれ。忘れないうちに渡しとくね」
サキルがすっくと立ち上がり、周囲を警戒しながら、くるりと私に背を向けた。
彼女の後ろ手に組まれた手のひらを見て、私は思わず目を見開いた。
「えっ!? なにこれ……木製のスプーン!?」
「しーっ! 声が大きい!!」
振り返ったサキルに思いきり睨まれた。あ、ごめん、つい。
「ごめんね、渡すのがこんなに遅くなっちゃって……。本当はあんたが配属された初日に渡すはずだったんだけど、土木課の監督官のクソ野郎から『あの白いバケモノには絶対にスプーンを出すな。地べたを這いつくばらせてエサを食わせろ』ってきつく命令されてたのよ。ようやく監視の目を盗んで、厨房から一本持ち出すのに成功したから。ほら、見つからないようにあんたが持ってなさい」
「サキルさん……! ありがとう!!大事に隠して使います!」
サキルから手渡された無骨な木のスプーンを胸に抱きしめながら、私はふと、ある重大な事実に気がついた。
(あれ……? っていうことは、ここでも普通に食事のときはスプーン使ってるんじゃん。犬食いが現地の正しいビジネスマナー(食文化)じゃなかったのね……!?)
あの、初日にドヤ顔でルールを説明してきた(ように見えた)監督官の、ただの陰湿なイジメ(パワハラ)だったのかーーー!!
「アハハ、なーんだ! まったく効果のない嫌がらせ(パワハラ)だったなー!」
カラカラと笑う私を、サキルは「あんた、本当に何者なの……?」と言いたげな、呆れと尊敬の混ざった複雑な目で見つめていた。
前世のクソ職場で、理不尽なサビ残や上司の怒号という名の「本物の地獄」を生き抜いてきた限界OLだぞ。この程度のマイルドなイジメで精神を病むような、弱小メンタルは持ち合わせていないのだ。
むしろ、スプーンなしで綺麗にお粥を完食するスキル(新特技)が身についたので、私のビジネスパーソンとしてのサバイバル能力がまた一段階上がってしまっただけである。
「ありがとう、サキルさん。この恩(備品支給)は忘れないわ」
私はもらったスプーンを、独房の藁のベッドの奥深くへ、まるで国家機密のように大切にしまい込んだ。




