第60話 白い花と黒い花
スペインというクソ客にお帰り願ったあのできごとをきっかけとして、私は「シャク・マヤ」という名前を得た。
もっとも、みんなは、以前と同じように「シャク」と呼ぶ。
公式行事のときに名乗るくらいしか使ってはいない。
さて、王妃になってだいぶ経った私に、今さらながら専属のパル――身の回りの世話をしてくれる侍女が付くことになった。
最初にその話を聞いたとき、私は真っ先に首を横へ振った。
「私にパルなんていりませんよ?」
身の回りのことは自分でできる。
掃除も洗濯も着替えも、前世では全部やっていた。今だってやろうと思えばできる。
そもそも私は、王妃とは名ばかりで、決まった所掌事務があるわけではない。現実には「困ったらシャクに投げろ」という便利屋扱いなのだから、侍女を何人も付けてもらうなど申し訳ない。
「却下だ」
「解せぬ」
やっくんに却下された。
「じゃ……じゃあ、一人だけ……」
一人だけ付けてもらえばいいだろうと思ったのだが、専務は怪訝そうな顔をした。
「お前は前世で過労死したのであろう?」
「はい」
「ならば、自分のパルにも同じことをさせる気か」
「……え?」
専務は呆れたように肩を竦めた。
「一人しかいなければ休めぬ。病にもなれぬ。家族にも会えぬ。お前は、自分のパルを過労死させたいのか」
ぐはっ。
胸のど真ん中に、クリティカルヒット!
言われてみれば、その通りだった。
私は自分が休めないことばかり考えていて、働く側のことをまるで考えていなかった。
「……最低でも二人、必要ですね」
「ようやく分かったか」
専務は満足そうに頷いた。
完全敗北である。
◇
数日後。
王妃の私室に、二人の少女が案内されてきた。
同じ黒髪、同じ瞳。
肌の色も、背丈も、顔立ちも、まるで鏡合わせのようによく似ている。
おそらく一卵性双生児なのだろう。
もっとも、この時代にはそんな概念はない。
名前だけが違っていた。
サク・ニクテ――「白い花」。
エク・ニクテ――「黒い(夜の)花」。
どちらも十六歳。
日本なら高校生だが、この世界では立派な大人である。
二人は私の前まで進み出ると、ぴたりと同じ動きで膝をつき、胸の前で手を重ねた。
「聖なる王妃様。白き花、サク・ニクテにございます」
「夜の花、エク・ニクテにございます」
二人は一度息を合わせ、
「「わたくしども二人は、異なる花として生まれましたが、御身に仕える心はひとつ。わたくしどもの目は御身のために見、耳は御身のために聞き、手は御身のために働きます。どうか、御前に仕えることをお許しくださいませ」」
一字一句ずれることなく言い切った。
……堅い。
ものすごく堅い。
前世で食べた固焼きせんべいくらい堅い。
でも、これは儀式なのだ。
本人たちにとっては、一生に一度の通過儀礼。
私が不要だと思っても、ちゃんと受け止めなければならない。
私は二人へ笑いかけた。
「サクさん、エクさん。よろしくお願いします」
二人の肩が、ぴくりと震える。
「まずは、後ろの椅子を持ってきて座ってください。それから、お話をしましょう」
その瞬間だった。
「そ、そんな畏れ多い!」
「わたくしたちのような者が、王妃様と同じ椅子に座るなど!」
二人は真っ青になって首を振った。
まあ、そうなるよね。
私は苦笑しながら左袖をくるりとまくった。
そこには奴隷紋――やっくんが彫ってくれたジャガー模様がある。
首には、今も奴隷の首輪。
「身分で言ったら、私の方がお二人より下ですよ?」
「「え……?」」
「私は奴隷。二人は自由民。だから身分だけなら、私の負け」
にっこり笑う。
二人は完全に混乱していた。
「でも……王妃様、ですよね?」
「肩書はね」
私は首輪を軽く鳴らした。
その音が、静かな部屋に小さく響いた。
◇
「かーちゃん、えらいのか?」
部屋の隅で積み木を積んでいたシンヤが、不思議そうに首をかしげた。
ちょっ。
今その話する?
でも、ちょうどいい。
私はシンヤを手招きした。
幼い息子が、とことこと歩いてくる。
「シンヤ。よく聞いてね」
私は、しゃがんで目線を合わせた。
「みんなは、とうちゃんや、かあちゃん、それからシンヤの『王』とか『王妃』とか『王子』っていう名札に頭を下げてるの」
「……うん」
「中身の私たちが偉いわけじゃない」
シンヤは目をぱちぱちさせる。
「これを忘れちゃうとね……」
私は少しだけ真面目な声になった。
「昔の蛇の王朝みたいに、『自分が偉い』って勘違いしちゃう」
「俺、えらくないんだ!」
「そう」
私は笑って頭を撫でた。
「だからサクさんとエクさんにも、ちゃんと敬語を使うの」
「わかった!」
シンヤは二人の前まで歩いていく。
そして、小さな体を折って、ぺこりと頭を下げた。
「サクねえちゃん、エクねえちゃん、これからよろしくお願いします!」
「「──っ!」」
二人が息を呑む。
頬が、見る見るうちに赤く染まっていく。
(あ)
(落ちたな)
私は心の中だけで頷いた。
◇
「ということで」
私は改めて椅子を指さした。
「座ってください」
今度は二人も逆らわなかった。
恐る恐る椅子へ腰を下ろす。
木の椅子が、きしりと小さく鳴った。
「さっき私がシンヤに話したこと、分かっていただけましたか?」
「はい」
「とてもよく分かりました」
「ありがとうございます」
私はほっと笑う。
「じゃあ、私もシンヤも偉くないということで、普通に話してください」
「えっ?」
「よ、よいのですか?」
「そうしないと、さっきの話と矛盾しちゃうでしょう?」
私は肩をすくめる。
「王家の教育方針です。協力してください」
いまのは、若干脅迫めいていた気もする。許して。
二人は顔を見合わせ、くすっと小さく笑った。
ようやく緊張が解けたらしい。
「……じゃあ、その」
サクがおそるおそる口を開く。
「王妃様のことは、何て呼べばいい?……ですか」
おしい!
もうちょっと。
私は少し考えて答えた。
「『シャク』でいいですよ。みんなそう呼んでるから、二人が呼び捨てにしても誰も気にしないはず。たぶん」
「「不敬にならない?」」
「ならない」
二人が深いため息を漏らす。
「……分かった」
「シャ、シャク」
エクが少し照れながら笑った。
「はい」
にっこりと微笑み返す。
「シンヤ」
とサク。
「これからよろしく」
エク。
「お願いします!」
シンヤが二人に向かって小さな拳を突き出す。
「「あの……これは、どうすれば?」」
そうか、ティカルにはグータッチという文化はないんだった。
「親しい間柄で交わす挨拶の一種です。お二人の拳をシンヤの拳に『こつん』と合わせてください。それだけです」
「こつん」
「こつん」
部屋の空気がほどけ、二つの「マブダチ」が誕生した。
白い花と、黒い花。
二輪の花は、この日から王妃付きのパルとして、そして王子シンヤの少し年上のお姉さんとして、王宮で新しい毎日を歩み始めた。




