第51話 祝いの一撃、爆速参上!
外交部の立ち上げに追われる日々が続いていたある朝、私の部屋の壁に、何かが激しくぶつかる音がした。
「な、なに……?」
飛び起きて窓を開けると、そこには、首になにやら結び付けられた縄と共に、息を切らせたクロがいた。
「やだ、クロ! 久しぶり。どうしたの?」
「がう」
クロが首を振って「これを読め」と言わんばかりに頭を押し付ける。
震える手で結び文をほどく。
『――報告。ティカル王家、王子ご誕生』
「――!!」
私は、その一文を、五回読み直した。
「我が主が……ご出産……?」
体中の血が、一気に沸騰した。
「うそ……うそ、うそ、うそ! 我が主が……!」
叫びながら、私はクローゼットの中身をすべて放り出し、旅装を整え始めた。
「王女様!? どちらへ?」
侍女が慌てて飛んできたが、答えている暇はない。
「ティカルよ! 最推しの出産に、私がその場にいないなんてありえないでしょう!? ありえないわよ!」
「王女様、外交儀礼上、事前の連絡もなく王女が他国を訪問するのは――」
「知りません! どうせ顔がジャガーなんだからばれやしないわよ! それに、外交部が正式にできたら、真っ先に第一号の使者を送りますから、それでチャラです!」
私は結び文を握りしめたまま、宮殿の中庭へ走った。
当然のようにそこには、クロが待ち受けている。
「クロ! 行くよ! ティカルへ!」
「がう」
一声吠えると、クロは、風のように駆け出した。
私も間者教育で身に着けた身体能力を全開放してジャングルに突き進んだ。
そうだ、私の能力は、このときのためにあったんだ。
恨みはなくならないけど、あのクソみたいな旧王朝にも少し感謝しておくか。
今の私にとって、ジャングルなど何の障害にもなりはしない。
首筋に貼りついて血を吸っているヒルですら旅の仲間のように愛おしい……
「そんなわけあるかーっ!」
張り付いているヒルを引きちぎり地面にたたきつける。
◇
道中の集落で目撃された「黒き神獣を従え、高笑いとともにジャングルを駆け抜ける女」は、「神獣と疾風の巫女」として、長らく言い伝えに残ることとなる。「高笑い」の要素を落としてくれてありがとう。
◇
ティカル王宮に到着したとき、私の髪も装束も、旅の汗と埃でぐしゃぐしゃになっていた。それでも構わず、私は王妃の私室へと駆け込んだ。
「我が主――ッ!」
扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、ベッドの上で、小さな赤子を腕に抱いて微笑む、聖女の姿だった。
そう、まさに聖女。尊い。
「あ、サキルさん。来てくれたんですね」
その声を聞いた瞬間。
「無理っ!」
私は、その場で卒倒した。
「サキルさん!?」
慌てる我が主の声を、遠くに聞きながら、私は意識を手放した。
◇
「……はっ」
気づいたら、寝台に寝かされていた。
「大丈夫ですか、サキルさん」
心配そうに私を覗き込む、我が主の顔。その腕には、小さな、本当に小さな、赤子が抱かれていた。
「……我が、主の……御子……」
私は、震える声で、まず、努めて厳粛な態度を装った。
「王女として、この歴史的瞬間に立ち会えたこと、身に余る光栄で――」
五秒後。
「かわいいいいいいいいい!!!」
私は、もはや王女という立場を完全に忘れ、赤子の周りをぐるぐると回りながら奇声を上げていた。
怪しさでは、祭壇で踊り狂う神官にも負けない自信がある。
「見てこの手! 小さい! 小さすぎる! 我が主に似て可愛い! いや、陛下にも似てる! 両方の良いとこ取り! 尊すぎる!」
「サキルさん、テンション振り切れてますよ」
「振り切れて当然でしょ! これは記録すべき偉業よ!」
私は懐から持参していた樹皮紙と炭の棒を取り出し、その場で猛然とスケッチを始めた。
「王子殿下の寝顔、ばっちり記録するわ……!」
(このとき私が描いたつたない絵が、後の考古学者によって「メソアメリカ最古のイラスト」として発見され、大論争を巻き起こすことになるのだが、当の本人はそんなことなど知る由もない)
◇
そこへ、扉が開いて、王――ヤシュ・バラム陛下――が入ってきた。
「シャク、様子はどうだ」
そう言いながら、慣れない手つきで赤子を抱き上げる、その姿を見た瞬間。
私は、さっと壁の陰に身を隠した。
「……サキルさん、何してるんですか」
「し、静かに。陛下が我が子を抱く尊い瞬間を、邪魔しないように気配を消してる……」
壁の隙間から、じっと凝視する。陛下が、ぎこちなくも真剣な顔で赤子をあやしている。その光景に、私は声にならない悲鳴を上げそうになった。
(尊い……尊すぎる……)
◇
しばらくして、授乳の時間になった。
「あの、陛下、専務、皆さん、恐れ入りますが、少し外していただいて――」
シャクが言い終わるより早く、私は動いていた。
「はい、皆さん退出です。国王陛下だろうがなんだろうが関係ありません」
「サキル、待て、俺はまだ――」
「関係ありませんと言いました」
私は、部屋にいた男性陣――陛下から専務、そして偶然通りかかった役人まで――を、問答無用で廊下へ蹴り出した。
「サキル、これは些か強引が過ぎるのでは……」
専務が戸惑っている。
「我が主の神聖な時間です。異論は認めません」
扉をぴしゃりと閉め、私は満足げに息をついた。
我が主を守れるのは、私だけなのだ。
◇
一連の興奮がようやく落ち着いた頃、私は陛下の執務室を訪ね、あの構想を打ち明けた。
「陛下。折り入って、ご提案があります」
「なんだ、どうせろくでもないことであろう。まあいい、部屋を移すか」
陛下は私と我が主を小会議室に案内した。
「ティカルとカラクムル、互いに大使を常駐させ、正式な外交窓口を設けたいのです。諜報ではなく、堂々とした情報交換を」
陛下は、しばし考え込んだ後、隣に座る我が主へ視線を向けた。
「シャクはどう思う」
「あ、それ、いいと思います。私がいた世界でも、そういう制度がありましたよ。各国が、お互いの首都に『大使館』っていうのを置いて、常駐の代表者を通じて話し合う。何百年も、うまく運用されてる制度です」
その一言で、陛下は即座に頷いた。
「よかろう。ティカル側の窓口は、チャーク・ツィブに調整させる」
「ありがとうございます! カラクムル側の初代大使は――」
私は、少し誇らしい気持ちで告げた。
「私を育ててくれた、『先生』夫婦を派遣します。彼らは、ティカルの事情に、誰よりも精通していますから」
シャクが、優しく微笑んだ。
「良い人選ですね」
◇
こうして、両国の間に、初めて正式な外交窓口が置かれることとなった。
密約から始まり、無血の政変を経て、そして今、堂々とした対等な関係へ。




