第39話 神になりたくない神
カラクムルを平定して帰国の途につこうというとき。
サキルが私たちに着いて行きたいと駄々をこねた。
「あなたはカラクムルの王女なんだから、ほいほい外国に行くわけにいかないんですよ。なにもこれが今生のお別れになるわけじゃないんですから、わがまま言わないでください。これからは、両国も行き来しやすくなるはずです。またいつでも会えます──」
「──たとえ離れていても、私はサキルさんの主です」
そう言ってサキルのおでこに口づけをして別れてきた。
正直、私も寂しい。
でも、仕方ない。
そんな感傷に浸ることが許されるほど世の中は甘くない。
いま、王宮(私)と神殿(神官長)は、激しく対立している。
これは、宗教戦争といっていい。
なぜこのようなことになったのか。
◇
それは、いつものさぼりスポット(別名「神殿」)で神官長と雑談をしていたときのこと。
「シャクよ、お前を神にして新しい教えを説くことにした」
コチニールで口の周りを赤く染めた神官長がさらっと爆弾を投下してきた。
軽い。
軽さが内容に全然伴っていない。
めちゃくちゃ軽いのに核弾頭級の破壊力がある。
「え……?」
手にしていたマントウを落としそうになった。
ちょっとの間放心したけど、なんとか戻ってきた。
青天の霹靂!!
二の句が継げないというのは、こういう状態のことをいうのだろう。
いや、ほんと、やめて。
なんで私が神なの?
私、奴隷ですよ?
前世で過労死した元社畜ですよ?
身長だって、こんなにちんちくりんで風格ないですよね?
皆さんの神がいますよね?
「待ってください。そんな話、聞いてませんよ!?」
「初めて言ったからな」
平然とマントウを食べ続ける神官長が憎たらしい。
「そういうことじゃなくてですね。なんで事前の相談もなしに私を神にする話が決まってるんですか!? ていう意味です!」
「事前に言ったら納得するか?」
「するわけないじゃないですか!」
「だからだ」
「だからって、いきなり言われても『はい、分かりました』なんて応じられるわけないでしょーっ!」
「シャクのことだから、深く考えずに『はい、そうですか』とか言うと思ったんだが……思ったより人の話を聞いておるのだな」
私に対する神官長の評価がひどい。
まあ、雑に扱えと言ったのは私だから、希望どおりといえばそうなんだけど。
「とにかくですね、却下です。却下!」
「前に自分で言っていただろう。『崇拝の対象になることは受け入れる』と。あれは、自分が神として拝まれることを受け入れるということだぞ?」
神官長がしれっと畳みかけてきた。
「ぐぬぬ……それは、そうですけど……と、とにかく拝まれるだけならまだしも、神になるのは絶対に嫌です!」
「矛盾しておるな」
不敵な笑いが憎たらしい。
「人は矛盾を抱えて生きるものです」
「お前は神なんだが?」
「神じゃありません! やっくんの奴隷です! そうだ、奴隷が神なんておかしいですよね? ね! ね! よし、解決。奴隷だから神なんて無理。はい、以上、終わり!」
「ならば聞くが」
神官長は、マントウの最後の一口を、名残惜しそうに口に運んだ。
いま、私、「終わり」って言いましたよね?
聞いてました?
「奴隷が神になれぬという法は、この国のどこに書いてある」
「へ?」
「言うてみよ」
「……法律とか、詳しくないですけど」
「であろう。ならば、奴隷神という前例を、この私が作ってやろうという話だ。感謝せい」
「感謝の要素、ミジンコほどもありませんよ!?」
「歴史とは、常に最初の一人から始まるものだ。シャクがその一人になる。それだけの話だな」
「話のスケールをでかくして誤魔化そうとしないでください!」
「誤魔化してなどおらん。至って真剣だ」
その目は、確かに真剣だった。厄介なことに。
「じゃあ聞きますけど、神になったら、私、何をすればいいんですか」
「特に何もせずともよい」
「え?」
「今まで通り、ドブをさらい、マントウをつまみ食いし、陛下の頭をぺしぺし叩いていればよい」
「それ、神様の生活じゃなくないですか?」
「シャクが神ならば、それが神の生活だ」
「屁理屈の権化じゃないですか、それ」
「屁理屈ではない。神学だ」
「この国では、学問にすれば屁理屈が通るんですか!?」
私は思わずテーブルをバンと叩いた。皿の上で、供物用の菓子たちがぷるぷると揺れた。
「いいですか、神官長。神っていうのはですね、もっと荘厳で、神秘的で、雲の上から民を見守るような、そういう存在なんですよ」
「ほう。誰の定義だ、それは」
「え……」
「シャクの故郷の定義か? それとも、この国の従来の定義か?」
「……両方、っていうか、常識的に……?」
「常識とは、単に、それまで誰も疑わなかった話にすぎん」
神官長が、コチニールで汚れた指を、悠々と拭った。
「シャクは、雲の上から民を見守ったことがあるか」
「ないですよ、そんなアクセス権限、私にはありません」
「では、民のために、泥にまみれて働いたことは」
「そっちは、いっぱいあります!」
「ならば、それがお前の神性だ。雲の上ではなく、泥の中にこそある神性。それの何が悪い」
「……悪くはないですけど、悪くはないですけど! でも!」
私は、必死に反論の糸口を探した。
「拝まれるようになったら、私、これまでみたいに雑に扱ってもらえなくなるじゃないですか。私、雑に扱われたいんです!」
「なぜだ」
「なぜって……気楽だからです! 畏まられると、こう、なんていうか、背中のあたりがむずむずするんです!」
「ふむ」
神官長は、初めて、少しだけ考えるような顔をした。
「では、こうしよう」
絶対ろくでもないことだ。
「なんですか」
「拝むことと、雑に扱うことを両立させればよい」
「無理でしょ、それ!」
「無理かどうかは、やってみねば分からん」
「絶対無理です! だって、神様に向かって『邪魔だからどいて』とか、普通言えないでしょ!?」
「私は言えるが」
「神官長がおかしいんです!」
「おかしかろうが何だろうが、それを、標準にすればよいだけの話だ」
「もう屁理屈にすらなってません!」
私は頭を抱えた。この人と話していると、いつも最終的にこうなる。論理で殴り合っているはずなのに、気づくと、なぜか丸め込まれかけている。
「とにかく、却下です。却下! 絶対に神にはなりません!」
私は皿の上に残っていたマントウを、まとめて自分の口に放り込んだ。
神官長は、その様子を見て、なぜか満足げに頷いた。
「よかろう。今日のところは、これで引こう」
「今日のところは、って言いましたね? 今、絶対に言いましたね?」
「気のせいだ」
「絶対、諦めてないですよね!?」
神官長は答えず、ただ静かに立ち上がると、コチニールの染みのついた袖を払いながら、悠然と神殿の奥へと去っていった。
こうして戦端は開かれた。




