第33話 虫除けの聖女
いよいよカラクムル行きのプロジェクトがキックオフした。
ティカルの空は雲ひとつない快晴……いや、ひとつだけ白い雲が浮かんでいた。まるで「いってらっしゃい」と送り出してくれているようで、私のテンションは完全にピクニックだった。
この時点では……
今回編成された隊商の総勢は五十一名。
「これくらいの人数は、まだ中規模だな。大規模なキャラバンになると百人から三百人くらいにまで膨れ上がることもある」
隊長さんが、営業実績でも語るような誇らしい口調で説明してくれる。
翡翠や鳥の羽飾りで飾られた豪華な装束は、どう見ても役員クラス(貴族)だ。
「本当は、平民なんだがな」
隊長さんはあっけらかんと笑った。
そうだった、このキャラバンは全員スパイなんだ。
今回の組織構成はこんな感じ。
プロジェクトマネージャー(隊長)、物流担当三十人、セキュリティ担当(護衛)十人、フィールド調査員(斥候)五人、専門コンサル(神官)一人、そして飯炊き奴隷が四人――私とサキルはその飯炊き奴隷だ。ちゃんと炊事はやる。聖女なのだから何もしなくていいとは言われたが、そんなホワイト待遇に甘んじるわけにはいかない。一応、私も働く意志はある。
ちなみに編成会議で「神官って今回の案件に必要なんですか?」と素朴な疑問を投げかけたら、神官長から上目遣いに「シャクは、我らのことが嫌いなのか?」と拗ねられた。
乙女か。
嫌いじゃない。むしろ最近は仲良しだ。ただ、案件との関連性が見えなかっただけなのだ。
「神官は、ただ祈ったり踊り狂ったり、マントウをつまみ食いしているだけではない、星を読んだり、野営地の選定をしたり、なにかと役に立つ」
やっくんから具体的な業務範囲を説明され、私の認識不足だったことが判明した。
つまり、神官は、現場に常駐するアナリスト兼リスク管理担当だったらしい。
納得である。
キャラバンは、王宮に新しくできた不浄門から出発した。
別に、私たちが不浄だとか、極秘ルートをとったというわけではない。単に新しい設備を見ると使ってみたくなるだである。
最初のうちは、サクベという石畳の整備道が続いていて、最高に快適だった。
「これなら楽勝ね」
スコップを背負った私は、サキルに余裕の笑みを向けた。
「我が主は、ジャングルは初めて?」
「はい、初めてです! でも、ちゃんと道ができているんですよね?」
「あぁ……」
サキルが、なぜか遠い目をして天を仰いだ。
嫌な予感がする。
「いい、我が主。サクベがあるのは、ジャングルの入口まで。そこから先は、獣道。獣道があればまだマシで、道なき道を進むことだって普通にある」
開始早々、前提条件が変更になった。
そして、その説明には一切の誇張がなかった。
サクベが途切れた瞬間、世界が一変した。
鬱蒼とした緑が壁のように立ちはだかり、隊列は獣道を探しながら茂みをかき分けて進む羽目になった。
私の歩行速度は、ものの一分で目に見えて急降下した。
ドブさらい多少鍛えられたとはいえ、中身は紛れもない現代人。
ジャングル案件の実務経験はゼロである。
草に足を取られる。泥に足首までずぼっとはまる。木から落ちてきたヒルに絶叫する。
これはもう、開発環境ではなく本番環境だ。
「す、すみません……ついていけないんで、もう少しゆっくり歩いてもらっていいですか」
手ぶらという特別待遇を受けているにもかかわらず、これである。周囲は、涼しい顔ですたすたと進んでいくのに、私だけが残業百時間目みたいな歩き方になっている。
「おーい、聖女様が音を上げた。全隊、半速まで落とせ」
隊長さんの号令でペースが半分に落とされた。
なんか一言多くない?
それでも、私はついていくのがやっとだった。情けない。だが置いていかれても困る。
「サキルさん、夜はどうやって寝るんですか?」
「ゴザを敷いて寝るね。地面に直接寝たらものすごいことになるよ。寝てみる?」
半目で笑われた。
ぶるっ。
「いやいやいやいや、それはダメでしょ!」
足元には、色とりどり大きさも「各種取り揃えました」的な虫たちがうにょうにょと闊歩している。あんな場所に寝るなんて想像しただけで労災(鳥肌もの)だ。
「我が主なら先読みでなんとかんるんじゃない?」
「虫除けの聖女じゃないから無理です」
「なに、それ」
サキルが盛大に吹き出した。
それから一日歩き続けた頃には、私は冗談を言う余裕すら完全に失っていた。
「無理……しんどい」
「それは、いつもの私だね」
ひーひー言いながら歩く私の横を、サキルは定時後の飲み会にでも向かうかのような軽快な足取りで歩いていく、解せぬ。
「よーし、今日はここで野営とする」
日が傾き始めた頃、神官が選定した野営地で隊長から号令がかかった。夜になってからキャンプ地を探すのは危険らしく、明るいうちに決めておくのが鉄則とのことだ。
「ようやくキャンプかー、まだ一日目だよね。これは、思ったより大変だわ」
「我が主、寝る前に、これを全身に塗りな」
「うっ……なんですか、これ。ものすごく青臭い臭いがする」
サキルが差し出した壺から、ドクダミとヨモギと蚊取り線香を煮詰めて濃縮したような、強烈な臭気が立ち上る。
「これは、虫除けの草をすりつぶしたやつ。これを塗っておかないと、あっという間に全身虫だらけになるよ」
ニコニコしながら言うことではない。
私は涙目になりながら、その緑の汁を全身にまんべんなく塗りたくった。
まあ、人間の嗅覚なんてものはわりといい加減で、しばらく嗅いでいれば慣れる――というのは、ドブさらいで実証済みだ。
「ごほっ、ごほ。なにこの煙!」
ようやく鼻が慣れたと思った矢先、今度は盛大な煙幕を思いきり吸い込んでしまった。
「この煙も虫除け。虫が嫌う草を燃やしてる」
「そ、そうなんですか……けほっ……いや、ジャングルって想像していた何倍も大変なところですね」
煙が目に染みて、涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。
「そうだね。正直、命がけよ? 陛下が『生きて帰れ』って言ったでしょ? あれ、本当に命の危険のことだから」
「そういう怖いことを涼しい顔して言うのやめてくださいよ」
「あはは、ごめん。虫以外の脅威からは私が守るから安心して」
その一言だけは、安心できた。
足元でちょろちょろと這いまわる虫を見ながら、私はふと、現代知識のフォルダを漁った。
「ティカルには『ハンモック』みたいなものはないんですか?」
「はんもっく? 聞いたことないな」
「えっとね、木と木の間に布を吊るして寝る道具です。地面から浮くので虫対策になります」
「へー、それはすごいね。聞いた感じだと作り方も簡単そうじゃない?」
「そうなんですよ! 丈夫な縄と布地さえあれば、どこでも寝ることができます。あ、もちろん二本の木がないとダメですけどね」
「作ってみようか。ちょっとポーターから縄と布地をかっぱら……分けてもらってくる!」
いま、なんか不穏な単語が聞こえたような気がする。たぶん空耳だ。
「ちょうどいい感じの縄と布地があった」
焚火のそばで煙にいぶされながら待っていると、サキルが上機嫌に戻ってきた。出所は深く追及しないことにする。
「あ、本当だ。いい感じです。早速、作ってみましょう」
私は布を蛇腹に折り、両端を縄で縛り、二本の木へ固定する。
十分もかからず完成した。
「どう? すごく簡単でしょ?」
私はできたてのハンモックに、そろりと体を沈めた。
「ふえー」
地面から離れただけで、QOLが爆上がりした。思わず声が漏れる。
「これね、少し斜めに寝るといいですよ。まっすぐ寝ちゃうと腰を痛めることがあるから」
「おい、なんだ、それは?」
レクチャーをしているうちに、ポーターさんたちがぞろぞろと集まってきた。
「これはですね、ハンモックといって、地面に直接寝なくていいようにするものです。これで寝れば虫刺されをかなり防げると思いますよ。作り方も簡単です」
それからは完全に改善提案の横展開だった。
キャラバン中が、空前のハンモック製作大会と化したのである。
もちろん資材は足りない。
すると皆、蔦やゴザを代替資材として使い始めた。
何人かは寝た瞬間に一回転したり、結び目がほどけて落下したりしていたが、それすら面白いらしく爆笑している。
林間学校のノリだな、これは。
翌朝。
ハンモック導入組は揃ってテンションが高かった。
「ほとんど虫に刺されなかったぞ、シャク!(虫に刺されることもなく安眠できました)」
(★★★★★)
隊長さんにまで高評価をもらってしまう。
こうして私は、新たな二つ名を獲得した。
『虫除けの聖女』
……なんじゃそりゃ
サキルに言った冗談がそのまま言霊になったのだろうか。
「それも先読みじゃない?」
サキルがニヤニヤしながら、私をからかい続けている。




