第32話 塗りつぶされた人生の清算
謁見室に満ちていたのは、重く張り詰めた沈黙だった。
サキルは床に膝をつき、長い間、淡々と語り続けていた。
ティカルのパルではあるが、カラクルムの間者としてティカルの王に謁見している体を崩さない。
プロとしての「自白」だ。
生まれて間もない頃にカラクムルの王都に連れ去られたこと。
頭蓋を布できつく締め上げられ、マヤの貴人が好む独特の頭の形に矯正されたこと。
成人前である五歳のとき顔に施された刺青――それは本人の意志でも、家門の誉れでもなく、ティカル人になりすますための「仕様」として刻まれたものだということ。
言葉も、所作も、すべてがティカルに潜入するための型に流し込まれて育てられたのだと、サキルは告白した。
それは懺悔であり、同時に、自分でも持て余していた古い傷を初めて公にさらけ出す行為だった。
やっくんは、玉座に座ったまま、最後まで口を挟まずに聞いていた。
私は、玉座下の椅子に腰かけ、ただ拳を握りしめることしかできなかった。
すべてを語り終えたサキルは、深々と頭を下げてやっくんの沙汰を受け入れる姿勢をとった。
やっくんがサキルを被害者だと言ったことを知っている私でさえ心臓が張り裂けそうな緊張に包まれている。サキルの緊張と不安は、計り知れないものがあるに違いない。
サキルの背に、やっくんの声が降る。いつもの皮肉めいた響きはなく、ただ静かで、優しかった。
「――これまでよく耐えた。もう、己を偽らなくともよい」
その一言で、サキルの中の何かが決壊したのが分かった。
糸が切れたように崩れ落ち、嗚咽が部屋の空気を震わせる。
嗚咽が段々と大きくなり、ついには赤ちゃんのような泣き方になった。
私はとっさに駆け寄りそうになったが、視界の端でやっくんがわずかに首を振ったのが見えた。
(いまサキルに必要なのは、涙ですべてを洗い流すことだ)
玉座を降りたやっくんが耳元で囁く。
そうか、今、サキルに必要なのは、慰めの手ではなく、自分自身でこれまでの人生を清算することなんだ。
どれくらいの時間が経っただろう。サキルの泣き声が落ち着いたのを見計らったやっくんが動いた。
やっくんは、サキルの前にゆっくりと歩み寄るとサキルの方に手を置いて、目を細める。
「俺は、お前をカラクムルの誇り高き戦士として正式に承認し、今後は相応の敬意をもって接すると宣言しよう。その上で、お前自身の意志で、このアホ……シャクに忠誠を誓い、その傍らに残ることを妨げない」
……ちょっと待って。今、最高にカッコいいシーンのドサクサに紛れて、私のことをはっきり「アホ」って言ったよね?
突っ込みたい気持ちを必死に飲み込む私の横で、サキルは顔をくしゃくしゃにしたまま、何度も何度も頭を下げていた。
「ありがとうございます……っ! ありがとうございます……っ! かくなる上は、この命が尽きようとも、シャク様にお仕えいたします……っ!」
サキルの顔は涙と鼻水でひどいことになっていた。
「少しは落ち着いたか? おい、シャク。サキルに、お前と同じ椅子を持ってきて座らせてやれ」
「はいっ、喜んで!」
私は、居酒屋の店員のように元気に返事をすると、壁際に控えていた椅子を引きずってきて、サキルの隣に据えた。
それはただの家具ではなく、「お前はもう、隠れて地に伏す身分ではない」という、やっくんなりの宣言だった。
サキルもそれを察したのか、震える脚で立ち上がり、おずおずと腰を下ろした。
ひとしきり泣き腫らしたサキルが、ようやく呼吸を整え、落ち着きを取り戻した頃。やっくんは自分の椅子の背にスッともたれかかり、空気を変えるように一つ息をついた。
「さて……お前たち二人には、カラクムルへの出張を命ずる」
「「へ?」」
サキルと私の間抜けな声が、見事にハモった。
「恐れながら、陛下。私がカラクムルに戻ることは、ティカルの国防リスクとして許容できないのでは……? 任務を放棄したとはいえ、私の身分はまだあちらの間者です。ティカルの王命を拝命できるような立場では……」
サキルが声を絞り出すように問う。当然の懸念だった。けれどやっくんの目は、あくまで穏やかで、その奥には揺るぎない信頼が宿っていた。
「自分から『私は間者です』と申告するような、そんな抜けた者を警戒する必要があるか?」
いつものやっくんだ。からかうようなことを言いながら、信頼していることを伝えてくる。
やっくんの言葉に、サキルは一瞬きょとんとした顔をして、それからまた泣きそうな顔になった。
「サキルには、シャクの護衛と監視を任せる。シャクは、目を離すと何をしでかすか分からないからな。お前たち二人は、他国を往来する商人の隊商に随行する『飯炊き奴隷』という偽装の身分でカラクムルに潜入しろ。案ずるな、その隊商の構成員も全員、俺が仕込んだティカルの間諜で構成する」
私はゴクリと唾を飲み、思わず背筋を伸ばした。冗談めかした空気が消え、執務室の温度が一段階下がったように感じた。
「シャク、お前が今回のプロジェクトの『メイン交渉役』だ。カラクムル北部のカフ・イシュ・カンを治める領主、ア・サカン・バラムへの密書を携え、話を完全にまとめてこい。出発は一週間後。それまでに現地の情報と荷物をまとめて準備せよ」
「「はっ!!」」
サキルと私は同時に椅子から立ち上がり、拝命の礼を執った。
サキルの横顔には、もう先ほどまでの怯えはなかった。代わりにあったのは、初めて『自分』を手に入れた者だけが持つ、静かな強さだった。
「シャク」
重い木の扉を押し開け、執務室を出ようとした私を、やっくんの声が背後から呼び止めた。振り返ると、灯りを受けた金色の瞳が、まっすぐに私を見つめていた。
「――生きて帰れ。それが、今回のプロジェクトにおける至上の命令だ」
「……っ」
私はやっくんと、しばし無言で目を合わせた。軽口も皮肉もない。私は小さく、けれど力強く頷いて、執務室を後にした。
胸の奥で、何か熱いものがゆっくりと満ちていくのが分かった。隣を歩くサキルの足取りは、心なしか軽い。
カラクムルへの道は、きっと平坦ではないだろう。けれど少なくとも今、サキルは、誰に偽る必要もない自分自身として、その一歩を踏み出していた。




