第31話 経済で潰す、蛇の王朝
翌日の王宮執務室には、朝一番から普段より少しだけ張り詰めた、ピリピリとした空気が漂っていた。
まあ、その張り詰めた空気を作った下手人は、夕べのバルチェ残業で余計な情報をリークした私なのだが。
「チャーク・ツィブ。カラクムル王宮内部の体制、中央に反感を持つ貴族のリスト、および過去数十年における農産物の収穫高の推移を今一度整理し、報告せよ」
デスクの後ろで腕を組んだやっくんから、冷徹な声が放たれる。
怒鳴っているわけでもイライラしているわけでもない。
為政者としての冷酷なマインドセットのまま、サキルさんの尊厳をオモチャにしたカラクムルへの静かな憎悪を滾らせている感じだ。やっくんから発せられる本物の「王の殺気」が、部屋全体の空気圧を上げている。
そんな彼の隣で、特にこれといってやることのない奴隷の私は、自慢の相棒である「ヘドロ用スコップ」を布でキュッキュと磨いていた。
磨き込まれたスコップは、もはや実用的なドブさらいの道具ではなく、王宮の最高級オブジェのようにピカピカに輝いている。
ちなみにサキルには、いつ呼び出しがかかるか分からないので、自室で待機してもらっている。
ゆうべ、部屋に戻った私は、サキルがカラクムルの間者であることをやっくんにすべて報告したと打ち明け、本人に無断で機密を共有してしまったことを土下座して平謝りに謝罪した。
最初は驚いて顔を真っ青にしていたサキルだったが、「やっくんは間者の命を不当に奪うようなブラック気質の王じゃない。むしろその尊厳破壊に激怒してた」という言質を伝えると、なんとか落ち着きを取り戻してくれたのだ。
「ではご報告いたします。まず、カラクムル王宮内部の情勢ですが、一言で申し上げれば『完全に根腐れを起こしている状況』です」
専務が、膨大な樹皮紙の束を手元に手繰り寄せながら、目の奥を光らせた。
「国内の統治は、一見すると中央集権で盤石のように見えるものの、それは王家が些細な罪でもすぐに首を刎ねて生贄に捧げる『恐怖政治』による抑圧の結果にすぎません。恐怖心で平民を縛ってはおりますが、王家は孤立しており、周辺の地方組織からの求心力を完全に失っている状態とのこと」
専務は別の樹皮紙をめくり、淡々と続ける。
「次に、その王家に反発を抱いている地方貴族の件ですが……これは農産物の収穫高データとも密接に関連してきますので、併せてご報告いたします。カラクムルの農産物の穫れ高を年次推移で追ってみますと、非常に奇妙な現象が浮かび上がってまいりました。軽度の干ばつや不作が報告されている年であっても、なぜかカラクムル国全体としては、一度も致命的な食糧不足や飢饉に陥ることなくやり過ごしているのです。……なお、このあたりの複数データをマージした分析手法は、以前、そちらでスコップとお戯れになっている『我がイシュ・アハウ(王妃)』がご披露くださったものを応用しております」
「へ?」
スコップを磨く私の手がピタリと止まった。
「あれって、そんな高度な分析に使われてたんですか? ていうか専務、私、まだ王妃(役員)じゃありません。平の奴隷です」
「ああ、マントウ(饅頭)のように甘い認識ですな、シャクよ……ふふふ。おっと、余談が過ぎました」
専務はわざとらしくコホンと咳払いをすると、報告書の一行を指差した。
「なぜ、カラクムルだけが気候変動のダメージを無効化できているのか。子細に検証いたしましたところ、どうやら彼らは、北部国境地域に広大な『大穀倉地帯』を所有しているようでして。そこは、周囲が干ばつに陥っても影響を受けず、常に豊富なトウモロコシを産出できる特殊な土地らしいのです。ただ……」
あ、ここで専務が溜めを作ったってことは、何かよくない話があるわね。
「本来、それほど豊富な農産物を継続的に産出していれば、その土地を治める領主は巨万の富を得て、豊かでなければなりません。ところが……その北部の領地は、なぜか常に極端な貧乏なのです。原因は、カラクムル王家による『不当な搾取』。王家はそこから産出されるトウモロコシを強制的にほぼ全量徴収し、中央の食料を賄っているようです。国全体の食料を融通する防衛政策としては一見正しいのですが、どうやら王家は、その北部領主に対して正当な対価を支払っていないようでして」
「……ふん。まるで、王の名を騙ったただの『盗賊』だな」
やっくんが、吐き捨てるように冷たい声を漏らす。
「おっしゃる通り。加えて、その北部の領地を治める貴族には、なぜか『後継ぎ』がおらず……このままでは一族もろとも没落し、領地を没収されるのも時間の問題と見られております」
「なぜ後継ぎがおらぬ? もし実子が生まれぬのなら、親族から養子を取るなりして家系を維持すればよかろう?」
うん、やっくんの疑問は至極真っ当だと思うよ。こっちの世襲制のルールからしても不自然だ。
「残念ながら、そのあたりの『後継ぎが作れない(選べない)事情』までは、現地の情報網からは取得できておりませんな」
専務が肩をすくめる。
それを聞いたやっくんは、ふっと悪い顔(だがめちゃくちゃ絵になる極上のイケメンフェイス)で口の端を釣り上げた。好き。
「――だが、後継ぎの事情はともかく、常に中央の王家から一方的な搾取をされ続けているのだ。その北部貴族、王家に対して相当な恨みと反感を抱いていると見て間違いないな?」
「ええ。反逆の狼煙が今にも上がりそうなほどに」
二人の冷徹なトップ対談を聞きながら、私は磨き上げたスコップを台座に戻し、ぽろっと思いつきを口にしてしまった。
「……地下水だろうなあ」
この、私の不用意な発言が、のちの大冒険につながるとは、思っていなかった。
「ん……シャク、どういうことだ?」
やっくんの鋭い視線が私にロックオンされる。私は背筋を伸ばしてプレゼンを始めた。
「その北部の領地が、大干ばつの時でも十分なトウモロコシを収穫できているということは、おそらく地下水が超豊富で、貯水池に依存しない『独自の農業インフラ』が完成しているんだと思います。対して、我がティカルの貯水池はどうでしょう。生活用水と農業用水の両方を一つの器で兼用しています。そんな状況で大干ばつが来たら、トウモロコシを枯らさないために農業用水を大量に消費することになり、生活用水が速攻でショートして、国民が全滅します」
私はホワイトボードならぬ樹皮紙を指差した。
「だったら! そのカラクムルに虐げられている北部領主と、ティカルが『長期的な独占購買契約』を結べばいいんです。干ばつの時期、我が国は農業をすっぱり諦めて、貯水池の水を100%生活用水だけに回す。足りない分のトウモロコシは、その北部領地から現物で継続的に輸入して補うんです。これなら、ティカルの国民は一滴の水不足にも悩まされずに干ばつを乗り切れます!」
「ふむ……」
やっくんの金色の瞳に、カチリと知的興奮のライトが灯った。
「面白い考察だ。……カラクムルの無能な王家を内部から効率的に崩壊させ、その恨みを隠し持つ北部貴族をカラクムルの『新しい王』として我が国が裏から承認すれば……その大穀倉地帯の農産物を、我がティカルに極めて有利な独占条件で買い付けることができるわけだな?」
「話が早い! その通りです社長!」
私の提案に、チャーク・ツィブ専務も「ククク……。敵国の防衛ラインを傷つけずに、インフラ利権だけを合法的に手に入れる。なんと悪魔的で美しい計画でしょうか……」と、完全に悪い笑顔で筆を走らせ始めた。この人の悪い顔は、本当に悪人の顔だ。やっくんと一緒にしてあげない。
「よし、方針は確定だ」
やっくんは立ち上がると、執務室の窓から見える青い空を見据え、恐ろしいほどに冷徹で完璧な『カラクムル無血陥落計画』をその場で爆速で組み立て始めた。
やっくんの計画はこうなっている。
一 偽の「財務危機データ」のリーク(情報戦)
「まず、神殿の間諜網を逆利用する。土石流の被害で財政が破綻寸前、国防予算すら回らない——そんな偽情報をカラクムルの中枢に掴ませろ。敵は我が国を侮り、油断する」
二 周辺国の商人を巻き込んだ「軍拡デッドロック」(経済戦)
「次に、チャーク・ツィブ。我が支配下の広域商人を動かし、カラクムル王家へ『今こそ好機、黒曜石の武器・防具・兵糧を買い占めよ』と煽り立てろ。だが、その最大の製造元は我がティカルだ。敵が武器を買うほど我が国庫は潤い、彼らの国庫だけが枯渇する。ただし——その利益はカラクムルの民へ還元されるべきものと忘れるな」
三 破綻した王家への「ネガティブキャンペーン」(心理戦)
「国庫が底をついたタイミングで、神殿のネットワークを通じ『王家は無駄な軍備のために民を食い物にする大罪人』という悪評を叩き込む。金のない王家など、兵も平民も誰も支持せん。求心力は一瞬でゼロになる」
四 顔認証(刺青)による逃亡阻止と「幽閉」
「支持を失った王家は国外へ逃げようとするだろうが——彼らの顔には『蛇』の刺青が刻まれている。身分を偽る術などない。国境でただちに捕らえられ、自ら作った牢獄へ幽閉される」
五 ホワイトナイトとしての介入
「無政府状態に陥ったカラクムルへ、我がティカルが人道支援と食料援助を携えて介入する。飢えた民は大歓声で迎えるだろう。その席で、北部の有能な領主『ア・サカン・バラム』を新国王として即位させる——俺が後ろ盾となる」
「これでティカルはカラクムル北部から、大干ばつの時期であっても定額でトウモロコシを永久に輸入できる、強固なサプライチェーンの条約を締結できる。――これが、俺の描くカラクムル買収計画だ」
やっくんが不敵に言い終えると、執務室は、あまりにも完璧な「無血の国家買収」の全貌に、静かな鳥肌で満たされていた。武力で攻め落とすより、経済と情報で内側からシステムを乗っ取る方が、遥かにローコストで確実だ。
「やっくん……あなた、やっぱり天才を通り越して、ちょっと引くレベルで恐ろしい王様だわ……」
「どうだ。噂通り血も涙もない冷血漢であろう。――よし、次の段取りだ。サキルをここに連れてこい」
「御意に!!」
私はビシッと完璧な敬礼を決めると、サキルの待つ私室へと急いだ。
奪われた彼女の尊厳(ジャガーの誇り)を取り戻すための、ティカル流・超大型M&Aプロジェクト発進!




