第30話 顔に刻まれた魂の偽造
神官長から呼び出されたのに、なぜかなし崩し的に神殿を完全掌握してしまった私は、それからというもの、ちょくちょく神殿に遊びに行くようになった。王宮の執務室から徒歩数分、社畜のちょっとしたサボりスポットである。長い時間でなければやっくんの隣を離れても大丈夫。
「シャクよ、お前は奴隷のくせに仕事をせずに、神聖なる神殿で遊んでばかりいていいのか?」
「神官長、それ、お供え物の『マントウ』ですからね。あなた方のおやつじゃないんですよ。なんで祭壇に供える前にフライングで食べてるんですか」
「いや、ピラミッドの頂上の祭壇まで階段を上って持って行くと、血液の鮮度がだな……もぐもぐ」
うんうん、いいね、その雑な距離感。
口の周りをコチニールの甘い血糊で真っ赤に染めた神官長が笑顔で私をこき下ろす。
奴隷は奴隷らしく扱われてなんぼだ。
神の遣い(聖女)扱いなんて、背中がむず痒くていけない。
「神官長、各地の連絡員からの報告が届いております」
若手の神官が、樹皮紙の束を神官長の前に差し出した。
「おお、そうか。ご苦労……もっもっ、もぐもぐ」
神官としての威厳を持たせているつもりらしいけれど、新作和菓子をもぐもぐ咀嚼しながらでは締まりが悪いと思いますよ。
神官長は、樹皮紙に書かれた文字列を目で追い、一通り読み終えたところで、口の中の塊をごくんと力強く飲み込んだ。
「……ソコヌスコで海産物が不漁、か……」
神官長が、誰に聞かせるでもなくぼそっと呟く。
「ソコヌスコって、どこですの?」
お、なんか韻を踏めた感じ? バイブスを感じちゃうね。
「ソコヌスコは、ここよりずっと西の国で、大きな海に面しておる。そこで獲れる高級な魚や貝が、我がティカルの神事にも使われているのだ。それが、どうも最近は海の温度が妙に温かく、魚が網にかからぬらしい」
「へー、ずいぶん広範囲に交易が行われているんですね。でも、私がここで生活している中では、荷車とか動物に荷物を載せているシーンに一回も出くわしたことがないんですけど……どうやってその大量の物資を運んでるんですか? ――もぐもぐ」
私もちゃっかり、予備のマントウをご相伴にあずかることにした。もちもちで美味しい。
「なんだ、お前は『タンプライン』の仕様すら知らぬのか。これだから異界の奴隷は。やはり所詮はペーペーということか」
神官長が胸を反らせて、ドヤ顔を決める。
「ついて参れ。我が国の最強の物流インフラを見せてやろう」
すたすたと歩き出す神官長の後を追い、私は神殿の裏手に連れ込まれた。お、これは前世の学園モノでいう『体育館の裏』かしら?
案内された暗い資材置き場には、頑丈な織物で作られた太い帯と、それに繋がれた巨大な編みかごが山積みにされていた。
「シャクよ、これが我が国の物流システムを支える『タンプライン』の現物だ」
「これって……ただの大きなカゴと、幅の広い紐ですよね? どうやって使うんですか?」
私が首を傾げると、神官長はフフンと、老科学者のような得意げな顔でその紐を手に取った。
「非常にシンプル、かつ偉大なる先人たちが導き出した完璧な構造! よいか、この幅広の帯を――このように、自分の『おでこ』に当てるのだ」
「えっ!? 首や肩じゃなくて、おでこ!?」
「左様。首や肩だけで荷を背負うと、人間はすぐに筋肉を痛めて極度の疲労を起こす。しかし、この帯を額に当て、背中のカゴと連結させることで、荷の重量を『頭突き』の要領で『頭から背中、そして腰へと垂直に逃がす』ことができるのだ。まさに人体の構造を熟知した、無駄のない負荷分散!」
神官長は近くの通路を歩いていた若い下級神官の男の子を呼びつけると、そこらへんに転がっていた手頃なサイズの石をぽいぽいとカゴに放り込み、彼にタンプラインを装着させた。
「さあ、見ろ。頭を少し前に傾け、背中を丸めてバランスを取る。これで、肩の筋肉を一切使わずに、男性一人が『自分の体重とほぼ同じ重量』の物資を背負ったまま、ジャングルの悪路を一日中歩行することが可能となるのだ」
(うわぁ……二宮金次郎の超ハードモードだわ……)
下級神官の男の子は、太い紐が額の皮膚にギュウギュウに食い込み、首の筋をピキピキと怒張させながら、必死の形相でカゴを背負って直立している。痛そう。めちゃくちゃ痛そう。完全に労基が飛んでくるレベルの負荷がかかっている。
「わ、分かりました! 構造のレヴューは完了です! ありがとうございます! ――あ、そこのあなた、もう痛いからそれ下ろしてくださいね!」
慌てて私がカゴを支えてあげると、下級神官の子は額に真っ赤な紐の跡をつけたまま、「聖女様に救われた……っ」と言わんばかりに涙目で私を拝んできた。いや、私はただの奴隷であなよりずっと下の身分だよ。
「そうそう、神官長。さっき『連絡員からの報告』って言ってましたよね? 神殿って、あちこちにそういう人がいるんですか?」
タンプラインを元の位置に戻し、神殿の回廊を歩いて戻る途中、ふと気になった疑問をぶつけてみた。
その瞬間。それまでマントウを食べて弛緩していた神官長の目の奥が、スッと冷たく鋭い光を帯びた。
「……我々神官は、各国の神殿同士のネットワークで繋がっておる。神への祈りは国境を越えるからな。その繋がりを利用して、広い範囲の『情報』を手にすることができるシステムになっているわけだ。……簡単に言えば、他国への『間諜』としても機能している組織と思ってもらえばいい。もっとも、これはどの国も『自国の情報も漏れている』ことを前提とした相互監視システムだから、国家機密なみの深い情報にアクセスできるわけではないがな。先ほどのような、広域の環境異変を集めるデータベースとしては極めて重宝されているのだ」
なるほど。聖職者が国際スパイ網を兼ねているのか。マヤの宗教組織、思っていた以上に合理的でちょっとカッコいいかもしれない。
その日の夜、いつもの「残業(王の私室)」。
王宮の最高級資産(合法ハック物質)である『バルチェ』を適量嗜み、脳内がほどよくラリっていい気持ちになった私は、やっくんの隣にしなだれかかっていた。前世の日本だったら一発でお縄(逮捕)になるところだけど、こっちの世界の、しかも王のプライベートスペースでは完全に合法なのだ。
以前、オーバードーズで大暴走を起こしてからは、私もバルチェの適切な摂取量を学習したのだ。今はただ、ふわふわと心地よい。
「今日、神官長から聞いたんですけど、神殿って他国への間諜の役割もあったんですねー」
「ああ、そうだ。あいつらも、ただ祭壇の前で生贄を捧げて踊り狂っているだけの無能ではない」
「なにそれ、辛辣。ウケる」
思わず吹き出してしまう。やっくんの身内(神官ズ)への容赦ない評価、本当に好き。
「なんかね、西の方の海に面した国で、海産物が不漁だって言ってました。……あ、そうそう、スパイ網のことなんですけど、やっくんは『間諜』についてどう思います?」
「どう思うとは?」
やっくんが、手元の粘土板を置いて不審そうに首をひねった。
うーん、質問の抽象度が高すぎたかしら。
「うんとね、実際のプロの間諜って、どういう立ち回りをしているのかなって。私の前世の世界では、スパイを題材にした創作(アニメや小説)がたくさんあって、別の顔に変装したり、夜中にワイヤーで天井から忍び込んだりして、けっこうスタイリッシュでカッコよく描かれてるんです。こっちのスパイってどうなんですか?」
「なんだ。シャク、お前自身がどこぞの国から送り込まれた、得体の知れない間諜ではないのか?」
「こんなに顔が白くて目立つスパイが世界のどこにいます? 即座にはじかれますよ」
「確かに、お前では間諜は務まらないだろう。基本的にバカだし、考えていることが顔に出やすい」
「返す言葉もございません……」
ガックリと項垂れる私を見て、やっくんはふっと鼻で笑うと、私の頭を大きな手で乱暴に撫で回した。
「我が国の間諜の仕様は、いたってシンプルだ。ほとんどが『商人』の身分を偽装して他国に入り、市場の噂や物価の変動から現地の情報を集めている。それが最も自然だからな」
「へー、じゃあ、映画みたいに他の国の王宮に『役人』や『奴隷』とかに扮して深く潜入するような、スリリングなミッションはやらないんですか?」
「それは構造上、不可能だ。我々は、国――というか民族ごとに、顔に彫る『刺青』の紋様が異なる。商人であれば『よその国から来た人間』として大通りを歩く分には問題ないが、城内や王宮に入るとなると、その顔の刺青のミスマッチですぐにばれる」
「そっかー……。顔のタトゥー、ただの痛そうなファッションかと思ってましたけど、生体認証のメリットがあったんですね……」
ふと、私の頭の中に、いつも物静かで有能な奴隷の先輩――サキルの顔が浮かんだ。
「あ、でも。じゃあ、顔のタトゥーそのものを、潜入先の国の紋様に『偽装』しちゃえば、王宮にも潜り込めるんじゃないですか?」
その瞬間、やっくんの金色の瞳が、見たこともないほど冷酷で、禍々しい温度へと一変した。
「……シャク。お前はよくも、そのような非人道的な最悪の手段を平然と思いつくな。悪魔か?」
「えっ!? い、いや、ただの思考実験ですけど……ダメなんですか?」
私の酔いが冷めるほどの威圧感に、思わず身を縮める。やっくんは低い、地を這うような声で言った。
「いいか。顔の刺青は、一度針を刺して墨を入れれば、一生消えない。そして顔の紋様は、その人間の生まれ、一族の誇り、魂そのものだ。それを、たかが他国を騙す任務のためだけに、他国の紋様で上書きして生涯偽造させるなど……絶対にあってはならん。絶対にだ」
ぞくっ、とした。
この若き王は、残酷な身分制度の頂点に立ちながら、人間の尊厳に対して、どこまでも誠実で、底知れない優しさを持っている。
「……やっくんは、そういう高潔な考えかもしれないけど。他の国は、平気でそれをやってるかもしれませんよ?」
ヤシュ様の表情が、明確な殺意を帯びて歪む。
「もし、そんな人間の尊厳を泥に塗るような国があるならば――俺は王の全権をもって、その国を全力で叩き潰す」
「おお……超力強い決意表明! ……でも、その場合、潜入させられた間諜本人も、死罪ですか?」
「無論だ……と言いたいところだが。その間諜本人は、むしろその国の最悪な統治の『被害者』だろう。いいか、任務のためとはいえ、自らの民族の誇り(顔)を偽造させられるのだぞ? 誰がそれを自分から望む。本人の意思を無視した、逃れられぬ強制力が働かなければ、起こり得ないことだ」
私は、膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。
(やっぱり、やっくんは私が信じた通りの『最高の上司』だわ。だったら、なおさら決まりね)
「じゃあ、やっくん……カラクムルは、全力で叩き潰さなきゃですね」
「カラクムルだと? ……まさか、かの大国が、間諜にそのような非道を強いているというのか? いや、なぜそれを奴隷のお前が知っている?」
「サキルさんです。彼女は、カラクムルから送り込まれた間者です。――あ、でも、今はティカル、というか『私』に完全寝返りして、カラクムルのスパイとしては活動していませんので安心してください」
「待て……。あの女の顔には、我が国と同じ『ジャガー』の刺青がある。カラクムルの人間であれば『蛇』のはずだ。まさか……あいつらは、あの女の顔をジャガーの墨で……っ」
「はい。その『まさか』の尊厳破壊が、カラクムルでは組織的に行われているんです。彼女、自分の顔を見るたびに、ずっと泣いてたんですよ」
「なんということだ……」
やっくんはしばし絶句し、怒りのあまり拳をワナワナと震わせた。
「カラクムルが、そこまでの非道を行う国だったとは……」
「兵を挙げて、攻め込んじゃいます?」
私は首を傾げた。やっくんが、絶対にそんな安易な脳筋(武力解決)をやらないと信じているからこそ言える。
「そんなことはせん。兵を挙げて戦うなど、統治として愚の骨頂だ。できる限りの外交と知略を尽くして、戦争という最大のリスクを回避するのが、王たる私の使命というもの。戦争は勝とうが負けようが、両国の民をただ苦しめるだけだからな」
「……」
「それに、俺はティカルの領土を不必要に広げようとも思わん。俺は、自分の目が、手が届く範囲の民しか幸せにできん。身の丈を超えた過剰な領土など望まん」
勇猛に戦うだけが強さじゃない。自分の現場を、自分の限界を知り、その中で最大最適の幸福(利益)を出そうとする、冷徹で圧倒的に優しい王。
(……あ、ダメだ。やっぱり、かっこよすぎるわ)
バルチェの酔いも手伝って、うっとりとやっくんの横顔に見惚れてしまった。
これはもう、認めざるを得まい。
はい。私は、やっくんのことが、めちゃくちゃ好きです。
少女漫画やライトノベルであるような、お互いに気持ちを隠してすれ違う「じれ恋(両片思い)」は大嫌いだ。仕様書も出さないクソ客の契約交渉(引き延ばし)みたいで意味がわからない。
でもなぁ……。もし私がやっくんに告って、万が一にも両想いになったとしたらよ? 私、自動的に『イシュ・アハウ(王妃)』のポジションに強制就任させられるわけでしょ? 専務の「外堀埋め立て大作戦」の思うツボにはまるのもなんか悔しいし、何よりファーストレディなんて責任重大な席に就きたくない! 私は一生、上司の指示を適当にこなして有給を消化する「指示待ちの奴隷」でいたいんだ。
とはいえ、こうしてひっきりなしに業務時間外(つまり夜)に王の私室に連れ込まれてしなだれかかっている現状を鑑みるに、客観的なステータスとしては完全に『愛妾』よね……。うーん……考えるのをやめよう。ラリってるし。
「おい、シャク。大丈夫か? 意識の回線が飛んでいたようだが」
「わっ!? びっくりした!」
思考のドツボにハマっていた私の目の前に、やっくんの無駄に整った彫刻のような顔が、至近距離まで迫っていた。
「あ、ごめんなさい。 ちょっと脳内で深刻なエラーが発生していました」
「考えなしに行動するお前にしては珍しいな。……まあいい。明日、そのサキルを私のところに連れてこい。直接、話を聞きたい」
「かしこまりました!」
そう応じたところで、ひとつの疑問が浮かんだ。
私は、左腕のもこもこと盛り上がった奴隷紋を撫でながらやっくんに質問を投げかけた。
「ところで、私は、やっくんに奴隷紋を刻まれましたけど、あれは尊厳の破壊じゃないんですか?」
やっくんの涼しげな顔が固まった。
「それについては……我が国の文化として当たり前にやっていた。しかし、シャクと日本のことを話すようになり、我が国とは違う文化もあることを知った。その文化のもとで育ったシャクに一方的に奴隷紋を施してしまったことを今となっては……」
「あーあーあー! 謝っちゃダメです! 国王が簡単に謝るのはダメ!」
「しかしだな。首輪は外せるが奴隷紋は消せん」
「大丈夫です! 私は、この奴隷紋を刻んでもらったおかげで、ティカル・ホールディングスという会社に所属することができたんですから。それに、やっくんの所有物にもなれましたし……ただ、これから奴隷になる人たちは、首輪だけにしてあげて欲しいな、と思うんです。首輪なら外すだけで平民になれるじゃないですか」
「う、うむ……それは約束しよう。あと、奴隷という制度そのものも考え直す必要があるかもしれん」
「はい、よろしくお願いします。あ、でも、私は奴隷をやめませんからね。じゃあ、おやすみなさい、やっくん」
私はお辞儀をすると、バルチェでラリってふわふわとした、最高の浮遊感のまま、サキルの待つ私の部屋へと戻っていった。サキルの奪われた尊厳を取り戻すための、ティカル王宮発の特大リベンジ・プロジェクトが、今、静かにキックオフされようとしていた。




